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七人のフレンド

私は文章をよく書くのだけど、エッセイは書かないのかと、だいぶ前に仕事関係の先輩に聞かれた。
そういえば書いたことがない。
その人にnoteなるものを勧められてざっと見てみたのだが、どうもうまく書ける気がしなかった。
年齢のわりに自分が痛いことをよく知っているので、エッセイというか自分のことについて書くのが苦手なのだ。もともと文章も冗長でうまくない。
基本的にTwitterも苦手である。
インスタもすぐ飽きた。
私は飽きっぽい。
なのでnoteもすぐに書かなくなると思う。

しかし、好きなものに対してはわりと粘着系である。
「オタクは飽きっぽい=私はオタク=私は飽きっぽい」
と思っていたのだが、先日友達に「ひまさんはハマるとなんでも長いよね」と言われた。
私はいまハマっている推しカプがふたつある。片方はハマって二年半ぐらいだ。二年半は長くない。少なくとも私の中ではニュージャンルである。だけど友達は、「二年半は長いほうだよ」と言う。その正否はともかく、確かにもう片方の推しカプは自分でも長いと思う。みずから二次創作する前のROM期間を入れると十年以上になる。こわい。
「子供でいったら小学校卒業してしまうじゃん」
と、友達に言われた。なぜ、義務教育の年数で数えるのだ。

言われてみると、好きなものは細々長くしつこくやっている気もしなくない。
たとえばポケモンGOだ。
私はポケモンが好きなのでリリース開始日からプレイしているが、いまだ遊んでいると、「まだやってるの!?」と驚かれる場合がある。
私は(これだから素人は……)みたいな顔になりかけるのを我慢して無難に返す。
「もうだいぶやってる人を見かけなくなりましたよね」

全盛期社会現象になり、マナーの悪さゆえに起こる事故で批判されることもあったアプリだが、栄枯盛衰。いまはみんな、ウマ耳がついた女の子とかに夢中なんだろうか。私ははやりのものがよくわからない。この世のはやりものがほぼミリしらである。

でもポケGOほどコロナ禍が災いしたゲームはないのではなかろうか。
このゲームはスマホを持って出歩き、道端のポケモンをつかまえ、見知らぬ人と共闘し、伝説のポケモンをゲットしてその場を立ち去るゲームである。
卵をかえすのもリアルで歩かなければならない。

コロナ禍の前、コミュニティ・デイと呼ばれる日はいつも地元駅前の商店街を行ったり来たりしながら歩いていた。
シャッターが何年も閉じられている店舗もあるが、わりと活気のある昭和な雰囲気の商店街だ。
コミュニティ・デイは土曜日か日曜日におこなわれる。
土日は商店街も人出が多いので、ポケGO目当ての人と買いもの客で通りはごった返していた。
トレーナーたちは何年も前に閉店した店のシャッター前にそっと集まって無言でスマホの画面をくるくるし、あらかた狩りつくすと通りに戻って颯爽と歩きだす。みんなマナーがよかった。
私はお腹が空いたら商店街のおそば屋さんか喫茶店に入って涼んだり、ときにあたたまったりしながらポケモンをゲットし、小腹を満たしたあとはまた通りを行ったり来たりする。

三時間でたくさんの距離を歩いて帰るのは気持ちがよかった。
そのささやかな楽しみが新型コロナウイルス感染症のせいで全部なくなってしまったのである。

もちろん、公式側もいろいろ対策はしていた。
たとえばコミュニティ・デイの時間を延長したり、ジムバトルやレイドのときはプレイヤー同士が密集しないよう、以前と比べて倍の距離でポケストやジムに接触できるようになったりしていた。
おそらく家でもポケGOが楽しめるようにと、ひととおりのことはしていたように思う。
だけど私は歩きながらのコミュニティ・デイを過ごすのが好きだったのだ。
家でやるコミュニティ・デイはなんだか味気ない。

ちょっとここで時間が前後してしまうのだが、ポケGOのフレンドについてご紹介したい。
私は友達が少ないので、フレンドの数も少ない。
当初フレンドになってくれたのは長年のつきあいがあるリア友二人と、一緒に合同誌を出したことがあるYさんだけで、その三人もいまはまったくログインしていない様子である。

コロナ禍以前、公式が招待してくれるEXレイドに出かけると、私以外のほとんどのトレーナーが顔見知りらしく和気あいあいとやっていた。面子はおじいちゃん、おばあちゃんばかりだった。
ポケGOはプレイヤーの平均年齢がかなり高いと思う。
たぶん、高齢層のポケGOトレーナーはDSのポケモンなんて触ったことがない人ばかりではなかろうか。
その証拠に聞き耳を立てていると、「あの赤いのと青いのが欲しくてさ」と、言っているおばあちゃんたちがいる。
赤いのと青いポケモンはいっぱいいる。グラードンとカイオーガかな? ラティアスとラティオスかな? ナゲキとダゲキかな?
おじいちゃんとおばあちゃんたちは、ポケモンをあまり固有名詞で呼ばない。でも、いつだってすごく楽しそうに話をしている。病院とか愛犬の話を交えながら、所有する伝ポケの数について誇ったり「鯉はもういい。飴がめちゃくちゃあるのに」と、私の愛するコイキングの悪口を言ったりしていた。そうやって楽しんでいるおじいちゃんおばあちゃんたちはまぶしかった。

ある夏の夜、私は散歩へ出かけた。夏は夜間に散歩するようにしている。ポケGOがリリースされて翌年の、真夏のサンダーレイドのときにぶっ倒れてしまった私は、回復するのに一週間もかかった。以来、真夏の昼間にポケGOはあまりやらないようにしている。

自宅からすぐ近くに鬱蒼とした木々に囲まれた公園があるのだが、そこはいつも青のトレーナーたちにジムを占拠されている。
たぶん、日本は広島と埼玉を例外にすれば青チームのポケGOトレーナーが多いと思う。
私は赤チームである。
みんなになんで赤なの? と聞かれたのだが、レッドさんが好きだったからだ。

家を出るときにポケGOをたちあげ、いつものコースを歩きだしていた。
ふと画面を見ると、近くの公園で誰かが青いジムを相手に戦っているのがわかった。ポケGOはジムで誰かが戦っていると煙があがっているようなエフェクトが出る。
この公園のジムは常に青チームに占有されていると先述したが、戦っている人がいるからにはその人は赤チームか黄チームだ。
私は公園の中には入らず、通り沿いの壁にもたれて通行人の邪魔にならないようジムバトルに参戦した。
やっぱり誰かがいた。
ゲーム画面のなか、戦っている私のカイリキーのななめ向かいに一緒に戦うポケモンがいる。
公園ジムに配置されたポケモンたちは木の実ですぐに回復してしまうが、私たちはしつこく食いさがって戦い、ジムを奪取した。
たぶん、十五分以上はやりあっていたと思う。
私の足はいっぱい蚊に刺されていた。

先に戦っていたトレーナーさんが、手持ちのポケモンをジムに配置するのを私はじっと待っていた。
その人が黄チームでも構わない。今宵はいい共闘をした――などというのは建前で、内心画面を見つめながら(赤! 赤の人でありますように!)と祈っていた。人間ってさもしい。

見知らぬ共闘相手は赤チームの人だった。
ゴリゴリに強化されたハピナスが新しく赤に生まれ変わったジムにぽつんと一人でいたので、私はカビゴンをすぐジムに入れた。
大満足して散歩コースに戻ろうとしたときである。突然横合いの道から出てきた人が、「あの……」と、私に声をかけてきた。
私はびっくりした。
暗い道と暗い公園。車通りはあるけれど、人は滅多にとおらないような住宅街である。街灯の光がスポットライトみたいに路傍に落ちているところに華奢なおばあさんが進み出てきた。その手にはスマホがあって、ポケGOの画面が煌々と光っていた。

ずっとポケGOをやってきていたが、見知らぬ人に話しかけられたのはこれが初めてである。上品そうなおばあちゃんは言った。
「赤の人ですよね? あの、よかったらフレンドになりませんか」
これが私と、四人目のフレンドになるおばあちゃんとの出会いである。
そのおばあちゃんは華道家だと言った。
聞けばポケモンは全然知らないのだが、娘さんと一緒にポケGOをしているらしい。
「今日は私一人で出かけたから、娘はいないんだけど」
おばあちゃんは笑った。技とかなんにもわかってないでやってる、と言うおばあちゃんのアバターは、全身課金アイテムの洋服とアクセサリーできらびやかにコーディネイトされ、ミュウツーがいかめしい顔で横に立っていた。
私はおばあちゃんとレイドをしたあと、ポケモンを交換して別れた。
おばあちゃんの爪はとても長くて、サロンで施されたのだろうネイルアートが印象的だった。一緒に並んでレイドをしたとき、おばあちゃんの爪が割れんばかりにスマホの画面に叩きつけられるさまが強烈でもあった。

家に帰ってポケGOを開いてフレンド一覧を眺める。
四人目の、現役バリバリのフレンドがうれしかった。
しかし、目に入ったバトル勝利数に私は度肝を抜かれた。
当時レベル40でカンストしている人はかなりやりこんでいる人という認識であったが、それにしたっておばあちゃんのバトル数は凄まじかった。
私はレベル35ぐらいだったと記憶しているのだが、歩いた距離やつかまえたポケモンの数はおばあちゃんとさして変わらなかったのに、バトル勝利数は四倍以上の開きがあった。
どんだけジムバトルとかレイドとかやってるんだろう……あの上品そうなおばあちゃんの綺麗にマニキュアされた長い爪と、数千におよぶバトル勝利数が結びつかなかった 。

おばあちゃんと私は微妙に住んでいるところが離れていて、初めて出会ったあの夜は、うちの近所までたまたま遠出の散歩にきていたらしい。なかなかその後は会えなかったが、EXレイドに招いてくれたりして、私は仕事のうち合わせ先からタクシーで駆けつけて参戦したりした。
思っていたとおり、おばあちゃんはあらゆる人と知りあいだった。
ここにいる全トレーナーと知りあいなのでは? と思うくらい、次から次へとやってくる人たちと挨拶を交わしている。私はおばあちゃんの横で目を白黒させていた。
おばあちゃんを師匠とか、先生とか呼ぶ人もいた。バトルの猛者だからそう呼ばれているのか、お花の先生だからそう呼ばれているのか私は気になった。
おばあちゃんからは毎日ギフトをもらった。おばあちゃんは旅行も好きなのか、ときどき他県のポケストのギフトも贈ってくれた。へー、おばあちゃんいま石川県にいるんだ、いいなー。そんな平和なあんばいだった。
これからもおばあちゃんとはときどき会えると思っていたし、会えると信じていた。

しかし新型コロナがやってきたのである。

毎日ログインしてギフトを贈ってくれていたおばあちゃんが、あまりログインしなくなっていった。
――おばあちゃん、元気かな。
私は思った。
お歳を考えれば当たり前のことで、きっと外出しないように家族からも言われているのだろうと察した。
ポケGOでメッセージのやり取りができないのを、このときだけは不満に思った。
ひとこと、おばあちゃんに尋ねたかったのだ。
『お元気にしてますか?』

かくいう私も、以前より目に見えてログインしなくなった。
歩かないのだから当たり前である。
ログインしない日々が続き、ポケGOのイベント関連もチェックしなくなっていった。
お香の弱体化がさらに拍車をかけた。
外出しないでポケGOをやるなら、お香は命綱といってもいい。なぜ、そこを下方修正するのか理解できなかった。そのうちコミュニティ・デイの開催時間も三時間に短縮された。これはナーフというより、もとの仕様に戻ったのだが。ここで私は遅ればせながらようやく気づいたのだった。ナイアンティックは『もう外に出て歩いていい頃だろ?』と言っている。日本はまだまだとんでもない感染者数だったが、ナイアンティックは外へGO! と言っていた。
しかし私は以前ほどポケGOに魅力を感じなくなっていた。いや、単におっくうになっていただけかもしれない。コロナ禍は、もともと薄かった『外へ出たい!』という私の意欲を根こそぎ奪っていった。
――コミュニティ・デイのときだけ参加すればいいか、色違いほしいから。
そんなふうに思うケッキングな自分のほうが強かった。

五月のある日、私がポケGOを惰性でたちあげるとウォーターフェスティバルなるものが開催されているのを知った。
第七世代のシズクモが実装されたらしい。
へーと思いながら、自宅に出たポケモンをつかまえ、ポケストをまわす。
リサーチ画面をよく見ると、ウォーターフェスティバル期間中につかまえたポケモンの数を表示していることに気づいた。
私は近所に出たポケモンを全部つかまえたので、合計5匹と表示されている。

実はあれから私はフレンドがまた増えた。初期のフレンド三人は相変わらずログインしていないが、新しくフレンドになってもらった三人の方々がいて、ときどきギフト交換をしている。ランクマガチ勢のAさんと、行きつけの肉バルの奥さんと、冒頭で「子供でいったら小学校卒業してしまうじゃん」と言われるくらい長いことハマっている推しカプの描き手さんである。
つまり、いま私には合計七人のフレンドがいるのだった。

ポケGOもリリースされて今年で六年目だ。
小学生だったら最終学年である。
六年やってフレンドが七人なら、コミュ障傾向の私にしては上出来なほうでは? と思った。

Aさんは剣盾の上位ランカーなのだが、ポケGOはやっていないというのでHomeと連携してはじめるのを勧めたらすぐプレイしてくれた。去年はじめたばかりなのにすごい勢いでレベルをあげている。Aさんがウォーターフェスティバルで8匹のポケモンをつかまえたことを示している画面を見て、私ももうちょっとポケGOがんばろうかなと思った。

ところがだ。
おばあちゃんのポケモンゲット数を見たら、275匹と表示されていた。
ウォーターフェスティバルは、はじまったばかりである。
私が5匹でAさんが8匹なのに、おばあちゃんはもう275匹もつかまえている。
どういうこと? そう思いながら一人、家のなかで吹きだしてしまった。

あれから毎日のようにポケGOから通知が来る。
おばあちゃんがレイドバトルに招待してくれるのだ。多いときには一日三回もくる。ためておいたリモートレイドパスがすっからかんになってしまった。
おばあちゃんが元気に街を歩いているみたいでうれしい。
私は基本無課金勢だが、何年も遊ばせてもらっているゲームにはお布施の意味で課金をすることにしている。
ポケGOも三年目のときに課金した。
今年で六年目ならまた課金してもよい時期だ。おばあちゃんから次のお誘いがくるまでにリモートレイドパスを増やしておきたい。

いまだ七人のフレンドたちにはなかなか会えていない。いつかまたみんなとどこかで会えたら「ポケGO、一緒にやりません?」と聞いてみたい。そして、おばあちゃんが末永く元気でポケ活してくれるように祈っている。

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