短編小説 | 水鳥 #2
秋口に、エイジはこの自然公園でイズミと出会った。
大きな池を中心にぐるりと周回する歩道があり、都会にあってもうまく自然を作り出している。その歩道を囲む森林にも、水鳥の他に野鳥が生息している。カワセミ、ヒヨドリ、メジロ、コゲラ、ヤマガラ、ルリビタキ。訪れるごとに、自然は人工物の中にも、巧妙に馴染んで生きるのだなと思うものだった。
エイジは来夏のコンクールに向け、制作資料を集めているところだった。水鳥をモチーフに、絵を描こうと思う。なぜ水鳥か。はっきりとした理由はなかった。ただ、何を描くべきかと目を瞑った時、額のあたりに一羽の水鳥が現れた。床のようにしんとした黒い水面の、朽ちた木の上。こまごまとは動かず、じっと、何かの時を待っている。シラサギだろうか。いや、もっと、小さい。水鳥はやがてはたと赤い目をこちらに向けると、羽を開いて飛び立った。その時、胸や羽が青白く光る。そして青い火の玉のように、星夜の梢を飛び越え消えていった。
目を開けると解脱したような不思議な心の静寂を覚えた。水鳥はなぜ光ったのだろう。しかしそれは、想像だからに違いなかった。
エイジは高校の美術部に所属していた。しかしほとほと、他の生徒たちの作品に辟易していた。そして密かに見下していた。彼らの描く絵画は、どれも現代の蓄積された想像に乗っかるだけの、見たことのある写像ばかりであった。
それは例えば水の中に沈みゆく制服。空を飛ぶクジラと制服。仮面をつけた制服。言葉や文字に囲まれた制服。キャンバスを前に絵具を携えこちらを睨む制服。割れた瓶の中の制服。廃墟と花と制服。挙げだせばきりがないが、とどのつまりは思春期のモラトリアムやエモーションの描出だった。絵画とは、芸術とは、そんな程度のものじゃない。もっとできることがあるはずだ。エイジは内心、ひどく彼らの作品に反発した。
いや、内面の描出はそれでよかった。それでもいいが、それで満足している彼らと、そこに与えられる周囲からの評価を見下した。描くこと、描けることに満足していてはだめだ。ありふれたものをわざわざ描いて、それでどうなる。アニメや漫画じゃあるまいし、慣れ親しんだ表現で、ただ共感を作るだけで、友人を、大人を、一時的に喜ばせてどうなる。僕らはサービスでやってるわけじゃないだろう。
彼らの創作に表れるのはつまりは未成年らしさだった。生徒たちは人に喜ばれるという拙い自己の確立のために、単に人々に求められる自分になる。いや、それすらも気が付かず筆を動かしている。エイジはひとりでにそう分析し、そして幾度も反発した。その反発がキャンバスに表れた。暴力、欠損、血しぶきを描く。キュビズム、ダダ、ナンセンスといった描写方法を多用する。そしていつも破壊や突飛、意外、刺激を求めた。喫煙、飲酒、大麻、薬物に手を出し、それらの力を借りて自動手記も試みた。
そうしてエイジの作品は過激に走った。顧問の美術教師はいつも彼の作品を前に複雑な表情を浮かべた。そして容認しながら、困惑し、しかし否定せず、結局自由にさせた。
が、いざ出来上がった自分の作品を目の前にすると、やはり他の生徒と同じような現代の想像の騎乗であった。屋上で踊る蜘蛛の死骸。鉄塔に飾られる少女の人形。狂ったサーカスの開演から破綻までの一部始終。絵画に溶け込む男の葬式。それらの創作はこれまで見たアニメや漫画にどこか似ていた。
どれも見たことがあるものだ。出来上がった絵画を壁に飾ってみては、そう落胆し、廃棄した。そうして自分の創作の程度を思い知ると、自失し、しかし次こそは、と、構想を試みた時、ついと何も思い浮かばなくなった。ありふれた想像すらも起きない。
もう自分の中にあるすべての想像を尽くしたのか。と、その発想に驚きながら、改めて自分の想像を探すべく、まるで机の引き出しを漁るように、今まで自分が繰り返していたはずの想像を、記憶の中から探し出そうと試みた。しかし、やはり何もない。引き出しに何もないのではない。ただ机すらないのである。
そのことに気が付くと恐怖した。徐々に食も細くなった。自分は次に何を描けばいい。何を描くために生きればいい。そう思い詰める日々に、ついに何も喉を通らなくなった。薬物や煙草も忘れ、数日、布団にもぐる日々が続いた。
そしてある晩、肉や欲がすべて削ぎ落されたような静寂のなか、水鳥の想像が起こった。
果たしてその想像が稀有な作品を生み出せるかは疑問であった。が、それでも鳥を描こうと思った。結局ありふれた想像である。しかし、何かのお告げのようにも感じた。何よりやっと生まれた想像に、すがりつくような心地だった。
「写真、撮ってるんですか」
イズミの最初の挨拶はこうだった。
エイジの父親はもともと多趣味で、それらに金を惜しむ様子はなかった。そのひとつにカメラがあった。買い替えるからと数年前に譲り受けたニコンの一眼と、絵の資料に野鳥を撮ると言ったら嬉々として貸してくれた五〇〇ミリのレンズ。無論その値がどれほどであるかをエイジは知らなかったが、しかしその未知の重さや手触り、専用の鞄、緩衝材やサテンのクロスなどが貴重なものであることを感じさせてくれた。
そんな大仰なカメラを三脚に乗せ、構えているのだから、撮っていないはずがない。
しかしエイジは顔を上げて笑顔を返した。その挨拶が可愛らしい声であったからだった。
「はい、(撮っています)」
「すごいですね。ちょっと、見ててもいいですか」
「え? ……えっと、(大丈夫です)」
「やった。じゃあ、ここに」
「……。(でも見ていたってつまらないですよ。まだ撮り始めて少ししか経っていないし、うまくもないんですから)」
その子は臆することなく隣に座った。(続)
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