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乳がんが判明して、からの私(2)

わかる少し前の話①

その頃、まだ授乳中だった。もうすぐ2歳になるし、そろそろ卒乳しようかなというくらい。

末の娘は生後、とてもよく眠った。3人目は穏やかで助かるわ〜と私も安眠をむさぼり、気づいた時には体重が増えていなくて、両足が鶏ガラのようになりびっくりして気づくお粗末な母。その後はとにかく、起こしてでも飲ませなきゃと、夜中も含めて授乳に気を遣った。母乳はよく出る体質だから大丈夫。体重も順調に増えていった。

ただ、夜の授乳はメリハリがなく長かった。起き上がって飲ませ続けられず、添い寝のまま、ハッと目が覚めるとまだ飲んでいる。体は固まり、離そうとしても離してくれない。痛い。姿勢を変えたい……。あぁでも、今離したら泣くだろうなぁ……。結局、そのまま眠気に負ける。明け方、ヒヤッとした冷気で布団をかぶり直すまで。

だから、体の痛みが出てきたのは寝る姿勢のせいだと思った。重くなってきたし、抱っこしたまま急に動かれるとすぐに筋肉痛みたいになるし。齢だなぁ。

最初は自分で工夫して、体の使い方を変えてみたり、ストレッチしたりマッサージしたり。痛みが和らげば日常を送れた。誰かに相談するとか、病院に行くような話じゃない。

それよりやりたいことはたっぷりあった。思春期前期で反抗期の長女、幼稚園で元気に遊びケンカしてくる長男。次女とも今はみっちり2人の時間を味わいたい。子どもたちと接しているだけで1日が飛ぶように過ぎる。今だけの時間。私は子どもを育てることに力を注いでいた。すべての基準はそこにあった。

一方で、今思えば。次女が昼寝した空き時間、こっそり食べる食パンやお菓子は一食分を軽く越えていた。その時間が作れない日は子どもに八つ当たりするくらい。でも罪悪感が先に立って誰にも言わなかった。夫に「何かあったら言って?」と聞かれても出て来なかった。

今はわかる。体休めたいから変わってくれる?おやつの時間くらい自由にさせてくれ〜、これだけのこと。助けてよ〜って、そのひとこと。

私は、自分が自分をどうしたいかという答えを持っていなかったのだ。


筋肉痛だと思っていた体の痛みは、時々に場所を変え、なかなか無くならなかった。さすがに病院へ。総合病院の整形外科。2時間ほど固いイスで待たされたあげく、レントゲンを診た若い医師は「神経質なタイプですか〜?育児の合間にストレッチしてね」と和やかに言った。特に異常は無いと。

そのうち、布団から起き上がるのにものすごく力と時間がかかるようになった。自分の重みで軋むように痛い。どうにも動かせない。探るように楽な姿勢を見つける。トイレには這っていくが、履いている服と下着を下ろせない。必死に呼吸して痛みを逃す。朝のトイレに20分以上を要するようになった。


私が神経質なタイプって……そんな診断あるかいっ!と、今は言える。痛いものは痛いんじゃい。

でもその時は言えなかった。馬鹿みたいだけど本当に、言い方を知らなかったのだ。

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