音の鳴るほうへ
銀座の通りをぶらぶらと歩いていたドクトルは白い建物の前で立ち止まった。共益商社というその店で、当時、ヤマハピアノなどの楽器が販売されていた。越後の僻村でも蓄音機やレコードを集める音楽好きであったドクトルは、大好きなピアノやヴァイオリンが所狭しと並ぶのに惹かれて、半ば無意識に、大きなガラスのはまったドアを押し開けて中に入った。
「いらっしゃいまし、何か御用は如何さまで」
と番頭にかけられ、ドクトルは我にかえった。特に御用はない。が、ここは図々しく行くのが東京の歩き方、と思ったのかどうだか、
「ピアノは有るかね」
という台詞が口をついて出た。有るかも何も、そこらじゅうピアノだらけだ。
「へい御座います。デスクで御座いましょうか、それともオルガン型のほうになさいますか」
「デスクの方だがね、中古のやつがほしいんだよ」
「左様で御座いますか、いま三百五十円から六百円位までのが五、六台持ち合わせております」
六百円というと現代の価値で二百万円以上にあたる。ピアノはいまでも安いものではないが、その時代では一層手の届かないものであった。
はなから買う気などないドクトルは、
「ふーむ、八百円位のはないかね」
ともっともらしく返した。
「中古で八百円っていうのは、只今お生憎様で御座いますな」
内心手に汗をにぎりながら、どうにか粋に逃げ切ろうと思っていたドクトルは、しめしめ、と蘇生するような思いで
「実はね、八百円位のやつが欲しいと思って寄ったんだが、君のところへ無ければまぁ仕方がないな」
と左の手のひらで下顎を撫でながら、ギターやマンドリンのかかっている天井を見上げた。
番頭は親切に騙されてくれたのかもしれないが、どうにか見栄を切りとおしたドクトルには、何かすまないような、このまま退却するわけにもいかないような律儀な気持ちが湧いてきた。そういえば、と運よくドクトルの頭に記憶がよみがえった。たしか、弟の止信氏の所有するヴァイオリンの絃が切れている。
「ヴァイオリンの絃をください」
「どれに致しましょう」
「銀線で出来ている」
「五銭でございます」
「一本下さい」
「ヘイ、これで御座います」
「さようなら」
八百円の大見栄を切ったのを五銭でごまかしたドクトルの背中に、番頭の
「どうも毎度ありがとうございました」
の声が、やや大きく聞こえた。何だか気まずい思いでいるドクトルの脳裡に、毎度ありがとうの声は「強圧電流のごとく」こたえた。
が三歩歩けば気まずいのはどこへやら、銀座通りをまた歩くと次に日本蓄音機商会がドクトルを誘惑した。レコード会社、のちの日本コロムビアである。店の隅から隅までレコードを見てまわって何も買わず、次に三光堂へ立ち寄った。浅草で起業し後に銀座に出店したレコード店である。東京には舶来のエンターテインメントが様々に持ち込まれ実に華やかであった。店先では長唄が披露されていた。そこで越後の僻村で品切れになっていたレコード針を一箱買った。
銀座通りにおける蓄音機の総本山を残らず参拝した、という心持ちで満足していたドクトルの耳に、風にのってまた何かの楽曲のわずかな音が流れ込んできた。音がするほうへ引き寄せられるままに入ってみれば、そこは日本ビクターの「十字屋楽器店」であった。
そこではハイカラな身なりをした、店員らしき女性が四五名向かい合い、大正琴で、越後囃子を合奏していた。よく知った歌であったのですっかり嬉しくなり、大正琴の音色に乗せて歌う美人の声にもすっかり聞き惚れ、ドクトルは大火鉢の側へどっかり胡座をかいて観客に早変わりした。
唄が終わるまでじっくりと聞き惚れたドクトルは、拝聴料のつもりで、またレコード針を買って、悠々とまた銀座通りへ出た。
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