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推し活悲喜こもごも

好きなアーティストやスポーツ選手、アニメ、ゲームなどキャラクターのファンになり、応援する「推し活」は、すっかり市民権を得て当たり前のことになりました。
それに伴って推し活の辛さについて見聞きすることも増えてきました。
今回は好きだからこそつらくもなる推し活について考えてみたいと思います。

推しの効用と辛さ

逃れられないしがらみ、変化しにくい状況、長く続く苦難に耐えるのに、推し活は絶大な効果を発揮してくれます。
精神的な逃げ場、心のよりどころといっても過言ではないでしょう。
人生が大変な時、推しに救われたなんて言う方も多いのではないかと思います(私もその一人です)。
また、目指すべき理想、人生のお手本、ロールモデルとして、自分の人生をよりよく生きるのに大事な指針にもなり得ます。
「推しみたいに自分も生きたい」
「推しが頑張ってるんだから自分も頑張ろう」というように。

「推しが尊すぎて辛い」みたいな辛さは大歓迎だと思いますが、時には、推しが何らかの形でトラブルに見舞われた時、推しがトラブルの原因になっているなんてことも起こりえます。
人間がかかわっている以上、仕方のないことです。
そんなとき、推している私達の心も大きく乱れます。
推しが心の中を占める部分が大きいほど、ショックも大きくなります。

推しているということは、つまり自分の中の大事な部分、大切にしていることを推しの中に見出しているということです。そうでなければ好きにはならないでしょう。
ルックスなのか、思想なのか、生き様なのか、グループの関係性なのか。どんなことであっても、大切な価値観の一部が推しの中にあります。

他人であって、でも他人とも思えない、そんな存在である推しのトラブルです。悲しかったり悔しかったり、あるいはがっかりしたり、急に冷めてしまったり、様々なネガティブな反応が現れることでしょう。
「推し活に癒やしを求めていたのに」、「こんなはずじゃなかったのに」と思うかもしれません。

推しとともにトラブルを味わう

こういうとき、推すのをやめるのも混乱から身を守る一つの方法です。心が不安定な時には、情報から離れて時間が過ぎるのを待つというのは非常に重要な対処法です。

しかし、気持ちに余裕があるのならば、このトラブルを一緒に経験するというのも、推し活の醍醐味なのではないかと思っています。
大切な推しだからこそ、どうしてそんな気持ちになったのか、推しに何を求めていたのか、自分にとって何が嫌だったのか、自分の心に向き合うきっかけになります。危機はチャンスでもあるのです。

じっくり向き合った結果、推しをさらに推すのも良いし、別の推しを探すのも良いでしょう。
推す熱量が下がるけど嫌いになれないとか、嫌いになったけど、この部分は尊敬しているとか、色々な向き合い方があります。そういう色合いが出てくるのも良いのだと思います。
それは「自分なりの向き合い方」「自分なりの意味」だからです。
それは推し活をしなければ見えなかった「宝物」といえるかもしれません。

推し活のことって意外と、ファンの間でも温度差があったりして話し合いにくいことがあるかもしれませんね。
また、自分の中では大事でも、他人にはその大事さは見えにくい、きわめて個人的なテーマと言えると思います。

前の記事でも書きましたが、実際にカウンセリングの中で「推しているもの」についてお伺いすることも多いです。

「推し活の辛さについて話したい」「推しを通して自分のことを知りたい」というご希望がありましたら、カウンセリングでお話しすることも一つの手です。

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