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私にとっての読書

今日は、私にとっての読書について。

私はちっちゃい頃から本を読むのが好きで小学生の頃は下校する時必ず本を読みながら帰ってたから近所のおばちゃんに『二宮金次郎やね〜。』と言われていた。そのくらい私の人生において読書はなくてはならないもの。

段々と成長して行って、朝から晩までご飯を食べるのも忘れて本を読むことはなくなったけど、やっぱり私にとって本を読む時間は格別だし、ずっとこの時間が続けばいいのになあと思う。

読む本の種類はビジネス本が増えた。

時間を気にして本を読むようになった。

併読が増えて、小説の登場人物が誰か分からなくなって遡ることが増えた。

それでも、やっぱり読書から離れることはできないし、大体心が乾いてるなあって時はしばらく本を読んでいない時。

それだけ私にとって本は心を満たしてくれるもの。忙しくなると小説が恋しくなる。しかもとびっきり突飛なやつ。私がこれから先の人生で絶対経験しないだろう経験を物語の主人公がしているやつ。

本を読んでる時の私は旅行しているのと同じ。ずっとこの世界に入り浸ってた小さい頃。現実はいつも辛いことばかりで、ずっと目を背けていたあの頃。この時間だけが何も考えなくてよくて、世界中どこでも冒険できて、誰もまだ会ったことのない小人に会えて、好きなものを好きなだけ食べることができた。

人は現実が思い通りにいかないと、空想の世界に逃げるらしいけど私は典型的なそれだった。だからこそ登場人物の姿形や声を鮮明に頭の中に描くことができるようになったし、登場人物の気持ちは痛いほどにわかるようになった。

読書は私の居場所だったなあ。

それは今でも変わってないけど、きっと今の私が前ほどのめり込まなくなったのは自分の居場所が増えたから。辛い時に現実逃避しなくても慰めてくれる友達や恋人ができたから。

大人になると段々小さい頃に持っていた大切なものを無くすっていうけど、全然私たちは無くしてなんかいなくって寧ろたくさんのものを得ている。ただちょっと自分の機嫌を自分の持っているものの中でとるのがうまくなっただけ。

私たちはどれだけ大きくなっても、少し色褪せて行っても、小さい頃に好きだったものを本気で嫌いになったり忘れたりしない。

だからたまに思い出してちょこっと触れてみたらいい。きっと全部全部蘇ってくるから。そしたらまた色んなことにワクワクできるようになる。

と、私は思っているのです。今日短編小説を読んだ。私って本の中に出てくる人にめちゃくちゃ影響される人で、主人公が仏像の修復師だったから今までは仏像なんて全く興味もなかったのに早速仏像の本を買いました。

その小説の中に不空羂索観音像っていうのが出てきてそれがめちゃくちゃかっこよかったのね。額の真ん中には三つ目の目があって、腕は全部で六本。そのうちの一本で縄を持っていてその縄一本であらゆる人々の悩みを逃すことなく救済し、願いを叶えるという意味があるらしい。

縄一本で世界を救うってかっこよすぎ!!!って思ってもっと仏像について知りたくなったのです。こんな風に本って私に知的好奇心をたくさん与えてくれるものでもある。

きっとこの小説を読んでいなかったら私は不空羂索観音像を知らなかったし、本屋で仏像の本を手に取らなかったと思う。これを知ったからどうとかっていう話じゃないけど、死ぬまでに読んだことのない本が世界に一冊でも少なくなって欲しいし、知らないことも一つでも少なくなっていて欲しいと私は思うので、こんな本との出会いにいつもいつも感謝なのです。

今日は仏像の本含め以前から気になっていたジキルとハイドの本とカミュの本を買いました。最近海外小説にハマってます。おすすめあったら教えて〜〜〜〜〜

てことで今日も本読んで寝ま〜す!!!!!!!おやすみなさい!

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