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市民と政府の微妙なバランス

国には、その体裁を保つ上からも、外殻としての「政府」がしっかりと確立されている必要があります。これは言うまでもないことです。

とはいえ、その「政府」の維持が唯一無二の最終目的となっているようでは、お先真っ暗です。というのも、国を発展させる原動力は、その構成要素である「市民」の創意工夫にこそ求められるものだからです。つまり「市民」には、その活動を抑圧されることなく、ある程度自由に動くことのできる余地が確保されている必要があるのです。

それを忘れてしまった国は、結局のところ、その実権を握る少数の者たちを崇拝する権威主義や独裁制に流れていくばかりです。これでは、国としての発展など望むべきもありません。おかしくなった「政府」は糺されなければなりません。

そしてもし、国を維持・形成する「政府」がしっかりとして在るならば、「市民」はその恩恵を、自由闊達な社会・経済活動を通しての発展・繁栄に替え、「政府」はそれを原動力として、またその国としてのあり様を盤石なものにする―そうした循環を維持することが理想なのです。だからこそ、両者は互いに最低限の敬意は抱きつつも、不即不離の関係を築いていく必要があるのです。

そのどちらの役割を追うのかは、国民一人一人の指向や資質に負うのでしょう。ただ例えそのいずれの側に身を置くことになったとしても、互いが互いにとって必要不可欠な存在であることに変わりはありません。どちらかが強くなりすぎたり、悪戯に反目し合うことがないよう、努めるべきなのでしょう。

これはもうバランス、塩梅の問題です。そしてそのバランス、塩梅を保つことこそが、わたしたちの国を考えていく上で、わたしたち国民一人一人に託された、何よりも大切な役割だと思うのです。