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1年経った今だから自信をもって話せる「なぜヒロックは最初の1か月、鉛筆も握らなかったのか」

4月。18人の子どもたちが、ヒロックに入学してきてくれた。
子どもたちは、大きな不安と共にスクールに来ている。
新しい場所、新しい仲間、新しい大人。
この場所が居心地よい場なのか、危害を加えてくる仲間はいないか、大人は何を要求してくるのか。
そんなことを本能的に、敏感に感じ取ろうとしている。
「ヒロックって、こんなところなんだ」が形成される最初は、とても大切。
後からイメージを変えるのは、なかなか難しい。

悠久の時間

だから、ゆっくりたっぷり、なじませる時間をとることに決めていた。
文化を醸成するための、悠久の時間。
中には、つらい思いをしてこのヒロックにたどり着いた子たちもいる。
ゆっくり回復し、前を向くための時間。
成長にとって一番大切なのは、安心安全な場のはずだから。

枠を作ることは簡単だ。
それによって、子どもたちを意図通りに動かすことができる。
トラブルもクレームもリスクも回避できる。
楽しませることも簡単だ。
手っ取り早く「この大人はおもしろい!」と思ってもらえる。
でも、どちらも大きなデメリットがある。
ヒドゥンカリキュラム、つまり意図しないメッセージも一緒に伝わってしまうことだ。
「枠は大人が決めるから、子どもはその枠の中で楽しむべし」
「失敗は避けるべきもの、大人に従っておけば自分は失敗しなくて済む」
「大人が楽しませてくれる、自分はゲームのようにそこで座っていればよい」
これらのイメージも、やはり後から変えるのはなかなか難しい。

みんなが、より快適に過ごせる空間

ヒロックの明確なルールは1つ、「多数決で決めない」こと。
それ以外は何も決まっていない。
やりたいことはやってみて、嫌な人がいなければ全体で許容されていく。
チャレンジしたり、クリエイティブに動いた人が得する仕組みだ。
嫌なことがあれば、その場で相談する。
目的は、嫌な思いをする人を出さないことではなく、みんながより快適に過ごせること。
嫌な思いを話し合うことは、その目的に近付く有効な方法なのだ。

私たち大人は、当たり前や一般的慣習、多数派で判断しないと決めていた。
話を聞かない子がいれば許容する。絵をかいていても遊んでいても注意したり、促したりしない。
その代わり、「聞いててよかった!」と思えるような話にしぼり、短時間で話す。
聞きたいけど聞こえない子がいればマイクを使い、集中しにくいならそこで初めて場所を分ける提案をする。
可能性のあるリスクを見えなくするためにルールがあるのではなく、リスクが見えてから、より快適に過ごすためにみんなでルールを作る。
だから、みんなその必要性が腹落ちしているし、自分たちで作ったルールだからこそ変えたり、無くしたりすることだってできる。

ルールは、権利を拡張するためにある

授業中に、お菓子を食べ始める子がいた。
大人はぎょっとするが、それは自分たちの既成概念。
嫌な思いをしている子がいないなら、それも権利として受け入れられるべきだ。
安全面から、お菓子は友達にあげないこと、食べかすやごみは持ち帰ることを新たなルールに追加した。
ルールを作ることで、自由の範囲は拡張する。
ルールは人を縛るものではなく、権利を保障するものだと改めて感じる。

クッションでたたき合って遊ぶ子たちがいた。
よく見ていると、ケガをしないように遠慮はしている。
でも、周りは見えていない。
他の友達にぶつかったタイミングで、止めて、やはり相談する。
どうやって遊んだらいいか。
他の遊びではダメか。
答えはない。みんなの「やりたい気持ち」も尊重しながら、全員が快適に過ごせる空間をみんなで作る。

子どもの力を借りながら

毎回サークルタイムで、逆立ちをし始める子がいた。
他の子たちは何を見ているかというと、その子に対して大人がどんなふるまいをするかを見ている。
その子が嫌なわけじゃなくて、その子によって大人が機嫌悪くなるのが嫌。
ここで大人が𠮟責すれば、この行動は責めてよいもので、あの子は悪いことをしたとみんなは学ぶ。
そこで私たちは、その子を許容した。
すると何が伝わるかというと、サークルタイムで逆立ちをしても怒られないんだ、それだけヒロックは自由なんだということ。
私たち大人がいくら「ヒロックは自由なスクールだよ!」と言っても、子どもには伝わらない。
「とはいえ…」と思いながら、大人をいぶかっているもの。
サークルで逆立ちをするこの子がいたからこそ、ヒロックは自由なスクールという真意が他の子どもたちに伝わったし、みんなの自由は拡張した。
子どもの力を借りながら、こうやって少しずつ文化は創り上げられていく。

カスタムメイドな快適の在り方

そうやって、悠久な時間の中で、丁寧に1つ1つ、見取り、対話してきた。
チャレンジする子。勇気を出して嫌って言えた子。譲った子。
そんなストーリーが紡がれて、ヒロック18人+大人にとっての、カスタムメイドな快適の在り方ができていった。
不特定な集団を仮定したルールじゃなくて、自分たちのやりたい気持ちや必然性から作った、自分たちだからこその在り方。
何より、そうやって時間を過ごす中で、それぞれの子のよさや苦手なことを知り合い、理解と絆を深めてきた。
だからこそ、1年後の今のヒロックの姿がある。
比較しない、成長を喜び合う、失敗を恐れずチャレンジし、互いに応援し合う。
そんな文化は、このスタートがあったから醸成されたんだ。

1か月鉛筆を握らないって決めていたわけじゃない。
結果として、1か月握らなかった。それだけ。
大切なことは、大人の都合で子どもの悠久の時間を奪わないこと。
それが結局、子どもがのびのび成長できる時間を何よりも保障してくれる。

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