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パン職人のサイアーライン

はじめに

競走馬の世界にはサイアーラインという言葉がある。馬における、父方の系譜のことだ。

例えば、昨年2022年に最も活躍した日本の競走馬が受賞する年度代表馬はイクイノックスであるが、その父馬はキタサンブラック。そのまた父馬はブラックタイド。そのまた父馬はサンデーサイレンスという具合に、父馬を辿っていくことができる。競走馬の繁殖は人間によって厳密に管理されるため、生誕した馬の父馬は明確に判明しており、すべての競走馬はサイアーラインの図のなかに記載することができるのだ。そして、面白いことに競走馬の世界では、父の系譜を辿っていくと、必ず三大始祖であるダーレーアラビアン、ゴドルフィンアラビアン、バイアリータークの3頭のどれかに辿り着くと言われている。

料理人(シェフ)の世界では、師匠から弟子、先輩から後輩に、料理の技術や考え方が引き継がれることが多分にある。もちろん、競走馬のように血が繋がっているわけでは無いが、競走馬が父馬の特性を引き継ぐのと同じように、料理の特性は引き継がれているように思う。例えば、グルメ本を読んでいると、人気店の〇〇で働いていたシェフがついに独立という記事をよく見かける。人気店から独立するシェフは、また新しい人気店をつくり出すことはよくある話である。パンに絞ってみると、その引き継ぎの要素がより強く反映されると考えている。料理という広い範囲から、使う材料や機材のカテゴリもかなり絞られるからだ。

前置きが長くなってしまったが、本日は、日本の人気パン職人の出身店舗や師匠を辿った先に辿り着く以下の5人のシェフ(教授も含まれている)、つまり、パン職人のサイアーラインをご紹介していきたい。(本当はあと2,3人含めたいが、記事が長くなりすぎるので、絞らせて頂く。)

①Raymond Calvel(レイモン・カルヴェル) 
②Eric Kayser(エリック・カイザー)
③Pierre Buch(ピエール・ブッシュ)
④Ivan Sagoyan(イワン・サゴヤン)
⑤Masaki Asano(浅野正己)

1点、解説の前に強く断っておきたいのが、この系譜に入っていないからと言って、美味しくないに繋がることは無いということである。独学で美味しいパン作りをされている方もいらっしゃるし、師匠の教えを反面教師に独自のパン作りを編み出した方もいらっしゃると思う。お笑いコンビのダウンタウンもお笑いの学校は出ているが、師匠を持たない笑いの職人である。

この系譜を知ることによって、自分の好みのパン屋さんや自分が学びたいパンが見つけやすくなったり、食べる時の新しい楽しみになったりするので、じっくり読んで頂きたい。逆にもし、背景など情報無しに純粋にパンの味だけを楽しみたい方がいらっしゃれば、即この記事を閉じて欲しい。

では、1人1人解説していく。

パン職人のサイアーライン

①Raymond Calvel(レイモン・カルヴェル)

レイモン・カルヴェル氏(ドンクWebサイトより)

1913年生まれのレイモン・カルヴェル氏は、日本に初めて本場のフランスパンを伝えた人として知られている。フランスパンの神様とも言われている人だ。日本と関わるきっかけは、1954年に日本全国の17会場で開催された国際パン技術講習会であった。当時、フランス国立製粉学校の教授であったカルヴェル氏は、世界各国を周り、フランスのパンの技術を広めていた。その講習会に参加し、感激の涙を流した一人が、当時33歳の青年社長だった「ドンク」の3代目代表藤井幸男氏である。ドンクは初代藤井元治郎氏が1905年に藤井パンとして創業し、パンの製造販売をしていたが、カルヴェル氏の作ったパンとは全く違っていた。藤井氏は何としても本場のフランスパンを日本で販売したいと考え、10年後の1964年2月、フランスへ渡りカルヴェル氏の自宅を訪問する。そこから1965年に日本で開かれる国際見本市にフランスパンのブースを設けるまでに話が発展し、カルヴェル氏の推薦で来日した氏の弟子が、若干22歳のPhillippe Bigot(フィリップ・ビゴ)氏である。

フィリップ・ビゴ氏(日経新聞より)

カルヴェル氏が日本に初めて本場のフランスパンを伝えた人ならば、ビゴ氏は本場のフランスパンを日本で広めた人である。日本ではビゴ氏のことをフランスパンの神様と呼ぶ人も多い。国際見本市の後、ビゴ氏はドンクに入社する。1966年8月にドンクが東京の北青山に店舗を開くと同店へ移り、フランス人の職人がパンを焼くスタイルが人気を博し、出店後まもなくフランスパンブームを巻き起こした。その後ビゴ氏は1972年、自らの店舗「ビゴの店」を設立し、独立する。そしてこの世を去る2018年まで、店舗や調理師学校で数々のシェフを育成し、育てた弟子の数は150人以上とも言われている。その功績をたたえて、2003年にフランスのレジオン・ドヌール勲章を授与され、2017年には日本に住む外国人として初めて現代の名工に選ばれている。

開業当時のドンク北青山店(ドンクWebサイトより)

ドンクやビゴ氏の源流となっているカルヴェル氏は、美味しいフランスパンの条件を以下の3つを挙げている。

  1. 外皮は明るい黄金色でよく焼かれていること。手で押せばパリパリと音がはじけ、口に入れるとカリカリしていること

  2. 中身は、クリームホワイト色をしていて、大・中・小の気泡が分散していること

  3. クープと呼ばれる割れ目がくっきり割れていること。

実際に筆者がドンクやビゴの店出身の方のお店に伺った際、これらの特徴は色濃く受け継がれていると感じている。特に店頭で出来立てを食べるか、家に帰ってトースターを使ってリベイクする時、この特徴をよく感じることができる。生地の気泡が大・中・小と分散されていることで、空気感を感じながらサラッと何個でも食べてしまえる軽やかな食感である。色に関して、カルヴェル氏は第二次代戦後すぐに人気を博していた真っ白い生地のパンに批判的な意見を持っていた。生地をこねればこねるほど、白い生地になるが、小麦の香りが消えてしまうと考えていたからだ。よって、ホワイトでは無く、クリームホワイトと表現したものと考えられる。

ビゴ氏の150人以上とも言われている弟子の中でスターシェフと言えば、真っ先に名前があがるのが「Ca Marche(サ・マーシュ)」の西川功晃氏である。西川氏はビゴ氏の元で約5年間学んだ後、コムシノワの荘司索氏と共に、「Boulangerie Comme Chinois(ブーランジュリー・コムシノワ)」を立ち上げる。コムシノワはパン業界に強烈なインパクトを与えて大繁栄し、西川氏は2009年に世界トップクラスのパン職人が製パン技術を競う「第二回Mondial du Pain(モンディアル・デュ・パン)」に出場する。結果は3位入賞とはならなかったが、西川氏の元で学んだComme'Nの大澤秀一氏が2019年に行われた第7回モンディアル・デュ・パンで優勝を手にしたのだ。さらに今年2023年に開催された、第3回 ベスト・オブ・モンディアル・デュ・パンでは、大澤氏のチームに西川氏がコーチとして加わり優勝を手にしている。

左からコーチの西川シェフ、コミの久保田選手、大澤シェフ(chefnoより)

モンディアル・デュ・パンの主催である「Les Ambassadeurs du Pain(レ・アンバサドゥール・デュ・パン)」はフランスに本部を置き、「職の啓蒙と伝承」の意志のもと、国際ブーランジェコンクールの必要性を感じた複数のM.O.F(国家最優秀職人章)を中心として2005年に発足した由緒正しい組織である。審査項目には大会趣旨に合わせて、味だけでなく、伝統的な技術、芸術性なども求められるのだ。よって、フランスパンの本流であったカルヴェル氏、ビゴ氏から引き継いだ技術は、大いに活かされたと考えられる。そして、その技術は次の世代にしっかりと繋がっている。

②Eric Kayser(エリック・カイザー)

エリック・カイザー氏は50年に一度の天才と言われたパン職人である。日本ではカイザー氏の店舗が「MAISON KAYSER(メゾン・カイザー)」という名前で展開されており、日本国内で20店舗以上もあるので、見かけた人がいるかもしれない。

カイザー氏と前述のカルヴェル氏との共通点は学校教員経験があるということだ。カイザー氏は1984年からフランス国立製パン製菓学校/Institut National de la Boulangerie pâtisserie(通称INBP)で教鞭を取っており、カルヴェル氏は1935年にパリのEcole Française de Meunerieで教員の職を与えられ、1978年にはフランス国立高等製粉穀物産業学校/Ecole Nationale Superiere de Meunerie et des Industries Cereales(通称ENSMIC)を退官して名誉教授となった。その後カイザー氏は、1996年9月13日、パリ5区モンジュ通り8番地に『ERIC KAYSER』1号店をオープンする。そして、海外進出1ヵ国目に選ばれたのはなんと日本である。日本への本格進出1号店は2001年の「MAISON KAYSER高輪本店」だ。 そこから今や世界20ヵ国、150店舗以上を展開するフランスパン界のリーディングベーカリーである。

エリック・カイザー氏(Valeurs actuellesより)

カイザー氏が天才と言われる所以は、カイザー氏が確立させた「ルヴァンリキッド」と呼ばれる液体天然酵母技術を核にしたパン作りだ。その背景には、パン作りの効率化とパン離れがある。フランスでは第二次世界大戦後、パンの製造効率化が進み、パンを膨らませるために活用する酵母も工業的に培養された高密度のイースト菌が多く使われるようになっていった。美味しさよりも効率が重視されてしまったことにより、フランス人のパン離れが進み、そこに異議を唱えた一人がカイザー氏であった。カイザー氏はパン作りの効率化が進む前の1800年以前の製パン方法に戻すべきだと考え、ルヴァンリキッドを開発したのである。

ルヴァンリキッドを説明するにあたり、酵母について少し解説したい。

酵母とは微生物の一群を総称する呼び名である。酵母は英語でYeast(イースト)だが、日本の製パン業界で使われる材料名のイーストは、酵母の中でも特に発酵力の強いSaccharomyces cerevisiae(サッカロミケス・セレビシエ)という種に属する単一種を工業的に純粋培養したもののことである。この単一種の酵母に頼りすぎてしまうと、小麦の風味と香りが飛んでしまうのだ。

ここでさらに注意書きとして述べたいのが、日本では「イーストは全部体に悪い」「天然酵母は全部体に良い/美味しい」という間違った認識を持った人が少なくない。問題は(単一種の)イーストに頼りすぎることにより、小麦の風味と香りが飛ぶことであり、少量であれば十分小麦の風味と香りを出すことができる。また、天然酵母に関しては、そもそも元を辿ると自然界の菌であるので、何でもかんでも天然酵母と言えてしまい、日本で謳われている天然酵母パンは本当に消費者が求めている天然酵母とは限らない。製パンに関する教育機関である社団法人日本パン技術研究所は、天然酵母表示に関して、「天然酵母パン」と大きく表示して通常のパンと差別化する試みは消費者の酵母表示に関する混乱を増長するものとし、実態にそぐわない“安全・体にやさしい”を強調、あるいは暗示するものは回避すべきという見解を示している。

話を戻す。カイザー氏の扱う酵母、ルヴァンリキッド(仏語:levain liquide)は、液状の酵母という意味であり、小麦粉やライ麦粉に同量以上の水分を加えて発酵させたトロトロの発酵種のことである。単一種のイーストと違って、複数の菌と戦いながら発酵するので時間がかかるということと、菌は生き物であるので、温度や撹拌(混ぜる動作)の管理が大変という弱点が存在する。カイザー氏はルヴァン・リキッドを管理するルヴァン・フェルメントという機械を開発することで、管理面の問題を解決していった。

日本でメゾンカイザーを展開する株式会社ブーランジェリーエリックカイザージャポンの創業者木村周一郎氏を含め、数々の日本人シェフがパリのエリックカイザー本店で修行や研修を行なっているが、その流れを汲むパン屋さんの特徴はやはりパンの風味と香りがしっかり感じられることである。特にパンをちぎった時や、パンを咀嚼した時に感じることができる。また、パン以外に関しても、特にパリの本店で勤務経験のあるパン屋さんに共通するのが、フランスへの憧れや尊敬がお店作りに現れていることである。パリでの暮らしの中で、パリのパン屋さんの素晴らしい雰囲気を日本で再現されたいと思われたのかもしれない。Baguette(バゲット)やPain au chocolat(パン・オ・ショコラ)など、フランス語を使った商品は、レシピも忠実に再現していることも少なく無いように思える。フランスではパンの法律があり、Boulangerie(仏語でパン屋)を名乗るためには厳しい条件があり、条件を満たさなければ正式にパン屋さんと名乗れないのである。

③Pierre Buch(ピエール・ブッシュ)

1800年以前の天然酵母主体の製パン方法に戻すべきと考えたカイザー氏であったが、パンの起源まで遡って考えたのがピエール・ブッシュ氏であった。パンの起源は約4000年前、古代エジプト時代である。当たり前だが、「農薬」も「ミキサー」も「工業的なイースト」も「電気窯」も無かった時代だ。よって古代のパン作りは、自然と「自国産オーガニック小麦」「手ごね」「自家製酵母」「薪窯」であった。

ピエール・ブッシュ氏(ノヴァWebサイトより)

1970年代初頭、ブッシュ氏は出身国であるフランスで、Macrobiotics(マクロビオティック)など東洋的な考え方に影響を受け、東洋の食事「玄米菜食」の考え方こそ自分の生き方だと直感していた。当時マクロビオティックはフランス人記者ジャン・パレスール氏によって、人気週刊誌「NOIR et BLANC(黒と白)」を介してフランス国内で広まっており、ブッシュ氏はその影響を受けていたのかもしれない。パレスール氏の記事には「化学的な白砂糖や甘いものを食べるべきではない」「工業的な製品を避けること。特に色のついた遠方から輸入された食品は、避けること」ということなど書かれている。

ブッシュ氏が来日した当初のきっかけは東洋の食事、味噌と醤油を学ぶためであった。来日後に本格的に日本語を勉強し、1981年、製パン機械の輸入商社ホンビックに石臼やパン焼釜の営業担当として入社する。翌年(1982年)、ホンビックは東京都調布市にパン工場「ルヴァン」を設立。そこでブッシュ氏は自家製天然酵母(フルーツ酵母)と自然塩、石臼挽き全粒粉を原材料とするパン作りを始めたのであった。

しかし、ブッシュ氏は数ヶ月でホンビックを退社してしまう。そこで、ルヴァンを引き継いだのが、当時ホンビックに勤務していた甲田幹夫氏であった。甲田氏は、1984年にホンビックのパン事業を引き継ぐ形でルヴァン株式会社を創業。そして、1989年には2023年現在も続く渋谷区にある「ルヴァン富ヶ谷店」をオープン。創業から計算すると、40年近く、自家製酵母の自然派ベーカリーとして、独自の輝きを放ち続けているのだ。つまり、創業の種はブッシュ氏であったかもしれないが、それを強く育て上げたのは甲田氏の功績によるところが大きい。甲田氏の著書「ルヴァンとパンとぼく」では、ルヴァンを引き継いだ1984年当時、自家製酵母を使っていたのは大阪の楽童(現在は鳥取に移転)ぐらいと書かれている。まさに、自家製酵母走りでる。そこからルヴァンを通してたくさんのパン職人もが育ち、巣立っていった。

鳥取のタルマーリーを立ち上げた渡邉格氏は、ルヴァン出身シェフの1人である。タルマーリーはルヴァン同様、自家製酵母と国産小麦にこだわっているパン屋さんだ。タルマーリーのパンは、野生の菌だけで自家培養した酵母でパンを発酵させている。酒種、レーズン種、全粒粉酵母、ビール酵母、様々な酵母を活用し、そこから生まれるパンは本当に独特である。筆者も何度か食べさせて頂いたが、非常に個性のあるパンであった。味だけで無く、食感、パンの膨らみが一般的な街のパン屋さんとは全然違うのだ。

タルマーリー智頭店にて筆者撮影

タルマーリーに限らず、ルヴァンを巣立ったパン屋さんは、自家製酵母と国産小麦にこだわっているところが多い。また、立地条件に関しても、郊外や田舎でご自身のペースでパン作りをされているのも特徴である。確かに田舎の方が水や空気が綺麗で、酵母の育ちやすいので、ゆっくりパン作りをすることに向いている。市場が小さいという不安もあるかもしれないが、タルマーリーはネット通販を活用したり、県外の飲食店に卸したりなど、店頭販売に囚われない経営を行っている。

④Ivan Sagoyan(イワン・サゴヤン)

イワン・サゴヤン氏は今回ご紹介する5人の中で最も古い、唯一の19世紀、1888年生まれの人物である。彼こそが、日本のホテルパンの礎を築いた人物だ。

イワン・サゴヤン氏(帝国ホテルWebサイトより)

アルメニア人のサゴヤン氏の家系は、ロマノフ王朝の宮廷料理人であった。ロマノフ王朝と言えば、ロシア帝国最後の王朝であり、首都は1712年から1917年の革命の日までサンクト・ペテルブルクに置かれている。サゴヤン氏は、フランスやウィーンのパン技術を持っていたと記録に残っているが、サンクト・ペテルブルクにて学んだか、父親から受け継いだのかもしれない。ロシア帝国時代のベーカリー試験では1位であったという記録も残っている。

ロシア革命のきっかけの1つでもある日露戦争が勃発したのが1904年。そこから中国に逃れ、ハルビンのホテル(当時の東清鉄道ホテル、後の大和ホテルと推測される)で働いていたところ、サゴヤン氏のパンに感銘を受けたのが、帝国ホテルの創業者、大倉喜八郎氏である。大倉氏は翌年の1911年、サゴヤン氏を帝国ホテルの初代ベーカー長として招聘し、日本のホテルベーカリーの第一歩が始まった。ちなみに諸説あるのだが、メロンパンはサゴヤン氏がフランスのガレットの技術の元に考案したという説がある。当時はメロンパンとは呼ばれておらず、1930年代以降、マスクメロンのような網模様の見た目からメロンパンと呼ばれていったようだ。

話を戻す。1911年から長年帝国ホテルのベーカー長として勤めていたサゴヤン氏であったが、氏を「イワンの親父」と慕い、技術を引き継いだ人物がいる。後に日本のホテルパンの父と呼ばれる福田元吉氏である。福田氏は1940年に帝国ホテルのベーカー部門に入り、サゴヤン氏からパン作りを学んだ。戦後、帝国ホテルを離れてからは、ホテルオークラのベーカー長、パシフィック東京のベーカー長を渡り歩き、福田氏のホテルのパンは常に美味しいと話題になり、いつしかホテルパンの父と呼ばれるようになっていた。そして、福田氏のもとには、後に名店を築き上げる竹内豫一氏(ベッカライ・シャラント創業者)や明石克彦氏(ベッカライ・ブロートハイム創業者)など金の卵が集まるようになり、ついに1979年、製パン技術の向上やパン業界全体の発展を目指した製パン技術者のための会、JPB友の会(Japan Professional Bakers)が、福田氏が中心となり発足されたのだ。まさにベーカー達の父のような存在である。

福田元吉氏(ムッシュ・イワンWebサイトより)

サゴヤン氏、福田氏と受け継がれていったホテルパンとはどのようなものなのか?帝国ホテル料理長であった村上信夫氏が著書『村上信夫メニュー』にはこう書かれている。「サゴヤンのパンは単に美味しいだけでなく、料理と一緒に味わうことによって、料理とパン双方の味がより一層際立つかのような風味であった」つまり、料理に合わせる最高のパンである。

福田氏の愛弟子であり、サゴヤン氏の名前を冠したベーカリー「ムッシュ・イワン」のオーナーである小倉孝樹氏は、インタビューで福田氏の教えを紹介している。「1粉、2種、3技術」パン作りには粉が1番大事で、2番目はパンの種、3番目が技術ということである。ホテルの一流の料理に合わせるためには、ただ単純に黒子に徹するわけでは無く、料理に負けないパンの風味や味わいが重要ということなのだ。

低温長時間発酵の製法を世に広めた志賀勝栄氏(シニフィアン・シニフィエ創業者)も福田氏から製パン技術を学んだ1人である。志賀氏と福田氏の出会いは1979年、24歳の若者であった志賀氏は当時働いていたベーカリーのオーナーに「休みはいらないから、もっと勉強をさせてほしい」と相談したところ、オーナーが当時パシフィックホテルにいる福田氏を紹介したのが始まりである。時間のある時や、休みの日は、近くのホテルに泊まって福田氏からパン作りを学んでいた。志賀氏はインタビューで「私のパンの原点は美味しいバゲットを作ること。好きだったのは、パシフィックホテル福田元吉さんの作るバゲット。こんなパンが作れたらと思っていました」と答えている。

ちなみに低温長時間発酵は志賀氏の代名詞となっているが、製法としてはフランスに存在していた。きっかけは福田氏のアドバイスであったが、完成系に近づいたのはレイモン・カルヴェル氏の愛弟子である、シモン・パスクロウ氏の教えであった。ブロートハイム明石氏主催の講習会で、パスクロウ氏は昔の文献を再現した、低温長時間で作るレトロバゲットを作って見せたのだ。ここから学びを得て、今の志賀氏の低温長時間発酵に辿り着いたのである。そして、志賀氏はたくさんのパン職人を育て、サゴヤン氏、福田氏から引き継いだ想いと技術を次の世代に引き継いでいる。

⑤Masami Asano(浅野正己)

最後は浅野正己氏、日本人である。1957年、東京都に生まれた浅野氏は、大学卒業後に都内のレストランで修行を始め、5年後の1985年、借金をして横浜に小さなビストロを開業する。お店は繁栄し経営的にも順調であったが、フランス帰りの仲間達から現地の食文化、食材、調理方法などを聞き、本場で修業したいとの思いが日に日に強くなっていった。そして、ついに32歳の時に、フランスに渡る。今までご紹介した4人は海外から日本に渡って来たパン職人達だったが、逆のパターンである。

浅野正巳氏(左)とチームグルテンヌ(著書『こねない、丸めないパン』より)

フランスに渡った浅野氏は、現地で大きなカルチャーショックを受ける。食に対しての考え方から、食事のスタイル、食材や調理法の豊富さに驚いた。そして、この時にパンに対して関心を持ち、深くのめり込んでいく。浅野氏はフランスに5年間滞在し、レストランやベーカリーを7店舗を渡り歩いた。さらに浅野氏は働くだけでなく、フランスを拠点にヨーロッパ全土の様々なお店を食べ歩きし、特にベーカリーは事前に地図で印を付けて500店舗以上も回っている。高水準と言われるフランスのベーカリーの中でも、浅野氏の舌を満足させたお店は10数店しかなかったという味の厳しさだ。

このヨーロッパ全土の食べ歩きの最中に、浅野氏はアートと建築にも興味を持ち、それらが融合した空間は「食」(食べることも陳列することも)に大きな関連性があると感じるようになり、独学で勉強に励んでいった。その後、この学びが店舗プロデュースに繋がって行く。食と空間の総合プロデュースが、浅野系統の大きな特徴となるのだ。

フランスでの修行を終えた浅野氏は、帰国後すぐに青山でフレンチレストラン「Cam Chien Grippe(カムシャングリッペ)」を開業。そして、レストランへのパンもつくるブーランジェリー&カフェ「pain perdu(パンペルデュ)」もオープンさせる。浅野氏にとって初めてのベーカリーである。そこから2000年代に入り、東京青山の「d'une rarete(デュヌラルテ)」、吉祥寺の「Dans Dix ans(ダンディゾン)」を立て続けにプロデュースし、どちらも商品開発からレシピ、内装、グラフィックデザインまですべて浅野氏が手がけている。パンペルデュは閉店してしまったが、デュヌラルテもダンディゾンも今もなお大人気店として繁栄している。

ダンディゾンの洗練された店内(Hanakoより)

浅野氏が手がけた店舗からは、後の人気店を築き上げるシェフ達が巣立っている。その中で、自身の店舗のみならず、幾つもプロデュース店を成功させているのが、杉窪章匡氏である。杉窪氏は、名古屋の「terre à terre(テーラ・テール)」、福岡の「Blue Jam(ブルージャム)」、神奈川向ヶ丘遊園の「C'EST UNE BONNE IDEE(セテュヌボンニデー)」をプロデュースして成功させ、都内につくった自身のベーカリー「365日」も大繁栄させるスターシェフだ。

浅野氏との最初の出会いは、杉窪氏がまだ22歳の頃である。料理学校卒業後、パティシエとして働いていた杉窪氏は、浅野氏が手がけるパンペルデュに入店しベーカリーに転身する。その後、杉窪氏はパンペルデュを離れ、浅野氏と同じようにフランスへ渡る。そして、再び浅野氏と巡り会うのが、11年越しの2006年、33歳になった杉窪氏はデュヌラルテの3代目ヘッドシェフを任されるのだ。当時のインタビュー記事で、「新しいパンやお菓子を生み出す源泉は何ですか?」という質問に、杉窪氏は「一番の刺激材料は、淺野さんです(笑)」と答えている。浅野氏がシェフ達に求めるレベルは非常に高かったようである。

浅野氏と杉窪氏はプロデューサーとして活躍している点で共通しているが、料理に対しての考え方にも共通点が見受けられる。一般的にフランス料理は素材を足してつくる足し算の料理であるが、両氏は引き算の料理を重視している。必要ないと感じるものは加えず、なぜ加えるのかを考えるのだ。パンに関しても同様で、素材を真剣に考えるべきところを、仕上がりの色、日持ち、食感などが優先されて、本来必要のないものまで混ぜ込んで焼き上げているパンがたくさんあるというのだ。筆者も浅野氏や杉窪氏の元で働いたことのあるシェフから「塩をなぜ入れるのか?」「パンは引き算だ」という話を聞いたことがある。無駄なものが取り払われたパンというのは、非常に難易度が高いと思われるが、それを乗り越えて美味しいパンができていくのだ。

もう1つ共通点を挙げるとすると、こねないパンを重視しているという点である。実際に浅野氏は『こねない、丸めないパン』という書籍を出しており、本書には「”こねる”と、グルテンの膜が強く形成され、炭酸やアルコールがこもってしまうこともあります。また、イースト菌が過剰に活動し、余分なアルコール臭を発生してしまうことがあり、素材そのものの良い香りも消されてしまいます。」と書かれている。また、杉窪氏も著書『「365日」の考えるパン』にて、「僕は”パンのヒキ”がとても気になります。噛み切りにくい、邪魔な食感です。ヒキが気にならないバゲットどうやればつくれるか。たんぱく質が少なくてグルテンができにくい小麦粉を選ぶとか、水の量を多くすれば良いのですが、1番は練らないことです。練れば寝るほどグルテンが強くなり、ヒキが強くなります。」と書かれている。確かに、浅野氏や杉窪氏の手がけるお店、両氏のお店を巣立ったシェフのお店のパンには、小麦の風味がしっかり感じられ、口溶けの良い食感を味わえる。

前述のカルヴェル氏のパートでも述べたが、カルヴェル氏はミキサーでこね過ぎて真っ白になったパンに対して「パンは白くなればなるほど、膨らめば膨らむほど香りと風味がなくなる」と痛烈に批判している。また、カルヴェル氏はパンの添加物使用に対しても反対し、もし使うことがある場合はなぜ使うのかをしっかり理解して使うべきと訴えていた。

最後に

前述の志賀氏は、低温長時間発酵に取り組んだ背景についてこう語っている。

「パン作りには、素材、酵母、工程という3つの要素があって、それを変えることによって、新しい味が生まれると思うんです。一番わかりやすいのは、素材を変えること。でも、常識を変える新しい味を創り出すには工程を変えるしかない。そう考えました」

今回日本の人気パン職人のサイアーラインということで5系統を紹介したが、素材、酵母、工程という3つの要素の中で、作り手が何にこだわるかによって、個性が生まれ、様々な美味しいパンが生まれるということを、筆者自身、整理していて改めて認識することができた。今まで訪問して来た約500店舗の点が繋がり、面として浮かび上がる感覚を感じることができ、非常に良い学びであった。

それでは最後に改めて簡単に各系統のキーワードをまとめておく。

①レイモン・カルヴェル :「伝統」「軽やかな食感」「風味」
②エリック・カイザー:「ルヴァンリキッド」「パリの再現」「風味」
③ピエール・ブッシュ:「手ごね」「国産小麦」「自家製酵母」「薪窯」
④イワン・サゴヤン:「ホテルパン」「付け合わせ」「低温長時間発酵」
⑤浅野正己:「デザイン志向」「国際志向」「風味」「口溶けの良い食感」

あくまで筆者独断の個人的な分類であるので、参考程度に見て頂きたい。各キーワードが当てはまらないパン屋さんも出てくるかと思うが、系統ごとにある程度のイメージができれば、自分の好みを当てはめるなどして、好みのパンを探しやすくなるかと思う。

皆様のパンライフが豊かになりますように。



参考にさせて頂いた書籍とWebサイト

  • 100%パン―エリック・カイザー60のレシピ(エリック・カイザー他)

  • パンの世界 基本から最前線まで(志賀勝栄)

  • 酵母から考えるパン作り(志賀勝栄)

  • パンストック長時間発酵のパンづくり(平山哲生)

  • ルヴァンとパンとぼく(甲田幹夫)

  • 田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」 タルマーリー発、新しい働き方と暮らし(渡邉格)

  • こねない、丸めないパン(浅野正己率いるチームグルテンヌ)

  • 「365日」の考えるパン

  • Panaderia

  • パンラボ

  • ノヴァ

  • 山梨総合研究所

  • AllAboutグルメ

  • ITmediaビジネス

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