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第二十二話 バンド結成と卒業ライブ

三年生になって、本格的にバンドを結成することになった。

毎回貸しスタジオに行くとお金がかかりすぎるし、自宅では音が出せないという問題があって練習場所が一番の問題だった。それを解決してくれたのが一つ上の高校生の先輩だった。先輩の家は笑ってしまうくらいの田舎で辺り一面が田んぼで囲まれていた。一番近所の家でも100Mくらいの距離があった。そこの納屋を夕方までなら使っていいという事になった。

先輩はノリオの走り屋のチーム(一緒にされがちだが、走りのチームと暴走族は違います)の先輩で、電車で5駅ほどの高校に通っていた。ある日先輩が高校の一学年上の先輩を遊びにつれてきていたのだが、私と顔を合わせてお互いビックリした。私が実家にいたころの先輩だったからだ。もちろん姉のこともよく知っていて、姉が東京に行ったのもその先輩から聞いた。

みんなで機材等を運び入れて、ちょっとしたスタジオのようになった。後はどのバンドのコピーにするかを決めて練習するだけという所まで来て、皆で話し合った結果、ZIGGYのコピーをすることに決定した。

音楽にはスコアという楽譜があるのだが(私は素人なのでよくわからないが)それを見なくても、楽器をやっている人は一度聞くと同じようにその曲を演奏できることに感動した。バンドをやってみたかった私を、お情けでキーボードにしてくれたのだが、最初の頃は音が全然取れず皆に迷惑をかけてばかりだった。

私はノリオが貸してくれた小さめなキーボードを持ち運びして練習することになった。とはいっても、普段はそれぞれの楽器を自宅で練習するので、週に一回皆で合わせるといった感じだった。

ちょうど部活をさぼり始めて、やまちゃんと遊びまわっている時期だったので、週一回の皆での練習は良い気分転換にもなっていた。

メンバーは全員楽器好きで、暇さえあれば楽器を触っているような奴らばかりなので、集まっての練習もいつもスムーズで、ほとんどの時間を私の練習に付き合ってくれていた。

とりあえずの目標は卒業に合わせてライブをやること。卒業したら皆バラバラになるだろうから、最後に記念にしたいなという事で。それに向けての練習も含め、私の中でもいい思い出として残っている。

卒業ライブは市の施設の貸しホールを使っておこなった。大勢の友達が来てくれて、私もなんとか無事に演奏出来て最高に楽しかった。

今回はサラッと書きましたが、練習から本番にかけてとても密度が濃い、充実した期間でした。ZIGGYを知らないよって方は、You Tube等で聞いてみて下さい。次回は祖母の家に行ってからの話や、今になって思うことなどを書いてみたいと思います。

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次回に続く

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