見出し画像

仕事を休んだ話

今日は仕事を休んでしまった。正確には、今日も、である。

特に体調が悪いとかではなく、まあ言ってしまえば「どうしても行きたくなかった」という精神的な甘えであって、それでも自分としてはなかなか大きな厄介事だ。厄介なのはお前だよ、と関係者には言われてしまいそうだが、初めてのことではないので厄介事なのである。

初めて経験したのはたぶん小学生のころで、少年野球行きたくない!の気持ちが子どもなりに表出した。といってもたかが小学生のがきんちょだったので具体的に感情を伝えることなどできず、母親に叱られながらも持ち前の頑固さを発揮することで根比べに勝利してズル休みを獲得する、というのが必勝パターンだった。
もちろん母親も悪気があったわけではないと思う。自分と気の合う人だし嫌いでもないので尊敬はしている。ただ自分の息子に強くあってほしいという親心からか、弱音を許容してくれることは多くはなかった。合計5年間の少年野球キャリアだったが、そうやって休むことが年に数回あった。

高校生のときには、部活が原因で学校に行かなくなったこともあった。
中学でも続けた野球を高校に入っても続けようと、それなりに意気込んで入部した。それなりの意気込みというのはつまり、「甲子園に行く」という、今思えば鼻で笑ってしまうような、高校野球において最も使い古されたテンプレートである。
しかし途中で挫折してしまった。部活にだけ行かなければいいところ、学校で先生とか先輩に会ったらなんか言われるしなあ、という理由で学校ごと休み始めた。途中、「やっぱり行かないと」という微かな気持ちが顔を出して学校にも部活にも行ってみたものの、数回行ってまた行かなくなった。遠足に行ってしまえば周りの目もあるし気分も変わるだろうから、次の日から行けるかも!と思い京都でクラスメイトたちと楽しんだが、結局次の日も行けなかったのが後ろめたかった。
後日監督から休部しろ、と電話があり、合法的に部活を休めるとなった途端に学校へ行けるようになった。ちょうどテストの時期だったけれど、まるで勉強などしていなかったため、数学は5点だった。
それからしばらくして正式に退部し、平穏な学校生活を取り戻すことができた。

両方野球絡みだったわけだが、原因は明白で、怒鳴られることがとにかく嫌だったのである。自分が子どものころはまだまだ指導者はガツガツで、言われたことができなければとことん檄を飛ばされた。高校生にもなると世の中はかなり穏便になっていたが、監督が昭和を擬人化したような人で、いつも怒鳴っていた。基本怒鳴るので、我々選手は本気で怒鳴られているときとそうでないときとの聞き分けができるようになっていた。本気のときは滑舌がどこかへ行ってしまって何を言っているのかわからなくなるので、すぐにわかった。

しかし最近仕事を休んでしまうのは、原因がわからない。
人間関係は悪くないし、職場環境も悪くなく、明らかにホワイトと言われて差し障りない。
しかし思い出すのは少年時代に知ってしまった苦しみなのである。
それを発症してしまったら、もうネガティブ一直線だ。

たまにこういうことが発作的に起こる。自分でこの気持ちをコントロールできないことは昔からの経験でわかっている分諦めはつくのだが、問題はそのあとだ。
今行かなければあとあと絶対にキツくなる。だから行ってしまってなんとかこなせばそれで自分を肯定でき、しばらく自尊心を保てるはず。そこまで頭でわかっているはずなのに、一時的な特効薬に頼ってしまう。4月から始まった仕事だが、この薬を今日でもう2度も使ってしまった。
このあと待っているのは、とりあえず手にした平常心が、徐々に近づく今日の仕事の振替日によって段々と失われていく焦燥感と、また同じことをしてしまうのではないかという自分に対する恐怖心だ。この薬は副作用が大きいし、依存性も高い。

何がつらいのだろうか、自分でもわからない。なりたくてなった職業なのに、同期のみんなは(少なくとも自分から見て)同じように進んでいるのに、なかなか前向きになることができない。「そんな自分を認めてあげて」なんていう言葉がどこからか聞こえてきそうだが、それができていればこんな気持ちにはなっていない。あんなのは始めから「そんな自分」を認められるやつが言い放ったクソ助言である。

3本目の記事にして非常に重い中身になってしまったけれど、こんなこと考えてるやつもいるんだなとチラ見しておいてください。そのうち明るいことも書けたら書きます(フラグ)。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?