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時々突きつけられる、不都合な真実

生き物には寿命があります。永遠に生き続けられるわけではありません。ですがほとんどの場合、私たちはそれを忘れて過ごしています。忘れていることができるのです。

でもたまに、避けようのないこの真実を突きつけられ、狼狽えることがあります。親族や友人、ご近所、同僚、ペットといった関係者に訪れる死を気取った時です。

私たちは色々なことを感じ、考えます。少なからず尾を引くこともあります。当たり前のこととは言え、普段はすっかりと忘れているので、それだけダメージが大きいのです。

でも、これはどうしようもないことです。仕方がないことです。致し方がないのです。せめて、自分を責めることだけは控えましょう。それはもちろん、自分に死の影が覆い被さってきた時にも。

彼ら、彼女らとの想い出は、そのまま残ります。ただ更新されなくなるだけです。少なくとも自分が生きている間には。まあ時には、都合よく書き換えられることもあるようですが、それはそれとして勘弁してもらいましょう。

ほとぼりが冷めると、私たちはまたそれを忘れます。あるいは、少なくとも自身には関わりのないことのようにでも感じ始めます。何の根拠もなく。でもきっと、それで良いのです。いや、むしろそれこそが、私たちが生きていくために、最も大切な能力であるやも知れないのですから。