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乗り換えたい/もちはこび短歌(20)

〈御茶ノ水橋口〉を出て地下鉄の「御茶ノ水」まで歩いて二分
奥村晃作『ビビッと動く』(六花書林、2016年)

 わたしはもう、かれこれ十日以上、電車に乗っていない。珍しい日々を過ごしている。
 そんな今、この一首をよく思い出す。歌集『ビビッと動く』を初めて読んだ時からこの歌が好きだったけれど、ここにきて記憶の層を急上昇中だ。
 「〈御茶ノ水橋口〉」とはJR中央線・総武線の御茶ノ水駅の改札口のひとつ。「地下鉄の「御茶ノ水」」は東京メトロ丸ノ内線の御茶ノ水駅のことだ。同一の駅名だけれど、駅舎同士は繋がっておらず、乗り換えるためには、一旦、改札を出て「二分」ほど歩かなければならない。と、東京都内のとある二つの駅の立地事情を解説したわけだけれど、この歌は解説通りのことが詠まれている。
 立地解説がコンパクトに一首の短歌となっているおもしろさとともに、地上のJRから地下の東京メトロへと降りてゆく感じが、縦書きにした時にはよく表れていて、現地を知る者からするとそんなリアルさも感じる。おもしろさと実感のコンボが、わたしの記憶に深く残っていた理由かもしれない。
 でも、しばらく電車に乗っていない日々を過ごしていると、そのコンボとは違う側面からこの歌を捉え始めていることに気づく。書かれている〈事実〉そのものが妙に恋しくなってきたのだ。

 乗り換えたい。

 わたしは今、そう思っているのだ。
 奥村さんが〈事実〉をこの歌に詠んだ際、心の底には、「御茶ノ水」駅同士が「歩いて二分」の距離にある離れた立地に違和感を感じられていたのかもしれない。もしかしたら、一旦、改札を出て、屋外のお茶の水橋(橋の正式表記は「お」と「の」がひらがな)を渡り、地下の改札へと降りなければならない不便さを提示されたかったのかもしれない。その違和感や不便さは、両駅の間に神田川が流れているために通常の東京の乗り換え駅のように地下で繋げることができなかったという、隠れた〈事実〉を表しているのかもしれない。いつものわたしなら、そんな想像をして楽しんでいただろう。でも、わたしが今感じているのは、こういうことのもう少し手前にある感情のような気がしている。

 乗り換えたい。

 ただ、電車の乗り換えをしたい。御茶ノ水であの不便さを味わいたい。
(御茶ノ水は我が家の近所だけれど、通勤という苦行では使わない駅だから、そう思うのかもしれないけれど…)
 外出自粛によりすべての行動が変わってしまったわたしには、こういう〈今までの日常〉をたくさん思い出したいという欲求が萌している気がする。日常を一瞬で思い出すには短歌はもってこいの文芸だ。そんな中でも、なんでもないごく当たり前の〈事実〉に気づきを与え、日常を楽しくもしてくれる奥村さんの短歌の数々。それらが今、いつもの輝きとは少し違った色で光を放っているように、わたしには見える。

文・写真●小野田光
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「もちはこび短歌」では、わたしの記憶の中で、日々もちはこんでいる短歌をご紹介しています。更新は不定期ですが、これからもお読みいただけますとうれしいです。よろしくお願いいたします。

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