暇・人

暇に任せて、「=」と「即ち」を探します。基本的に個人的な見解、というか、ほぼ独断と偏見…

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暇に任せて、「=」と「即ち」を探します。基本的に個人的な見解、というか、ほぼ独断と偏見に基づくものであり、かつ、その企みのほとんどにおいて失敗が見込まれます。悪しからず。

最近の記事

イノシシくんの生息確認―その5―

長かった夏も、とうとう終わりを迎えつつあるようです。そんな中、イノシシくんについては長いこと、あまりはっきりとした痕跡を目にすることがありませんでしたが、かつてはよく掘り返された跡の見られた辺りに、久しぶりに大胆な掘り返し跡を見つけました。まあ、見つけたというよりは、いつもの通り道の横が掘り返されていた、というのが正確なのですが…。 このところは、山の麓の散歩道で、放置されたままの糞を目にすることも増えています。散歩中の犬の糞が放置されていることはあまりありませんので、やは

    • いい加減なゴーヤ栽培2024⑬

      そろそろこれで今季も収穫は終わりかなあ、と思うこの時期。それでも、何を勘違いしたのか、今になって芽を出してきた強者がいました。もちろん、今頃になって頑張ってみても、到底活躍は期待できません。どうせなら来年の春まで待っていれば良かったのに。 実際、過去にたった一度だけですが、冬を越して、種まきをする前に芽を出した強者がいました。 結構出鱈目に種を蒔いていますので、実は芽吹いたそれぞれが、そのシーズンに蒔いたものなのか、あるいは以前のシーズンに蒔いたものなのかは、分からないの

      • いい加減なゴーヤ栽培2024⑫

        前回、“最後の望み、あるいは希望”としてご紹介した実が、気が付けば黄色く色付いていました。思ったほどの成長には至らなかったようです。 すでに裏側が破け、赤い種が覗いていましたので収穫しました。 サイズ的には、依然たった1つしか種が採れなかったものと大差なかったのですが、質を優先させたのか、しっかりとした種が3つ採れました。 掲載した画像のちょうど上の方には、また小さな結実が見られますが、そろそろ気温も下がり、葉もすでに勢いをなくしています。一体今後成長してくれるものか、こ

        • いい加減なゴーヤ栽培2024⑪

          この間に、葉陰に隠れているのを見逃していた実が一つ、黄色く熟してアピールしてきました。ただ成長具合はもう一つだったようで、採れた種は一つきりでした。 現在、最後の望み、あるいは希望となっているのが、辛うじて生きている緑色の実一つ。まだまだ数cm程度の小さなものですが、依然として成長の可能性を残しているに違いない、という希望的な観測を胸に、機会を見つけては見守っています。 近くをちょっと質の悪そうな虫が這っていましたが、件の実には特に興味がないのかスルーしてくれ、ちょっと安

        イノシシくんの生息確認―その5―

          雑録:小説Aについて(5)

          当初、明治維新の前後の設定で考えてきましたが、やはりどうもこれといったモデルが見当たりません。面白そうな人物は二、三発掘できたのですが、掻き立てられた興味の中身は、どうもこちらの話とは馴染みそうもありません。 それに、本来であれば今回の作品のスプリングボードになるものと期待もしていた、以前に手掛けたことのある習作の存在が、むしろ今回の試みの障害になっていることに思い当たったのです。 その習作というのは、古代を舞台に、今回試みようとしたのと似たような建付けで書いてみたもので

          雑録:小説Aについて(5)

          いい加減なゴーヤ栽培2024⑩

          ぼーっとしていたら、9月を迎えていました。 前回の報告から間もなく、小さくして熟した実が一つあり、さらに2つの種が採れました。これで合計44個。 が、その後は成果を得られていません。いくつか結実はしたのですが、うまく育たず、小さいまま黄色くなってしまうのです(画像参照)。 葉も、新しいものは全体に小ぶりなものばかりで、すでに今シーズンのピークは過ぎてしまったようです。 ただそうは言っても、まだ成長を期待させる元気な結実もないではありません。気温の方も、まだまだ高い日が続

          いい加減なゴーヤ栽培2024⑩

          時々突きつけられる、不都合な真実

          生き物には寿命があります。永遠に生き続けられるわけではありません。ですがほとんどの場合、私たちはそれを忘れて過ごしています。忘れていることができるのです。 でもたまに、避けようのないこの真実を突きつけられ、狼狽えることがあります。親族や友人、ご近所、同僚、ペットといった関係者に訪れる死を気取った時です。 私たちは色々なことを感じ、考えます。少なからず尾を引くこともあります。当たり前のこととは言え、普段はすっかりと忘れているので、それだけダメージが大きいのです。 でも、こ

          時々突きつけられる、不都合な真実

          生成AI画像と人物画像

          たまにソーシャルメディアを覗き見します。それで最近思うのが、AIによる生成画像、特に人物画像の進化ぶりです。もちろん、「多分そうだろうな」と分かる程度ではありますが、それにしても高い完成度に達しています。あるいは、そう思い込んでいるのはこちらの勘違いで、実写だったりするものも混じっているのかもしれませんが。 これだけ完成度が高くなると、もう現実に縛られた実写画像よりも、妄想を限界まで膨らませた生成AI画像の提供する世界の魅力の方が勝りそうな勢いです。 ところで、そうした半

          生成AI画像と人物画像

          いい加減なゴーヤ栽培2024⑨

          大分と間が空いてしまいました。先日の第1号を皮切りに、4つほどの実から種を採りました。合わせて42個。内4つは、随分と白っぽいので、発芽に至るのかどうかは分かりません。 これ以降は、小ぶりな実が一つ、随分と色づいてきましたので、そろそろ取り入れ頃かもしれません。 その後も、3つほどは結実が認められるのですが、思ったほど成育が進んでいないため、今後、採種にまで至るのかは?です。実際、別の一つは、結実が認められたサイズのままで色づき、成長には至らなかったようですので。 いず

          いい加減なゴーヤ栽培2024⑨

          死者の選択

          「死人に口なし」と言われます。どれだけ過酷な死を強いられても、死者はそれを告発することが適いません。場合によっては、何もかもがなかったことにされてしまいます。 それならまだしも、場合によっては、自らの死を、自らを陥れた者たちにとって都合の良い物語へと編み直され、悪用されてしまうことも少なくありません。 しかしながら、この国に連なる死者には、今一つの選択肢が用意されています。祟ることです。自ら出て示す。 私は、「英霊」とされる方々は、後者を選択して然るべきではないかと、常

          死者の選択

          政治と宗教

          政治と宗教が接近すると、怖いことが起こりかねません。それは、日本の近現代史でも見られたことなのですが、今日、ちょっと気になる記事を目にしました。 靖国神社が近隣国から目の敵にされている大きな原因の一端は、いわゆるA級戦犯の合祀にあります。この件に関しては、国内でも色々な議論がありますが、靖国神社の言い分はは、一度合祀したものを分祀することはできない、ということのようです。宗教的な信念に基づくものでしょうから、その是非については、一旦置いておきましょう。 ただ、政治家の方は

          政治と宗教

          いい加減なゴーヤ栽培2024⑧

          先日、今年度初の収穫をしました。位置的に、修正結実第1号と思われます。 20cm足らずのものですが、特にそれらしい肥料をやったわけでもないので、まずまずのものだと思います。 食用としての収穫は、まだ実が緑のうちにするのでしょうが、わが家の場合はあくまでも種を残すことが目的。よって実全体が橙色に染まった時期を狙って行います。 取り立てのころは、まだ一部緑色が残っていましたが、しばらく置いておく間にそこも橙色に変わり、実の中央がぱっくりと裂けて、中から真っ赤な種が覗きました

          いい加減なゴーヤ栽培2024⑧

          私の祈りの対象

          私は、意外と祈る人です。ただ我ながら不思議に思うのですが、自分が一体何に対して祈っているのかは承知していません。 それは可笑しいだろう、という声が聞こえてきそうですが、本当にそうなのですから、致し方がありません。この世知辛い世の中、寄りかかる対象はあってしかるべきだと思っているのですが、ではそれがどこの誰であるべきなのかはないのです。 といって、呼び名のない相手に祈るのも難しいので、便宜的に「主」を借用しています。これは研究の過程で、旧約聖書に親しんできたことが手伝ってい

          私の祈りの対象

          「〇〇語は簡単ですよ!」の罠

          古典文献を研究するため、いくつかの古典語や現代の外国語を学んできました。どれもこれも、とりあえずは文字の判別と、簡単な語彙が頭に入る程度までが関の山で、その道の達人になどは遠く及ばない。事実上の「かじった程度」で今に至ります。 ただ、そうして複数の言葉を学ぶ中で、それぞれの機会に、似たような言葉を耳にしてきた気がします。「〇〇語は簡単ですよ」―。 この一言は、これからある言語を学ぼうとしている者にとって、大いなる福音のようで、実は大きな誤解を植え付ける危険な囁きでもありま

          「〇〇語は簡単ですよ!」の罠

          イノシシくんの生息確認―その4―

          散歩道の目的地、動物霊園へと向かう道すがら、道端に連続して食事の痕跡あり。そして、雨上が小川の小橋を渡った砂地にも。こちらは獲物がいたからなのか、反対にあまりいなくて探し続けた結果なのか、鼻跡や足跡と思しきものが、あちらこちらに残っていました。 雨あがりだと掘りやすくなるからか、はたまた彼らのお目当てが浮いてくるからなのか? それは分かりませんが、いずれにしても、彼らは引き続き元気に生きているようです。 PS 帰り道、桜並木の桜の根元にも、掘り返した跡がありました。

          イノシシくんの生息確認―その4―

          いい加減なゴーヤ栽培2024⑦

          先日、結実の第1号をご報告したのち、実は「あ、ここにも実がなっている。というか、こちらの方が育っているじゃないか!」という、正真正銘の第1号と思しき実を発見。前信を訂正するために写真を撮ろうとすると、早いものでもう10センチ以上の長さにまで育っていました。 このところは、水遣りをサボると、葉がシナシナ・だらりとなってしまう危険を感じます(実はすでに一度、すんでのところで救出したのですが…)。そのうちには梅雨も明け、また猛暑・酷暑の日々を迎えることになるのでしょうから気を付け

          いい加減なゴーヤ栽培2024⑦