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本当のあとがき

本当のあとがき

書くことがすきです。というと正直あんまりしっくりはこない。

書かなきゃいけないものはいつだって書きたくないし、書き始めるまでは憂鬱で退屈で、書いている作業も最初は気だるい気持ちで書くことが多い。

書きたい時にだけ書くなんていう人生のいいとこ取りは許されない、私は書いて生きていきたい。いつか書くことを生業にしたい。

書かなきゃいけない時にどれだけ書けるかが大切なんだと思う。

書くという行為は嫌でも自分と向き合わなければいけなくて、普段無意識に見ないようにしていたこととも向き合わなきゃいけなくて嫌な気持ちになることも多い。

この書くという行為を通して自分と向き合っているから、自分のことがわかるようになるなんてことは全然なくて、書けば書くほど自分の人間としての未熟さや自分の矛盾に落ち込む。本当に毎日毎秒思ってることが違うくて、それは私という人間にとっては本当に苦しくて嫌なことなのだ。

芯の通ってない人間はめちゃくちゃ嫌い。

ウジウジしてる人、煮え切らない人、見ててため息が出る。

と思って生きているのに書けば書くほど、あらまあ全然はっきりしていないカオスな自分が出てくる、出てくる。うんざりします。

大掃除してる時の掃除しても掃除してもどこかから湧いて出てくるホコリみたいなもの。

書いていて、ハッピーなことなんて一つあればいい方なのに、どうしてもやめられない、書いていることが私にとって呼吸をしているようなもので、意識しすぎると今までどうやって無意識に呼吸してたんだっけとなるように、どうやって書いてたんだっけとなる。

けど書きました。すきなこと、すきなもの。

書いた理由はすきだから。

新しい発見がたくさんあった。すきだからっていっぱい書けるもんじゃない。

だいすきなのにうまく書けなくて断念したテーマがいくつもある。
だいすきなのに、言葉が出てこなくて下書きに残したテーマがいくつもある。

すきの気持ちとたくさんの言葉と理由は比例しない。

まずそもそもすきなんてのは感覚的なものだから感覚に向き合う習慣がないと
理由として言葉を選ぶことは難しいのかも。

これくらいすきだよってダンスして伝えてって言われた方がうまく表現できるんじゃないかと思うようなものもたくさんあった。

でも概してすきはいいものだと思った。

自分がどんな人なのかって問いに、自分自身で納得した答えを用意することは難しいと感じる私だけど、すきは私を作ってる1番大きな確かな要素だから、
そこに向き合うことで自分の形をぼんやりと捉えることができる。

ぽわんとした鷹揚なすきをたくさん集めてこれからも自分のことを
ぼんやりとでも理解していたい。

誰かが自分のすきをもっと愛おしく、もっと大事に
してくれたら頑張って書いた甲斐があるなあと思います。

最後に世界一憧れる最果タヒさんの、
「好き」の因数分解のあとがきを添えて。

「好き」って思うことで、「好き」って考えることで、一つの答えに行き着くことなどない、ただ考えるたび形を変えていく「好き」は、ときどき、ふしぎな美しさをたたえて。
この光を観測できるのは、そこにあなたがいたから、と伝えてくれる。

読んでくれてありがとうございました。



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