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パチャママと出逢った時の話

 2017年10月末、僕は音楽考古学博士のエステバン・バルディビアさんとのツアーでアルゼンチンのコルドバ州プニージャ地方にある集落サン・マルコス・シエラスにいた。
 初めて訪れたその村は、しばしば「アルゼンチンで最もヒッピーな場所」と言われるだけあって、到着した瞬間から異様な興奮を僕に与えてくれた。裸足で歩く人々、パロ・サントとマリファナが混ざった異様な芳香、あちこちで揺れるハンモック… 通りでは「鶏卵10個やるから玉ねぎを3キロくれ」などといった会話が聞こえた。

 エステバンさんは主として南米プレ・コロンビ期のチョレア文明やカマクアケ文明の音具に精通した学者だが、ティト・ラ・ローサさんのサポートを数か月した経験から、様々な古代楽器を使ってトランス状態に入るような演奏を繰り広げるミュージシャンでもあって、このツアーで僕らは合わせて100種ほどの楽器を用いたステージを展開し、評判は上々だった。

 しかし、この日は(冷静に考えればこの地では当然のことなのだけど)予約はゼロ。会場は150人は入ろうかという集会所。不安そうなエステバンさんを横目に、こういう時には頭が働く僕は、会場の窓を全開にして音響チェックとリハーサル(コンサートは即興なので、リハーサルなんてあってないようなものだが)を始めた。するとみんな窓のところにどんどん寄ってきて、「今夜は何があるんだい?」「それは何だい?」と質問攻め。そんな甲斐あって、コンサートは大盛況。
 見目麗しい女性に目がないエステバンさんは、演奏を終えると片付けもせず、演奏中にウインクで落としたであろう美女2人と、両手に花、ビールを呑みながらどこかへ消えてしまった。

 残された僕は一人、楽器の片づけをしていた。これだけの数の楽器、しかも中には数千年前の土笛の本物なんていう貴重なものもあって、何かあると大変なのだ。
 とは言え、この作業も慣れたもんだし、お客さんもみんな帰って会場には自分だけと思いこんで、僕も呑気にビール片手にやっていたら、短パンによれよれのTシャツを纏い、長い灰髪垂らした一人の老男が裸足でまるで影のように近づいてきて、ガラス玉のような目で僕を見つめてこう言い放った。
「お前はシャーマンだ。」
 何の事だかさっぱり理解できず、きょとんとその爺さんを見返すが、目が合わない。こりゃ、葉っぱで相当いっちゃってるんだなと思い、「いやいや、僕はただの日本人音楽家です。コンサートよかったでしょ?」などとおどけて答えた。

 するとその爺さんはむっとするどころか、むしろ嬉しそうに、「私は分かっている。星たちがこのところ、遥か遠い土地の、私とは異なった力を持つ者がやってくると教えてくれていた。お前、今夜の宿はあるか」
 宿について何も聞かされていなかった僕は、どこに泊まるかまだ決まっていないと正直に伝えると、「じゃあ俺の家に来い」と言うので、その誘いに乗って、彼の家に泊まることにした。
 演奏会場から家までの道を一緒に歩きながら、彼がコメチンゴン族のシャーマンであること、彼の家系は代々「時を司る」人たちであること、彼自身はそれを全く特別なことと思っておらず、それどころかシャーマンであることすら重要ではなく、ただ薬草やマッサージ、言葉で人々を助けていること、などを彼は僕に語った。
「お、大事なことを言い忘れていた。我が家にはベッドはない。トイレも、熱い湯が出るシャワーもないが、庭がある」
 その日は土間で眠った。
 
 明朝、けたたましい鶏の声で目を覚ますと、眼前に彼の嬉しそうににやついた顔があった。
 顔も洗っていない僕に「起きたか。さぁ行くぞ」と彼が言うので、どこへ?と尋ねると「私はお前がシャーマンであることを知っている。ただお前はあまりにも遠くから来た。我々の土地の魂がお前を受け入れてくれるか確かめに行く。我々の最も大切な場訴で儀式をする」、そう言って、彼は僕にいくつかのお気に入りの笛を持つように指示した。
 そうして僕らは裸足で歩き始めた。

 裸足の散歩か…数分だろう、と思っていた僕はえらい目に遭う。
 数々の川を渡り、茨の道を進み、石の上を飛び、茂みの中の道なき道を歩む。そこは私有地でありながら自然保護区の中にあって、通常、部外者は近付くことが出来ない。僕らは次第に動物のようになっていく。まだ津軽にいた頃、マタギにあこがれて白神の山に何度も籠ったのを思い出す。
 2時間ほど歩いただろうか。突然、巨大な岩山が現れた。彼曰く、遥か昔、噴火で吹っ飛んだ岩が他の大岩の上に落下し、まるで家のような形を作ったものだという。彼らはこれを「石の家」と呼ぶ。

 その洞窟の中に古い手織物を広げ、その上に数々の薬草や大切なものを並べ祭壇を拵える。僕も持っていた笛を置く。
 「パチャママよ。パチャカマクよ。あなた方が我々に与えて下さる全てに感謝します。とうとう彼と出逢いました。あなた方の声をお聞かせください」という祈りのあと、彼は小さな太鼓をぽつぽつと叩きながら煙をふかし始め、鋭い目線で僕に笛を吹くように言った。しかしこの時の笛の吹き方はそれまで生きてきて初めてやったような、つまり彼の言葉をそのまま使えば「一気に全部吸って、一気に全部吐く」というものだった。こんなことを3分も続ければ、酸欠でふらふらになる。その上、そんなやり方で笛を吹き続ける僕の鼻の穴に、彼は幾度となく薬草煙草を詰めたラぺ(キセルのようなもの)を挿し、ぼっと吹いて、僕の身体に入れ続けた。あっという間に意識は遠のき、眼前にはただただ真っ白な世界が広がっていった。

 気が付くと辺りは真っ暗だった。
 「お前は受け入れられた。お前はここで生まれた。お前の役割は音と静寂を司ること。」
その言葉に音楽家である僕は静かな興奮を覚えた。
 
 8つか9つでケーナを吹き始め、ずっと音楽に導かれるままに生きてきた。
 この楽器を生み育んだ土地と人々の事を知ろうと、たくさんの旅をし、プレ・コロンビアの時代まで遡り、様々なことを学んだ。その上で、僕は自分自身の音楽をやる務めがあると、毎日曲を書き、ケーナには楽器としてより開かれた未来を見せたくて、新しい奏法の開拓なんかをがむしゃらにやってきた。故ハイメ・トーレスさんや故ラモン・アジャラさん、ディノ・サルーシさん、フアン・ファルーさん…憧れの巨匠たちともたくさん共演させてもらった。
 それでも僕は、どこまで行っても日本人であった。
 だから彼の言葉は僕の奥深くに響き、一人の地球人として受け入れられたようで嬉しかった。

 僕が「もう暗いから、今夜はここに泊まろう」と提案すると、すかさず彼は「お前は歩き方を知っている。さぁ帰ろう」と言った。一瞬意味が分からず、石の家の外に広がる景色を見て怯んだが、恐る恐る歩き始めると、すぐに彼の言ったことの意味が分かった。
 月が道を照らし、川に星が流れていた。僕の目はあらゆる光を捉え、足は雲の上のように軽やかに進んだ。これほど明るい夜は初めてだった。
 
 山を降りきったところで、一頭の野生の白馬が現れた。
僕は馬が大好きで、余りの美しさに見惚れていると、彼は「見るな。進もう」と言う。しかし僕はその馬から目を離すことが出来なかった。白馬はそろりそろりと僕に近づいてくる。出逢いの時のこのコメチンゴンの爺さんのように、僕は真直ぐと白馬の目の深いところを見つめた後、首を垂れた。
 すると白馬は僕の額に口づけをした。

 その瞬間、身体の芯に何かが走り、全身に駆け巡るような感覚を覚えた。
「ありがとう」
 僕の口からはこの言葉しか出てこなかった。それはまるで生まれ直すような体験だった。

 それから1週間後、同じツアーで今度はパタゴニアを訪れ、僕はコンドルと出逢う。


*この記事は月刊『ラティーナ』2019年9月号に掲載された文を加筆訂正したものです。

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