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乳がんが判明して、からの私(5)

判定、そして断乳

転院を決め、再度病院へ。          先生は、どんな選択でも紹介状を書くからね、との言葉通り、すぐに手続きをしてくれた。   書類係の方がまた親切で、最短の時間で転院先に診てもらえるよう、段取りを組んでくださる。 夫と「こんなに手厚いのは重病だからかもね」なんて話すくらい、対応が丁寧で温かく、すばらしく早かった。

転院先での検査は暗い思い出だ。

針で細胞を取られるときも、CTで横たわり起き上がるのも、声が出そうなくらい痛かったけれど、ひたすら息を殺して我慢した。超音波はかなり念入りで、さまざまな角度から写真を撮る音が響く。だんだん体が冷えてくるし背中が痛い。技師さんがまったくしゃべらないのは、相当悪いってことか。

楽しくない結論を出すための苦行。      検査は必要なこととはいえ「ものすごく」消耗する。今の年齢なら出来るけれど、高齢だったら、治療よりもまず、この検査に耐えられるだろうかと心底思う。                

検査リレーを終え、今後の研究のために細胞や血液を使って良いかの説明、サインをする。そして診察。大体は前の病院で言われたことと変わりなかった。ともかく乳がんと確定。今日からすぐに治療に入るので、授乳はもう出来ないと言われる。選択肢は無し。


ほんとうは選べたのかもしれない、と今思う。 検査の連続と体の痛みで疲弊していて、抗う術も力も無かった。聞いてみることもしなかった。 どうせ無理だと。              事前に調べれば、授乳できなくなることくらいわかっただろうに、ただ流されるがままだったその時の私。

さて帰宅して、祖父母に預かってもらっていた子どもたちと夕ごはん。3人ともまとわりついて「お母さん、どうだったのー?」と顔をのぞきこんでくる。

末っ子を抱っこして座り、皆に話をする。   「あのね、お母さん、今日病院でみてもらったらね、こっちのおっぱいが病気になっちゃってるんだって。そのせいで骨も痛いんだって。でね、これから治していくんだけど、そのために薬を注射したり飲んだりしなきゃいけないの」3人とも静かに集中して聞いている。「今日、もう最初の注射してきたのね。でさ、〇〇は今おっぱい飲んでるでしょ?でも、お薬が、強いお薬だから、もうおっぱい飲めなくなっちゃったんだ」ゆっくりだけど、一気に言った。

わーん!てまさにそんな風に、末っ子が私に抱きついて泣いた。トントン背中をさする。長女が泣いている。こちらは涙ポロポロと。長男は「え、〇〇もうおっぱい飲めないの⁈飲めなくなっちゃったの⁈」と質問ぜめ。そして「かわいそう……」と半べそ。

上の2人は、末っ子に自分を重ねていたのかな。もうじゅうぶんに飲んだはずなのに、まだおっぱい飲みたーい!とか堂々と言っちゃう子どもたち。まさかこんな幕切れになるとは、母も思いもしなかったよ。

でも、辛く硬く冷えていた心が、温かくほどかれていくようだった。             子どもの持つエネルギーがまっすぐに、どどどっと、ふわっと、包むように私をほぐした。   もういい加減にしてくれ〜と思うくらい圧が強すぎて、あきれる時もあるけれど、それぞれ生まれ持ってきたものに、今日も救われた。     損なわないようにだけしたい、といつも思う。

その晩、末っ子はなかなか寝つかず、夜中も何度か起きたり寝たりを繰り返した。ごめんごめんと唱えながら、私もうまく眠れなかったけれど。


読んで頂き、ありがとうございます。     ひとまず「乳がんが判明」するまでを、一気に書いてしまいました。もう記憶が曖昧で、時系列などおぼつかない部分もありますが、大体9割は事実のはず……です。だらだら羅列してしまいましたが自分なりに流れを整理してみたかったのです。

ここからは、その時々のテーマ別に、気づいたことなどを書いていきたいと思います。もう少し端的に、読みやすくなるよう心がけます。

何百人という方が、自分が書いた文章に目を通してくださっていること、スキを押してくださる方がいることに、感動しています。       ありがとうございました。          またお会い出来たら嬉しいです。







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