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【小説・短編】初恋少年と幽霊JKと後悔

 典型的な田舎のこの町には、田畑はあるが、人工的な匂いがする林は殆どない。
 数少ない例外が図書館で、駐車場や建物の周りに、外国のよく分からない木が何本も植えられている。同じ緑一いっぱいの光景だけど、そこだけ人工的で都会的な……大人びた雰囲気があるから、健也は図書館が好きだった。
 低学年の頃は図書館の前で時々一人遊びに耽っていて、それから成長し、小6になった今では毎週のように本を借りに来るようになっていた。
 寂れたその図書館の利用者は少ない。でも健也が行くといつも必ず先にいる、常連のお姉さんがいた。
 ……今、健也が図書館に来ているのは、彼女を一目見ることが一番の理由だったりする。

「あら、ありがとう」
 どこか時代を感じる……とはいえ最近もなくはない真っ黒のセーラー服を着た女子高生がわざと本を落とした。
 それを、真後ろからついて来ていた健也が、一瞬の逡巡の後にダッと駆け出し、拾って手渡そうとした。
 さっさと拾えばよかったのに、わざわざ健也が拾おうとするまで待ってから拾った女子高生は、薄く微笑んでお礼を言った。健也の頬が赤く染まった。

 二人がいるのは、図書館でも一番奥の本棚のさらに窓側で、周囲には誰もいなかった。
 窓が開いてるわけでもないのに、ひやりとした空気が健也の頬を撫でた。
「お姉さんは、どうしていつも図書館にいるの?」
「……ここから出られないからよ」
「地縛霊なの?」
 頬を赤らめつつも、健也は真っすぐな目で女子高生を、――いや、女の亡霊を見つめた。
 その目に、不思議と亡霊は懐かしさを覚えた。
「……あなた、いつも一人だけど友達はいないの?」
 亡霊はその質問には答えなかった。
「い、いるよ! ……でも僕、いや俺は本を読んでる方が好きだから」
「……読書もいいけど、たまには友達と遊びなさい。その方が健全よ」
 健也は顔をしかめた。母さんみたいなこと言って……と、ぼそりと呟いた。

「で、でも、図書館に来ないとお姉さんと会えないし……」

 揶揄おうと口を開いた亡霊は、結局何も話さずに口を閉じた。
 そもそも亡霊が少年に話しかけたのは、単なる暇潰しだった。霊感もちで、しかも亡霊に興味を持っている人間はこの町では彼だけだからだ。
 こうも子供らしく、不器用かつストレートに思いを伝えられるとは思わなかった。
 だから、揶揄いの言葉を言うのが躊躇われた。
「…………私みたいな亡霊に会いに来るのは、あんまりいいことじゃな」
「お姉さんの話が聞きたいな! お姉さん、どうして幽霊なんかやってるの?」
 健也は彼女の言葉を遮った。それ以上、否定の言葉を言わせないように。
 亡霊は否定してあげるべきだ、と思ったが、その思いは一瞬で消えてしまった。
 それは亡霊の、地縛霊だからこそ逃れられない情念の発露。この世に彼女を縛り付ける後悔を刺激する問いだったからだ。
「……さぁね。いつからここにいるのかさえ、あいにく私は覚えてないわ。……でも死んだ理由だけは覚えている」
 そこで一息ついて、亡霊は虚空を睨んだ。命と共に失った記憶の残滓をたぐる術を持たず、ここにいる運命を呪うかのように。
「――殺されたのよ。この図書館で」


 陽子は自分がいつからこの図書館にいるのか、何一つ覚えていない。
 生前の自分は……たぶん、それなりに幸せだったと思う。
 そう、最期の瞬間までは。

 包丁がわき腹に突き刺さって、すごく痛くて熱くて……そして凍えるように身体が冷たくなっていったのを覚えている。

 そして、何かを後悔した。

 このままあの世に行くのは嫌だ。そんなことを思いながら、陽子は死んだ。
 そして気が付くと、セーラー服姿で図書館に浮かんでいた。

 私はこの図書館で殺されたのだ。そのはずだ。でも……。
 図書館はどこまでもいつも通りだった。誰も死んでいないし、事件一つ起こっていない。
 私は本当に生きていたのだろうか?
 肉体を失ったからか、記憶があいまいではっきりしない。だから、陽子は自分の生涯が確かに存在したと断言することができなかった。
 この図書館に通う、霊感を持ち私に恋慕する小6の子供に「殺された」ことを告げると、子供――健也は、陽子が想像だにしないことを言った。

「じゃあ、お姉さんは未来から来たんだね」

 それを聞いたとき、陽子の目はピンポン玉のように丸くなった。 
「……どうしてそう思うの?」
「調べたからだよ」
 そう言って、どこか自慢げに健也は資料室を指さした。
 そこは図書館の中でも少し特殊なところで……この街の歴史的資料が保存されている所だ。
 当然、図書館についての資料もまとめられている。
「お姉さんが幽霊だって気付いてから、調べてみたんだ。この図書館で殺人事件は起きたことないよ」
「……冗談でしょう? だって今年は2029年のはず」
 そこまで言って、陽子は口元を抑えた。
「え。今、私なんて……」
「今年は2024年だよ」
 やっぱりそうだ、と健也が嬉しそうに笑う。自分の予想が当たったことが嬉しいらしい。
 そんな健也の子供らしい無神経な反応に怒る余裕すらなく、陽子は動揺していた。

 ――そこで一つの天啓があった。

 陽子は、その無神経な、悪意のない笑みに見覚えがあった。
 これまでもちょくちょく感じていた懐かしさの正体を理解する。
 陽子は健也と会っている。――今から見て未来の時間軸で。
「少年、君の名は?」
「言ってなかったっけ。山崎健也だよ」
 その名を聞いて、ついに陽子は全てを――この時代に来た理由を理解した。



「ねぇ、今年の夏休みはどこに行こっか」
「……海かなぁ」
「……エッチ」「なんでだよ」
 その日、私は恋人の山崎健也と図書館に来ていた。
 私自身は別に読書家じゃないし、健也が本好きだと知ったのも付き合ってからだった。
 付き合う前の健也のイメージは……同じバスケ部の「隠れたエース」ってところだ。実力は確かで試合じゃ活躍していたけど……他のバスケ部の連中とはノリが違うというか、物静かであまり人とつるまない人だった。
 物静かだけど誰にでも分け隔てなく優しくて、そんなところを好きになったのだ。
 彼に付き合って図書館に来るうちに、私も時々本を読むようになっていた。
「もうイヤァ! アハハハハ!」
 私達が女性の金切り声を聞いたのは、そんな平和なデートの最中だった。
「どうかしたんですかっ!?」
 健也の判断は早い。即座に叫び声がした方に走るその背を、私は必死に追った。
 叫び声は、図書館のカウンターの方から聞こえていた。
 そこには二人の図書館司書がいた。
 そこには、明確な殺意の残滓があった。

 包丁を持った女が、男をメッタ刺しにしていた。
 男にはもう、命が無いように見えた。
「男なんて……男なんてぇ!」
 泣きながら包丁を振り回す女が、ぎょろりと目を動かしてこちらを見た。
 その貌には、人として当然持つ何かが決定的に欠けていて…………初めて見る表情だが、正気を失っていることはすぐに分かった。
「アハハ……口封じ、しなきゃ」
 監視カメラを背に、そんなことを言いながら立ち上がり、女が走り出した。
「陽子、逃げろっ!」
 必死な声で陽子をかばうように前に出た健也の背をぼうっと見つめ、それから陽子は健也を突き飛ばした。
「よっ……!?」
 健也が驚愕した顔で私の名を呼ぼうとする。……私は、咄嗟の行動に後悔した。身体が動く前に、冷静になるべきだったと思ったが……もう遅い。
 女の包丁が迫る。学生鞄を盾にしようとしたが……そううまくはいかず、包丁は私の脇腹に深く突き刺さった。
 咄嗟に行動したけれど……私には、恋人の代わりに死ぬ勇気なんてなかった。だって、まだまだしたいことがたくさんある。
「じっばい……じだなぁ」
 それが、陽子の最期の言葉だった。
 声にならない獣のような怒声をを上げながら、健也が本気で女を蹴飛ばし、その身体が吹っ飛んでいくのを見て安堵して、陽子は瞳を閉じた。


「…………そりゃ惚れるわけね」
 全てを思い出し、幼い健也を陽子は見つめた。
 この子と四年後、私は付き合い――そしてその一年後に命を落とすのだ。
 今、どういうわけか私は過去にいる。今なら過去を操って……私が生きているIfの未来へと舵を切ることができるわけだ。
 私は死にたくない。だから――。
「何か思い出したの? お姉さん」
 そのあどけない笑みを見て、陽子はもう何も言えなかった。
「少しね。……好みのタイプを思い出したの」
「へ、へぇ~。ど、どんな人?」
 幼い健也は、分かりやすく動揺していた。
「スポーツが得意な人。特に、バスケ部の同級生とか好きだったわ」
「バスケかぁ。僕、得意だよ!」
「うん、知ってるわ」
 顔に疑問符を浮かべる健也を見てクスクスと陽子は笑い、しゃがみ込んで健也の頬にキスをした。
「!」
 健也の顔が、林檎のように赤く染まった。
「読書もいいけど、運動も頑張りなさい。……そうしたら、また会って話してあげるわ」
「ホ、ホント!? 約束だよ!」
「ええ、約束。……だから健也君も約束して。バスケも頑張って、それから……そうね、人助けもいいけど、自分のことも大切にね」
「うん!」
 陽子はもう一度笑うと健也の頭を撫で、スッと幽霊らしく姿を消した。
 健也は周囲をきょろきょろした後、もう陽子がいないと分かると大きく息を吸い、図書館の中を走ってスポーツのエリアへ直行した。バスケの本を探すつもりらしい。

『これで、未来はどうなるのかしら……』
 未来がこれで変わったのか。それとも、この過去改変が、私が死ぬ未来へ繋がるのだろうか。
 ただの幽霊の陽子には、未来のことは分からない。でも、あのままだったらきっと健也はバスケに興味を持つことはないだろう。
 そしてその場合、陽子と健也が付き合う可能性はゼロだ。きっと出会うことさえないだろう。
『やっぱり私、健也が好きなのね……』
 死の瞬間の後悔が消えていく。自分が命を代償に救った人が、ずっと優しくて。
 彼と出会うことができてよかった、彼を救うことができてよかったと、心から思った。
 陽子が消滅する。それは、未来が変わったからか。それとも満足して成仏したからか。
 この時間軸では、それは誰にも分からなかった。

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