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『小学校高学年時代』と、私。~機動戦艦ナデシコとの出会いがすべての始まり~

声優・ナレーター、日置秀馬(ひきしゅうま)の歩んできた道や想いを紹介する自分史「○○と私」シリーズ。

今回は小学校高学年時代のおはなしです。

ついに声優という職業を意識するようになった最初の一歩について、書けるところまでやってきました。

きっかけは「ナデシコ」


当時、機動戦艦ナデシコというアニメを、リアルタイムで視聴していました。元々ロボットアニメが好きで、それまでもガンダムをはじめ、様々な作品を観ていました。その中でもナデシコは、キャラクターがとても個性的であり、魅力的。戦艦のなかで繰り広げられる複雑な人間模様がコミカルに、またあるときはシリアスに描かれている作品です。現在も時々、自分の原点を思い出すために見返しますが、歳を重ねるごとに、登場人物の言葉が刺さります。痛いところを刺されるような、考えさせられるような…。

さて、この機動戦艦ナデシコが、声優を意識・志した「一番最初のきっかけ」となる作品です。

当時は何も考えず、ただただキャラクターが好き、お話が楽しい、ロボットが戦う。そういった部分を楽しんで観ていました。

それが、なぜ、声優という夢にまで発展したのか。

きっかけは、小学生最後の春休み、友達大勢で、横須賀・観音崎へ釣りにいった日でした。

アニメ最終回の日に遠出


その日は、ナデシコのアニメ最終回でもありました。

ビデオの録画予約をせずに遊びに来てしまったので、近くの公衆電話から自宅に電話をかけます。

しかし、何度かけても通じません。

あきらめて、帰宅後にちゃんと観られればいいやと考えていました。

当時は携帯電話という文化も浸透していませんでしたし、小学生だけの団体ですから、夕方の早いうちに帰らなければいけません。

普通に帰れれば観られる。


そう。普通に帰れれば…。


さあ帰ろう。帰り支度をして、みんなでバス停に。


しかし、バスの本数が少なく、30分に1本くらいのペース…。

大幅なロスタイムです。

そして、ようやく横須賀駅に到着し、電車を待ちます。

ホームでの待ち時間に、ひとりの友人が、公衆電話から自宅に電話をかけようとしていました。その時です。


今でも覚えている。あの謎の、酔いどれおじさん。

自称「俺はァ!!警察だぞぅ!!お前らァ!!」と叫びながら絡んできたおじさん。


そのおじさんをみんなであしらい、事なきを得たものの、それが原因で電車に乗れず…何本か見逃すことに。

そしてさらに、「蘇我」という行先が表示される電車。

蘇我入鹿は知っているけど、蘇我とは…どこに連れていかれるのか…

小学生、神奈川県からほぼほぼ出ずに育ってきたわたしたちにとって、まだ蘇我は未知の領域だったのです。

乗り慣れない路線で、どこに行くのか、停車してほしい駅にいくのか…

全く分からず、しばらく見送る、小学校6年生のわたしたち。

あるタイミングで、ようやく乗る決意をして、無事に最寄り駅へ。

こうして小学生として最後のレジャーは、幕を閉じたのでした。


だが、帰宅すればナデシコが待っている。もう一つの、みたかったアニメには間に合わなかったが…ナデシコは最後の10分くらいは…せめて。



アニメの最終回は見逃してはいけない


…間に合いませんでした。

急いで2階に駆け上がり、部屋のテレビをつけましたが、すでに放送は終わっていました。

当時ナデシコは毎週火曜の18時半から。

時計は19時。


その時、「アニメの最終回はなにがあっても見逃してはいけない」

ということを小学生のわたしは深く胸に刻みました。


今でこそ、レンタルビデオだ、サブスクリプションだ、円盤を買うんだ、というのはよく言われることですが、当時はそういった文化も財力も、発想もなく。

ただただ、リアルタイムで見られなかったことを相当悔やみました。


できればアニメというものは、リアルタイムで観たいものです。

なぜなら、その日の気持ちや出来事、自分の姿や記憶までもが、作品とともに、くっきりと刻まれるからです。

後々にアニメを見返すことは、当時の自分と対話をすること、振り返り、今を・未来を考え直すこと。

いわば瞑想のような、自分自身を見つめなおす作業とも言えます。

※これについては、機会があればまた、別の記事でも取り上げてみたいと思います。


頑なに観ることはしなかったのちの時代

…以後、何度かナデシコを観るチャンスは、深夜の再放送やレンタルビデオなど、多々ありましたが、高校生になるまでは、結果的に作品をもう一度観ることはありませんでした。

それほど、印象深い出来事だったのです。



ナデシコを観ていたら…


この出来事以来、アニメの最終回をみることに固執する時期は、高校卒業まで続くことになります。

もしあの時、ナデシコの最終回を、普通に観ていたら。

自分の中で物語が完結していたら。満足していたら。

あんなにアニメに対して熱意を持つことはなかったのではないか。

このあとに起こる人生のターニングポイントに、行きつかなかったのではないか。


そう感じています。

その、「人生のターニングポイント」という出来事が起こるのは、もう少し後のお話になります。


おわりに


今回は、小学校高学年・声優を志すきっかけとなった、最初のはなしをお届けしました。

なぜ、ナデシコが最初のきっかけなのか。それは、このあとの歩みで紐解かれていきます。

最終回を見逃したことで、アニメを観ることに執着心をもった当時の「ボク」。

あの頃は、自分が声の表現者、マイクの前に立ってなにかをしようとするなんて、考えてもいなかったでしょう。

次回、中学校編にて、その扉が開かれることになります。

また次回、お会いしましょう。

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