幸福は「なる」ものではなく「感じる」もの 2of2
今回は幸福は「なる」ものではなく「感じる」ものという内容でお伝えしています。
前編はこちら
人間は幸福にひたることが下手な動物
前編では「我々は幸せに到達することはできない」という説明をいたしました。
後編では、「なので能動的に幸せを感じる必要がある」という考え方についてお伝えします。
感謝こそが唯一のラットレース脱出のカギ
感謝、感謝です。
とてもつまらない結論に聞こえるかもしれません。
そして押しつけがましく、古典的な教訓めいて聞こえることでしょう。
しかし、最初にお伝えする「感謝すること」が究極的な結論であります。
それはなぜか。
それは
「いまもっていない不足したなにか」(不幸)から
「いまもっている満たされた自分」(幸福)に
目を向ける作業こそが、感謝だからです。
たとえば
毎日出勤しなくてはいけないのがつらくて、資産を持ってやりたいことだけやれたらいいのにな。(資産がない不幸)
から
いやとりあえず給料がもらえていて、ごはんが食べれていて、温かいベッドで寝れるような暮らしができていること自体は、ありがたいな。(安心できるく暮らしがある幸福)
に目を向けることができます。
毎日腰が痛くてイライラする。(健康が損なわれている不幸)
から
とはいえ、トイレとかお風呂は入れて、出勤もできていることはありがたいな。(できることはある幸せ)
に目を向けることができます。
さて対策を知ったうえで、前編でお伝えした、ゴルフの話をもう一度考えてみましょう。
─────────────以下前編引用────────────────────
不満のラットレースは終わらない
不満発見器としての優秀さは、かつて人類に必要な嗅覚だったと考えた場合、いまの不満が解決した時に、ひとは幸福になれるかを考えてみます。
もしも私が、いまの仕事を仕組化し、必要に応じてアウトソーシングして、脱属人化・DX化して自分が働かなくてもよくなったとします。
行きたかったゴルフに行って、さぞ幸せな毎日を送るかと思えば、次の不満に出会います。
やあやあ、わたくし、腰痛と申します。
やあやあ、わたくし、あなたのフィットの隣に停めているテスラです。
やあやあ、わたくし、あなたのクラブの最新モデルと申します。
「可哀そうに、そんな痛みに耐えて、そんなみすぼらしい車に乗って、ふるーいクラブをお使いなんですね。」
欲望は永遠に満たされることはありません。なぜなら我々は不満を見つける達人なのですから。
さながらハムスターが回す滑車のように不満から不満へ飛び移っているにすぎません。
─────────────以上前編引用────────────────────
さて、ここで「感謝」の登場です。
腰は痛いけど、久々運動できて、身体も喜んでくれるだろうな。
まだまだ走ってくれよ、フィットちゃん。
ようやくドライバーが馴染んできた。今日はいいスコアで回れるかな。
もしこうして、いまあるものに目を向けて、幸せを感じようとすることができれば、
緑に囲まれたロケーションに目が向けられるかもしれません。
深呼吸していつもと違う空気や自然の匂いを感じられるかもしれません。
緑の間からやさしく、まぶしく差す太陽に気づくかもしれません。
幸福は「なる」ものではなく「感じる」もの
さて結論ですが、人間という動物は、次の解決すべき課題を発見し、課題解決に向けて熱心に検討を、自動的にしていってしまいます。
この、かつての素晴らしい本能とはあえて適切な距離をとり、自分で能動的に、幸福を感じるという作業を、感謝という作業を通して、あなたが、あなたのために、まるで子供をあやすかのように、仕向けなくてはならない、ということをお伝えいたしました。
今回は「幸福は「なる」ものではなく「感じる」もの」という内容でお伝えしました。
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