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もぐらが地上に出ても死ななかった、みたいな話

noteを始めた時点ではプロフィールに書いていなかったのだけれど、最近追記したくだりがある。

『引きこもり歴15年』

特に肩書もない一般人故に、他のクリエイターさんのような個性がない中、強いて人と違う点を挙げるならばこれかな、と思ったのだ。

私の子供時代といえば、とにかく協調性がなかった。そうこうしているうちに、(周りに対して申し訳ない)という感情が芽生え、ある日を境に学校に通わなくなった。きっかけはそんな風に記憶している。

当初は深夜にコンビニに出掛けるぐらいはしていたが、だんだんとそれも無くなり――。

外の世界に耐えられない自らの存在などなんの価値も感じられず、このまま自然になり自分でなり死んでゆくものだとばかり思っていた。

家庭の中での居場所などあろうはずもなかった私にとってのひとつの転機は、『祖母の引き取り同居』であった。両親が共働きであったため、何もしないのもさすがに申し訳ないと、少しずつ行動を始めた。

まずは、身なりを整えた。

家族に対しては何も思わなくなっていたが、幼い頃以来久々に会う祖母に対しては、「この姿見せるのが恥ずかしいな」という気持ちになり、自らハサミを手にとって髪をバッサリ切った。きちんとお風呂にも入るようになった。

次は食事の準備。

「大丈夫、『美味しんぼ』読んだことあるから」と自らに言い聞かせ、見様見真似未満の技術で作っていた。『インスタント味噌汁の具の袋とキュウリの酢の物』がいちばん喜ばれていたように思う。

と、そうこうしているうちに、最終的には下の世話までやっていた。もっとも、祖母を日常的に介護していた母に対して、あからさまに私のほうにばかり感謝の態度を示していたため、そこに親子ともども複雑な感情は生まれたりしていたのだけれど……。

そんな祖母も、やがて体調を崩し入院し、お迎えのときが来た。

葬儀に出席し、初めて会う親戚とも普通に会話していた時点で、いろいろ克服していたのだと思う。

家庭内での役割が無くなった私が次に思ったのは、『社会での役割がほしい……』ということ。

こうして、祖母が亡くなった2週間後には、自立支援施設の門を叩いていた――。

というのが、私のストーリーです。

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