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改めて知る「太宰」への疑問    「読書感想文」太宰 治著 『斜陽』を読んで

この有名な作品を読み返して、ある大きな疑問が生まれました。

太宰 治は何故この小説の題名に「斜陽」と付けたのでしょか。

「斜陽」とは「西に傾いた太陽。夕日の斜めにさす光」  転じて 新興のものに圧倒されて、しだいに没落していくこと、とあり第二次世界大戦に破れた日本で、かつての貴族制が無くなり、莫大な資産や権力を持ち、それまで上流階級とされていた特権階級が崩壊した状況を指すこととされています。
 
しかし、改めて読んでみると題名の「斜陽」に、とてつもない違和感を覚えました。
 
敗戦を境に日本の社会構造、経済状況は変革を余儀なくされ、その後もエネルギー産業の変化、衰退などもあり、特に石炭産業の斜陽化は私などの個人の普通の生活にも影響が出ていました。

 しかし、物語の中に「斜陽感」が殆どありません。
確かにこの小説は斜陽化という題材が含まれており、その影響をうかがわせるシーンも多くありますが、物語の主題はあくまでも、主人公の恋愛感情、肉親への愛情、弟の自殺の言い訳などで、世の中の大きくて重大なうねりとはかけ離れたテーマになっていると思いました。

 主人公の恋愛感情、肉親への愛情、弟の自殺の言い訳が大事なことではない、というわけではありませんが、斜陽という題名にしてはややスケールが小さいという印象がありました。
 作者が愛人と入水自殺していること、作者の実家の没落という事実を考え合わせると、「斜陽」ことばは単なる「引用」に過ぎないのではないかとさえ思われました

 沢山の太宰ファンには大変申し訳ございませんが、私の私見ですので何卒ご勘弁のほどよろしくお願いいたします。

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