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4/23 物語を作ろう

「物語は決まったプロセスに従えば作れる」と言う人がいます。自分もわりとそう思っているのですが、あらためて「では、どんなプロセスを用いているのか」と聞かれてしまうと、パッと答えるのは難しいことに気がつきました。

そんなわけで、あらためて自分なりの「プロセス」を考えてみようと思います。

物語=イベントの連続ではない

「物語はイベントの連続だ」と考えてしまうと、あまりクオリティの高いものが出来ないのではないでしょうか。つまり、ゼロから物語を考えるぞ!というときに「序盤にこういうイベントがあって、次にこういうイベントが起きて・・・」と順々に考えていくべきではない、ということです。

このやりかた、日本史や世界史といった教科の暗記と似ている気がします。「黒船がやってきて、日米和親条約に調印して、日米修好通商条約にも調印して、将軍が慶福(家茂)に代わって、次に井伊直弼による安政の大獄が起きて、そしたら桜田門外の変で暗殺された・・・」みたいな。でも、これってあんまり良い勉強法じゃないって言いませんか?

自分は高校のとき、先生に「歴史はHistory、すなわちStoryだから物語として覚えろ」と言われました。やはり、イベントの羅列では物語といえない、ということです。では、どうすれば良いのでしょうか。試しに、さっきの黒船〜桜田門外の流れを「物語」にしてみます。(太字は主要人物)

海軍が「日本と国交を結ぶ」べく、出航するらしい。それを知った男、タウンゼント・ハリスは自らも乗組員に志願するが、軍人ではないため断られてしまう。開国した日本には駐日領事がおかれることとなり、ハリスは今度こそ!と、その役職に応募、見事就任する。彼に与えられた任務は「日米修好通商条約」を日本と取り結ぶことだった。大統領からの親書を渡すべく、十三代将軍・徳川家定への謁見を望むも、徳川斉昭ら攘夷派による反対によりいったんは断念する。

ところでハリスは知る由もなかったが、当時、家定はいつ死んでもおかしくないほど重篤だった。必然的に後継者問題が持ち上がるが、そこで大名たちは二派にわかれる。斉昭を筆頭とし、彼の息子である慶喜を推す「一橋派」、そして彦根藩主・井伊直弼を筆頭とし、家定と血縁の近い慶福を推す「南紀派」である。

その混乱のなか、ハリスは下田に砲艦を入港させる。「次は江戸だ、早く将軍に合わせろ」というメッセージだ。それに怯えた井伊ら幕臣は、ハリスによる家定への謁見を許可、朝廷の許可なく日米修好通商条約を結ぶ。

その直後、家定の病状はさらに重くなり、斉昭らは家定を廃人、暗愚扱いしすぐにでも聡明な慶喜への将軍交代を推し進めんとするが、自らを軽んじていることに激怒した家定は、自ら南紀派の擁立する慶福を次期将軍として推挙する。

家定自身は重体となり後継者は慶福に決定、まもなくして「第十四代将軍・家茂」となり、井伊は大老に就任する。南紀派の勝利は確かなものとなったと見た井伊は、一橋派の大粛清「安政の大獄」に取り掛かる。しかし、朝廷の意向を無視して条約に調印した井伊は尊王攘夷派からの恨みを買っており、江戸城・桜田門にて暗殺されてしまう。

これは完全に史実通りというわけではありません。あくまで史実を参考にした「物語」です。

では、単なるイベントの羅列にどのような変化を加えて「物語」にしたかというと「登場人物の立場・性格を設定し、それに基づいて、特定の状況における感情と思考、行動を考えた」のです。

たとえば先の物語において「第十四代将軍が慶福(のちの家茂)になる」というイベントは、

「斉昭ら(一橋派)が家定を無能扱い→それにキレる家定→当てつけのように井伊ら(南紀派)の推す慶福を後継者に指名」という流れの延長線上に生まれたものです。

ここに至るまでには、斉昭、井伊、家定といった登場人物たちが状況に沿って葛藤し、考えを変え、決断する……といった推移があり、それらが複雑に絡み合った「内面のタイムライン」とでもいうべき軸が存在します。
これが一本通っていてはじめて、家茂の将軍内定や井伊直弼の暗殺といった各種イベントの連なりを一貫した時系列の物語として、違和感を覚えずに受け止めることができるのではないでしょうか。

どのようなイベントが起こるか、一つ一つ考えてからそれらを自然に繋げる……というのは、とても難しいのでやらない方が良い、と思います。たとえば「安政の大獄篇」と「桜田門外篇」を続けて読んだとき、「話は繋がってるんだけど、井伊直弼の気持ちがいまいち繋がってない感じがするんだよな……作者変わった?」というような印象を与えてしまう恐れがあります。

ですから、物語をつくるうえでまず決めなければいけないことは「作中で何が起こるか」ではなく、「日本は鎖国している」「現将軍が病弱である」といった「状況」。そしてもう一つは「登場人物の立場や性格」です。そのうえで「この立場・性格の人がこの状況におかれたら何を考え、どう行動するだろう」というシミュレーションを行っていくのが良いと思っています。たとえばこんな感じ。

【徳川斉昭】
立場や性格
:権力もあり頭は良いが、人の心がわからない男。
状況:現在の徳川将軍・定家は病弱であり、いつ死んでもおかしくない。
想像される行動:言葉を選ぶことなく、現将軍の能力が不十分であることを非難し、それを根拠としてより聡明な男(慶喜)に継がせることを押し進めるのではないか。

【徳川家定】
立場や性格:幼く、自らに将軍としての仕事をする能力がないことを認められない。
状況:家臣から、将軍としての職務を遂行する能力がないと暗に指摘されている。
想像される行動:キレて、当てつけのようなふるまいをする。具体的には、斉昭と対立する井伊の擁立した慶福を次期将軍に推挙するのではないか。

この結果、「第十四代将軍が慶福(徳川家茂)に決定する」というイベントが発生します。

このように、


①登場人物たちの立場・性格を設定し、状況を設定する。

②その状況におかれた登場人物たちの思考・感情を、はじめに設定した立場・性格に基づいて考える。

③考えた結果、想定される思考・感情に基づく行動として適切なものを考え、その行動の結果、どのような状況が起こるか考える。

④「②」に戻る。以下、繰り返してゆく。

これが物語をつくっていく基本的なプロセスだ。と自分は思っています。

それでは続いて、「登場人物」について書こうと思います。

行動原理じゃんけん

何を書くのか、というと「行動原理の設定」ひいては「登場人物同士の対立構造をつくる方法」です。

物語のスタンダードな進め方として、登場人物同士の対立(感情的なものにとどまるかもしれませんし、武力衝突に発展するかもしれません)を軸にする、というものがあります。そして、その対立を作り出すために便利なのが「行動原理の設定」です。行動原理というのは要するに、行動する上での基本的な動機ですね。たとえば「食欲」を行動原理とする人は、基本的に食欲を満たすことを目的として行動することになるでしょう。

ただし、行動原理は人によってさまざまです。ですから、物語をつくるための都合上、行動原理を「快苦」「損得」「正否」の三つに限定します。
そして、これらをじゃんけんのような三すくみの関係とします。それぞれ説明していきましょう。

三つの行動原理

「快苦」
それをすることで自分が良い気分になれるか、それとも不快になるかを考え、より良い気分になれると思う選択をする、という行動原理です。それが正しい行いか否か、自分が損するか得をするか、ということは重んじません。たとえ「それを行う道理や正当性が自分にはないこと」「自分にメリットがないこと」がわかっていても、「やりたいからやる」という選択をします。

「損得」
それをすることで自分が損するか、得するかを考え、より得すると思う選択をする、という行動原理です。それが正しい行いか否か、自分の気分が良くなるか悪くなるか、ということは重んじません。たとえ「それを行う道理や正当性が自分にはないこと」「自分が不快な思いをすること」がわかっていても、「それが得になるならやる」という選択をします。

「正否」
それをすることが正しいか、間違っているかを考え、より正しいと思う選択をする、という行動原理です。自分の気分が良くなるか悪くなるか、あるいは損するか得をするか、ということは重んじません。たとえ「自分が不快な思いをすること」「自分にメリットがないこと」がわかっていても、「それが正しいと考えるからやる」という選択をします。


この三つのうちどれかを、登場人物の行動原理として設定します。そして先述した通り、三つの行動原理をじゃんけんのような「三すくみ」にすることで、登場人物同士の対立や衝突、信頼や協力関係をスムーズにつくることができるはずです。

ルール

「快苦」は「損得」に強く、「損得」は「正否」に強く、「正否」は「快苦」に強い……というルールにしています。
また、事前に明示しておきたいのですが「行動原理の異なる登場人物は、程度の差はあれどお互いを理解できない」というのが基本原則です。


  1. 「快苦」を行動原理とする人間は、外部からの説得が通じないという強さを持っています。
    「それ貴方が損するよ」「それ酷すぎるよ(あるいは犯罪だよ)」と指摘をされ、またその指摘自体はもっともだと感じても「いや、そんなの関係ないんで。やりたいからやります」と言い切れるのがこのタイプです。
    基本的に理屈が通用しないため、三タイプの中で最も手強いでしょう。特に、打算と理屈でものを考える「損得」タイプにとっては到底理解しがたい存在です。

  2. 「損得」を行動原理とする人間は、いわゆる「普通の感覚」との親和性が強みです。
    彼らの「お金が欲しいのは普通じゃん?」「怪我や病気のリスクを負いたくないのは普通じゃん?」といった金銭的、身体的な損得に基づく主張は、肌感覚に訴えるような妥当性があります。
    逆に、これを真っ向から否定する相手に対しては「貴方は「普通」ではないので私たちの価値観がわからない、話にならない」と突っぱねることが出来ます。これは、価値基準の現状維持を是とする態度です。必然的に、「正否」を行動原理とする人間の「現状はともあれ、こうあるべきだ/あるべきではない」という主張が聞き入れられることはないでしょう。

  3. 「正否」を行動原理とする人間は、対立とそれに伴う衝突を徹底的に戦うことができます。相手が転向して立場を同じくするか、存在ごと消滅することでしか対立構造が解消されないからです。たとえば、行動原理が「損得」「快苦」の場合、かりに対立する相手とでもより大きな利益や快楽を得るために協力する、ということが可能でしょう。しかし「正否」を行動原理とした場合、自身と対立する相手は必然的に「間違い」の側になります。ですから、対立する相手と協力関係を結ぶことは、たとえ「正しさ」のためといえど「間違い」の許容を意味してしまうわけです。仮にこれを是としてしまった場合、そこでの行動原理は「正否」ではないものに傾いている可能性があります。
    さて、「正否」は「快苦」に強いと書きましたが……基本的には「快苦」の方が強いです。ただし「快苦」の主張が「正否」に対して説得的に響くことはほとんどなく、負けにくいという消極的な意味で「正否」は「快苦」に強いといえます。

あとは、このうちどれかを登場人物に付与するだけです。立場や性格からすると意外なものを選ぶと面白いかもしれません。たとえば「賞金稼ぎ」という、いかにも金銭的な利益を至上の価値としていそうな人物が「損得」ではなく「正否」を行動原理としていたら意外性がありますよね。

ただし、いったい何をもって「快苦」「正否」「損得」とするかは登場人物の設定次第です。
「破壊衝動を持て余し、街でも秩序でも、とにかく形あるものを破壊すると気分が良い」のか「誰かが夢を叶えているのを見ると気分が良い」のか。「幸福を感じる人が一人でも多い方が正しい」のか、あるいは「不幸を感じる人が一人でも少ない方が正しい」のか。

余談ですが、ラスボスを設定するときだけは「快苦」「正否」「損得」、そのどれとも違う行動原理を付与することをおすすめします。結果ではなく過程を重視させると、割とそのような造形にできる気がしますね。たとえば「作中の人々(や読者)の持つ世界観の転倒」という行動原理はどうでしょうか。

「あなたは「世界(or人間、精神、社会、この国etc……)とはこういうもの」だと考えていると思うけど、そうとは限らない」ことを明らかにする過程を、作中人物(や読者)に強烈に見せつける」

……ことだけを目的とするラスボスです。その人物から世界はどのように見えているか、ということを他者に示そうとする、と言い換えても良いでしょう。その性質上、作者の考えが特に反映されやすいと思います。これはSF作家・伊藤計劃が「世界精神(ヴェルト・ガイスト)型の敵役」と名付けたキャラクター造形ですね。例としては『ダークナイト』のジョーカー、『機動警察パトレイバー movie』の帆場、『PSYCHO-PASS』の槙島聖護などが挙げられるでしょうか。

まとめ

というわけで、以下のようなプロセスが自分的・物語のつくり方ということになります。

①登場人物たちの立場・性格を設定する。

②彼らの行動原理を設定する。これを対立、協力、信頼関係等を考える基準とする。

③彼らがおかれた状況を設定する。

④その状況におかれた登場人物たちの思考・感情を、設定した立場・性格・行動原理に基づいて考える。

⑤考えた結果、想定される思考・感情に基づく行動として適切なものを考え、その行動の結果、どのような状況が起こるか考える。

⑥「④」に戻る。以下、繰り返してゆく。

では、実際に物語をつくるときにこのようなプロセスに従っているのか?と聞かれると答えは「否」です。

締め切りが近づく、理詰めでつくったら逆につまらなくなった……諸々の理由で頭を使うことに疲れ、途中からは勢いに任せてしまうことが大半です。

でも、それで良いと思っています。
プロセスは、常に従わなければいけないものではありません。そもそも物語をつくる出発点がわからないときや、途中で行き詰まってしまったとき、整合性が取れているか不安になったとき、ちょっと綺麗に整えたいとき……そんなときに確認し、なんとか完成まで持っていくためのプロセスだからです。
とりあえず完成させれば、続けることができます。完成させて、次にいきましょう。


余談

なにかを完成させたら公開することをおすすめします。そして肯定的な反応は疑い、否定的な反応は無視するべきです。

ある程度のレベルに達するまでは、たくさん完成させることが重要です。ただ、それは相当なモチベーションを必要としますから、否定的な反応に取り合うことは(参考になることはありますが)辛いし、損です。ただし、それだと停滞してしまうので……。

「否定的な意見に耳を傾ける」はやらなくて良いので「肯定的な意見を鵜呑みにしない」ことが必要だと思います。反応を確認して「ここが面白かったって書いてあるけど、本当にここは面白かったのか?」などと疑いまくるべきでしょう。

また、他人からの否定的な反応をいちいち受け止めていると「自分で問題点を見つける癖」が身につかないように思います。否定は他人にしてもらうもの、という風になってしまうと、作っている段階で問題点を発見することが難しいです。もちろん、自分で否定ばかりして完成しなかったら元も子もないですけど……。

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