わたしの読書史

本を読むことは昔から割とすきだ。
まあでも、本の虫みたいな形容が似合うようなほどは全然読んでいなくて、せいぜいたまに本を読みます〜くらいが妥当なくらいのレベルだ。

以前親しかった人に本を読むのは好きだとつい、いってしまったことがある。

すると「これは?これは読んだことある?これは?」と色々言われたがどれも読んだことがなかった。すると「読書家なんじゃないの?」と言われてしまい、わたしにはそんな烏滸がましい肩書き人生で一度たりともも名乗ったことないのに。と悲しくなってしまった。
それからはあんまり本を読むのが好きだと言えなくなってしまった。
好きな本を、あるいは好きな文章を、好きな時に読むのが、すきなだけだった。

小説を読むきっかけとなったのは、東日本大震災での避難所生活。
当時ぎりぎり小学校3年生だったわたしは、不衛生でキリキリとした雰囲気の漂う、先行きの見えない避難所生活に鬱屈としていた。
そんな私に母が与えてくれた重松清の小説を皮切りに、最初は安房直子や灰谷健次郎の児童向け小説から、そのうち江國香織やら吉本ばななへと、母のお気に入りの本が並ぶ文庫本の棚から次から次に引っ張り出しては読んでいた。

特に、初めて手にした吉本ばななの小説「哀しい予感」。
これを一気に読み切った午前中は、少し大人になれたような気がしたのを今でも覚えている。

初めて母と同じ目線になれた気がして、全部ね,一気に2時間で読めたんだよ!!!なんて自慢した気がする。母は笑って、内容はわかってるの?と聞いてきたので私はすらすらと概要ー弥生の真実ーについて説明した気がする。でも当時を文字を追って、事実を救ってかき集めることに必死で、本の中にある哀愁や美しい文体にまでは当たり前だけど目をみやる余裕なんてなかった。それに、大人にしかその意味がわからない単語や心情も結構出てくるもので、学年が上がるたびに読み返して「はあ…これこういうことだったんだ…」と愕然としたこともしばしばあった。哀しい予感も、読み返すたびに掬えるものが多くなっていくのを感じた。
そんな感じで、同じ文章でも年齢、読み手の知識量、感受性、体が元気かどうか、出会ってきた人々、経験の有無なんかで全く違う感想を抱けるから、初めて読んだ感触で好きだと思った本は小学校から中学校にかけてもう何度でも読み返した。

もう何回読んだかわからない本はいくつかある。

吉本ばなな「アムリタ」
     「キッチン」
      「N.P.」 
     「とかげ」
江國香織「きらきらひかる」
     「すいかの匂い」

このへんだろうか。

中学も後半戦に差し掛かると、もっといろんなジャンルに手を出すべきではないか?と思って新潮文庫夏の100冊、みたいなものからもうほぼ無作為に10冊ほど1度に買って読んだこともあった。選ばれるだけあるのでそれなりに面白かったんだと思うが、でも不思議と、上にあげた4冊のような何度でも読みたい!という衝動はちっともわかなかった。中学で新しく私が買い揃えた本のうちで何度も読み返した本は三浦しをんの短編集「君はポラリス」だけだった。
中高生の時分に買った本の中で、大学を過ごす一人暮らしのアパートに持ってきた本は、君はポラリスと吉本ばななの小説2つだけで、あとは全部実家で埃をかぶっていると思う。

そんな感じで、私は読む大体の本が「面白かったけど、もういいや」あるいは「心が動かされたけど、次は読まないかな」だ。
特に後者は、涙という涙が出尽くすほど泣いて、頭がくらくらするくらい、そのくらい感動したけれど、泣くのは疲れるからもういいかなとなってしまう。感受性豊人(かんじゅせいゆたかんちゅ)の宿命だろう。

そんな感じで、本は買わないで図書館で読むか、となったのが高校生だ。

高校の図書館にある好きな作家さんの本は全部読んでしまって、町の小さい図書館で読みはじめた。
そこでは「泡沫/サンクチュアリ」「鳥たち」「みずうみ」「アルゼンチンババア」「白河夜船」これらを読んだ。読んだのはいいけれど、これが自分のものじゃないことにがっかりした。
そして結局大学生になって全部購入した。

特にみずうみは一度読んだ時の,この本が好きだ!!!という気持ちばかりが内容よりもずっと残っていたので、先日購入できて本当に嬉しかった!

結局、吉本ばななが好きすぎるのだ。
1回読んだだけじゃとてもとても足りない…何回も何回も、読みたいと思った時に手元にあってほしい本が吉本ばななの本だった。

図書館で読んでまだ購入できていない「サウスポイント」、「ハチ公最後の恋人」
あとは江國香織のぬるい眠りはいつか購入したい。でも私はネットで購入するのが好きじゃないので書店で巡り会えるその日を待っている。
でも恥ずかしながら街の図書館の吉本ばななの本はまだまだ全然読みきれていない。今は地元に帰っている数日しか通えないのでその時間をとても大切にしている。

敬愛するよしもとばなな様へのラブレターみたいになってしまったけれど、好き嫌いの激しい私は吉本ばななばかり読んできた。全作品、本当は1週間くらい全てのことを停止して没頭して読んでみたいくらいだけれど、一気に読んでしまったらつまらないので、書店でもっていない作品を見つけるたびにひとつ、またひとつと手に取っていくようにしている。


最近は、少し羽を伸ばして、事前情報を入れないで見た目とタイトルで本を読んでみたり、本が好きな友人とおすすめの本を交換しあったりして脳みそに新しい風を舞い込ませてみている。

この週末で3冊また新しい本を読めたことで、なんとなく読書について、振り返ってみたくなってこの文章を書くことにした。


また読みたい本にたくさん出会って、わたしの読書史が日々更新されていきますように。

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