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オタクネイティブ、インターネットへ

どうも、先日「知識を入れすぎて頭がおかしくなった事があるオタク」と言われてしまった人です。自覚ある~!調べてみたら、情報過多シンドロームという症状があるのだとか。ネット社会ならではの弊害というか、なんというか。そんな折、#はじめてのインターネットなんてnoteのお題を見つけたので、昔話をひとつ……という次第です。「早く本題に入れ?」そうですね、前置きやら話が長いのがオタクという生き物のサガです。もっと論理的になればいいのに。

パソコンとの出会い

1976年、昭和で言うと51年生まれなので、日本にマイコンブームがやって来ようとしていた頃ですね。コンピューターといえば会社の書類棚ぐらい大きい代物で、電卓が1万円ぐらいした時代です。

わたしは、流石にその辺りの話は口伝でしか知らないので、普通に就学前はゲーム&ウォッチなどのLSIゲーム、小学生の時はファミコンを中心としたテレビゲーム……というオタク養成コース(特進科)を順調に歩んでいました。

そんな小学生の頃、開局したばかりのテレビ大阪でやっていた番組がパソコンとの出会いになります。そう、パソコンサンデーです。司会は小倉智昭さん。ラジコンカーも大好きだったので、タミヤRCカーグランプリも観ていたわたしは完全に小倉智昭漬けですね。シャブ中みたいに言うな。

パソコンサンデーでは、大阪制作なのでシャープのMZシリーズとかがよく紹介されていました。プログラム講座とかもあって、サンプルプログラムが副音声で放送されて、視聴者がカセットテープに録音してパソコンに読み取らせていました。音楽メディアとしてのカセットテープすら過去の遺物扱いなのに、パソコンの周辺機器にカセットテープリーダーとか、本当に置いてけぼりな話ですね。

そんな感じでパソコンという存在は知りましたが、小学生に手が出せる代物ではありませんでした。主に価格面。なので、手にすることはなく時は流れます。ちなみに、この記事のタイトル画像も、その頃の写真です。昭和感半端ないって。

シン・パソコンとの出会い

中学3年生の頃(1991年)。友人の友人みたいな人の家に行くと、そこにあったのがMSXturboRでした。俗に言うホビーパソコンですね。本体とキーボードが一体になっていて、テレビに繋いで使います。メディアはフロッピーディスクとカートリッジ(確か)。価格的にも10万円弱だった記憶。恐る恐る触らせてもらうと、た……楽しいぃぃぃ!これで、完全に目覚めました。欲しくなったわけですね。

実際に調査を進めると、その頃のトレンドはNECのPC98シリーズで、ソフトもいっぱいあるらしい。当時、光栄(現:コーエーテクモゲームス)の歴史シミュレーションゲームにハマっていたのですが、その手のゲームも豊富!ワープロソフトなどもあるから、将来の仕事にも役立ちそう!学校でも、化学の教員がPC98を持っていて、教室に持ち込んだりしていたから、興味はマシマシ。ニンニクもアブラもカラメもマシマシです。あ、野菜は程々で。

「志望校に合格したらパソコン購入」という、条件で親と契約したわたし。当時、地元の高校受験事情は「余程アホじゃなければ近くの公立高校に行ける」状態。ガバガバの目標ですね。楽勝です。

翌年3月。志望校である地元の公立高校に無事合格。家から一番近い電気街である大阪日本橋でんでんタウンにて、PC-9801RSを中古で買いました。モニタとMS-DOSを付けて25万円。アホみたいに高い。でも、当時の新品はもっと高かった。イマドキのゲーミングパソコンなんて比じゃないくらい高いですね。

おいでませ、パソコン様

そんなこんなで、PC98がやって来ました。メディアは5インチフロッピーが2基。ハードディスクはありません。当時もあったけど、必要性は無かったですね、まだ。ここから、足りないアレコレを継ぎ足していく行程です。基本的に出来ないことが見つかると、バイト代を当てる感じです。高校はバイト禁止だったので、長期休みになる度、母の勤務先である工場へ通ってました。見つかれなければ、どうということはない。

買い足した周辺機器というと

  • サウンドカード(ゲームも無音だったので)

  • 3.5インチフロッピーディスクドライブ(ゲームソフトが3.5インチメディアに移行したから)

  • カラープリンター(ドットインパクトなので音はデカいわインクは高いわ……)

  • SCSIカード(周辺機器を接続するのに必要でした)

  • ハードディスク(120MBのクセに夏休みのバイト代がほぼ溶けました)

あたり。無茶苦茶ですね。ちなみに、この世代のパソコンだと基本的にWindowsは動きません。メインメモリも640KBしか無いので、ある程度空けないとゲームは動かないから、設定ファイルの書き方を試行錯誤したり、簡単なコマンドでゲームが起動するようバッチファイルを書いたり……。バッチファイルは今でも使いますね。大量のフォルダを作る時にエクセルでフォルダ名をまとめて書いて、バッチファイルにさせて実行すると一気にフォルダを作れます。便利。

オレ通AtoZ

見出し通り、モデムも買いました。パソコン通信です。オレ通AtoZはヤングマガジンでやっていたパソコン通信が舞台のマンガです。ISDNにする余裕はなかったので、回線速度が128kbpsとか聞くと羨ましくなりました。わたしのスマホキャリアはワイモバイルなのですが、通信制限時で128kbpsです。アナログ回線のMAX56kbpsってなんやねん。テキストしか送られへんやん!……あ、昔のBBSは文字情報だけだから問題なかったのか。とりあえず、高額なミカカ代(ネットスラング)が怖いのでテレホーダイに入りました。23時から翌朝8時まで登録の電話番号へかけ放題です。使っているサービスのアクセスポイントを登録して、23時からBBSの更新データを専用ソフトでまとめてダウンロード。朝になったら回線切断。切り忘れると大変です。当時は「みんなGoogleアカウントで身バレした状態での交流」みたいな感じだったから、荒れたりしなかった思い出。過去記憶の美化かもしれませんが。

ただ、Windows3.1がまぁまぁ普及しだすと、98シリーズソフトとDOSしか使えないこのマシンが苦しくなってきます。コンパックを始めとする安価な海外製DOS/Vマシンが市場へ増え(セガの変態ゲーム機テラドライブもこのライン)、NECも次世代機であるPC-9821シリーズへ注力。わたしもコンピューター専門学校でシステムエンジニアを目指す勉強をしていたので「流石に自宅でもWindows3.1を使いたいなぁ」となり、これまた中古のPC-9821マシンを購入。でんでんタウンで買って、手持ちで帰宅。繋げてみたら、最初に買ったモニタじゃ全画面表示されないので、今度はモニタをでんでんタウンで買って、手持ちで帰宅。当時のモニタはブラウン管で重量も体積も大きかったので、スーツケースより大きかった。よく「自分で持ち帰ります」と言ったら、取っ手まで付けてくれたね。日本橋の電気店の店員さん。

ここまで苦労して手に入れたPC-9821ですが、そんなに長く使うことはありませんでした。なぜなら、1995年11月25日にWindows95の日本語版が発売されたからですね。

ジー!ジョー!とインターネット

やっぱり本題までの話が長い!既に3,000文字超えてるやん!写真もないのに地味!!で、Windows95マシンが欲しくなったんですよ……そう、諸般の事情で。ジー!ジョー!©乙女戦士クルピヨン

時に1997年夏。世界は核の炎に包まれ……ることはなく、海も枯れず、地も裂けず、オタクたちは平成初期頃より長らく続いた、見えない束縛の中から自由を掴み取ろうとしていた。そして、一本のゲームソフトが発売されました。Leafのビジュアルノベルゲーム第3弾「To Heart」です。その後、テレビアニメやらプレステなどで発売されますが。オリジナルは18禁です。アダルティなゲーム。背表紙に輝くプリズムシール。

Windows95用ゲームをプレイするためには、Windows95が動くパソコンが必要。ようやく自作パソコンとかの概念が生まれる頃ですが、SEの夢はどこへやら。ただただ機械を修理し続ける毎週100時間労働の社畜に色々と考える余裕はありませんでした。手取りで24万ぐらいだったから時給600円。ドッキングステーション的にドライブや外部入力端子と本体が分かれる変態ノートマシン、FMV-BIBLO NPをビシッと現生で買います。定価は約50万円。色々と頭おかしい。

で、購入したわたしはTo Heartをプレイした後、WHITE ALBUMでアイドルと恋したり、こみっくパーティーで同人作家としてバリバリ恋愛するんですが、それは別のお話。葉鍵系ムーブメントに身を投じることになり、同人誌即売会へ足繁く……。

今回の本題はインターネット。そう、このマシンにはモデムが内蔵されており、添付物にもOCNなどのプロバイダ接続キットが付いていました。電話線をパソコンに接続して、諸設定を済ませるとブラウザが立ち上がって、インターネットにアクセスできるアレです。男色ディーノの男色インターネットだと、アクセスできるのがホモの世界です。って、誰がわかるねん。わたしの文章は文化のミックスジュース。混ぜ合わせると美味しくなります。闇鍋になる可能性もある。はじめてのインターネットは、薄かったです。ほら、元々パソコン通信で草の根BBSとか訪問してた人だから。

この3年後、国内サッカーの深~い沼にはまり込み、ネットを通じて知り合いが増え、「じゃあ自分もやりますか」と立ち上げたサイトが形を変えつつも20年以上続き、飲み会で同席だった女の子に名乗ったら「あ!サイト見てます」と言われ、今は一緒に暮らしているのだから、ネットは面白いものなのです。なんや!惚気話やんけ。

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