ひきた

思ったというよりは感じたことを書くところ。 誰かに届けというよりは自分に落とし込みたい…

ひきた

思ったというよりは感じたことを書くところ。 誰かに届けというよりは自分に落とし込みたいところ。 この世は人間が多すぎるから、その中で1人の時間を充分に堪能しようってnote書いてる。キャプテン・オリマーになりたい。

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普通ってなんだよ。私だって普通が良かったよ。

 10月1日。私は、noteを書き始めます。今始めることに大きな意味はないけれど、10月はきっと勝負の月になるので、はじめの一歩って気持ちでnoteを始めます。いきなりなので、私のことを少しだけ紹介します。私は、ひきたとよく呼ばれています。現在、20代という舞台に足を踏み入れ、沖縄県で大学生として生きています。これで、短すぎる自己紹介を終了します。 普通になりきれなかった。 初めてのnote。何を書こうか考えた末に、私が普通になりきれなかった話をしようと思う。  私は、世

    • 人がまちにいる理由〜佐賀県基山町を訪れて〜

      帰れるまち。 帰りたいまち。 帰っていいまち。 「ただいま」と言えるまち。 「おかえり」と言ってもらえるまち。 そんなまちがあるだろうか。 これを読んでくださる方も一旦考えてほしい。 佐賀県基山町。 みなさんはご存じだろうか。 私は申し訳ないが、基山を訪れるまで知らなかった。 もし知らない人がいたら、この機会を機に知ってほしい。 基山との出会い基山に行くきっかけになったのは、九州移住ドラフト会議というイベントであった。 ドラフト会議で基山チームに指名していただいた私は、

      • じいちゃん、今どこで生きていますか?

        6月下旬から22時以降はパソコンを触らないようにしていました。いや、正確には7月からかもしれません。理由は単純で、夜眠れなくなってしまったからです。あとは、心が少し不安定になっていたからかもしれませんね。代わりに7月から1冊本を読む夜を過ごし始めたんです。そんな自分との約束も今日で絶ってしまうようですが。 『はなちゃんのみそ汁』(著者:安武信吾・千恵・はな/文藝春秋、2015)を読んでしまったからです。しまったというと下降な印象になってしまう気がするので良くないな。読んだか

        • 嫌だと言わなくなってから、ずっと苦しかった。

          オワライ私は、オワライには関心がありません。 というには無責任すぎる気もします。 見たことがないからです。一度もみたことがないわけではありませんが。 話を合わせるためにみたことはありますし、なんなら面白くもないオワライで面白いように微笑したことだってあります。 そんなきょう。スタンドアップコメディ。 「わらえるでしょうか」 オワライ初心者のわたしは、オワライに馴染めずにいた私は、少し緊張していました。 村本大輔さん。ウーマンラッシュアワーの人らしいです。顔はなんとなく知っ

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        普通ってなんだよ。私だって普通が良かったよ。

          おばあちゃんになってもcoconovaがあったらいいな、

          ※はじめに、このnoteは6月19日時点の書きなぐりです。 この日時点での見解と想いです。 お久しぶりnoteです。 はっちです。 「最近何しているの。」と聞かれることが増えた今日この頃。 私もよくわかりませんが、生きています。 今回のnoteは、coconovaで開催された「NAGOフリーマーケット」編です。 そもそも「coconovaって何?」と思われた方は下のリンクから存分に知ってくださいませ。 と、こーんな素敵な場所で、な、なんと!? 毎月第3日曜日にNAGOフ

          おばあちゃんになってもcoconovaがあったらいいな、

          言葉にできないきもちを、ことばにした。

          なんだろう。 言葉にできない想いを書き起こしたいという衝動に駆られた。 そしていま、キーボードを打つ。 6月23日は慰霊の日だった。 正直、沖縄に来て3年目、今でも慰霊の日ことは詳しくわからない。 ただ、黙祷をし、平和を祈っている日だった。 そんな慰霊の日に関係する、映画のような動画が本日coconovaで上映された。 動画の作成にはcoconovaの館長であるぐっしーさんが関わっていた。 少しこわかった。 見たことある風景に、聞いたことのない音。 日常的から非日常へ。あ

          言葉にできないきもちを、ことばにした。

          生きて、また、あお!「ばいばい!」

          「とにかく書くんだ自分。」 と私を奮い立たせて書いています。 私は、4月1日から9月17日まで「ヤッチャの学校」で生きてきました。「ヤッチャの学校」って何?と思われる方もいるかもしれませんが、これ!ってひとことで説明できないので、以下から飛んでください。お願いします!! んー。何から書けばいいんだとずっとぐるぐるしていて、書かずに8日も経っていました。どこから突っ込んで、「ありがとう」を伝えればいいのか分からなかったのです。幸せなことに、「ありがとう」が多すぎて。しかしで

          生きて、また、あお!「ばいばい!」

          曖昧

          世の中は、曖昧なことばかりだ。 私自身の存在も、曖昧なものでしかない。 誰かが口にする言葉も、泣いている子どもの本心も 曖昧なものでしかなくて、すこし、たいへんな世界。 言語化することこそが、なんて謳われる世界だけど たぶん、多くは言葉にできないことばかり。 言語化しなければならないという発想があること自体 プレッシャーでしかない。 たいへんな世界。だけれど、多くはたいへんな世界で生きているから たいへんな世界ではないという認識で生きられているのか。 それとも、たいへんと

          あなたのこと知らないけど、貴方は誰かの大切な人だから。

           私は、ある1冊の本を読んだ。この本は、大学の講義で参考文献として挙げられていた。いつもの私なら、参考文献には興味すら示さない。難しい言葉で書き綴られ、データでだけで根拠を示す、私にとって良いのか悪いのかわからない書籍であるからだ。しかし、この本は違う。素直な言葉が、真っ直ぐな言葉がデータも数値も使わずスッと入り込んでくる。そんな本を誰かに届けたくて、この文章を書く。  今回、私が紹介する本は、セヴァン・カリス=スズキ(2020)の「あなたが世界を変える日 12歳の少女が環

          あなたのこと知らないけど、貴方は誰かの大切な人だから。