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「勝つ!」と「優勝する!」は違うんだ。

小学生の息子2人がバドミントンにハマって半年が過ぎようとしています。6月から書き出したマガジンも17記事を重ねるまでになりました。

有り難いことに試合の機会もたくさん頂き、次男は2年生の部で準優勝の経験も。

親が経験したことのない競技をやり出した息子たち。(わたしはソフトボール、夫は野球)
親がやっていた競技なら優位で、やっていなかった競技なら不利。学びの進歩にも違いがあるし、選手としての成長も遅いんじゃないか、と、やっぱりどこかで思っていたんですよね。体さえつくっておけば大丈夫、と言いつつね。でも今回の次男の準優勝でその概念がガラッと変わりました。

スタートが遅くてもトップ選手になれる。

我が子達を見て確信に変わっています。


わたしの奥底にあった恐れ

わたしは中学・高校とソフトボールをやっていました。強豪校にいたにもかかわらず大学ではソフトボールを選びませんでした。体育大学に進学したのに。それにはこんな理由があります。

リンク先のnoteにこんなことを書きました。

そんなわたしは妬みの標的になりました。しかもわたし、練習が嫌いだったので格好の標的になりましたw

そうなるともう、とにかく目立たなようにしようとするわけです。

自分のできること、強み、才能は表現しちゃいけない。

できること、できたことを喜んじゃいけない。

他者否定という目で自分をどんどん否定しどんどん本当の自分を隠していきました。

わたしの競技者人生は、本当の自分を出すこと、自分ができたことを喜ぶことをめいっぱい封印してきたんです。言い方を変えれば、できないことをできるようになるためにするのが練習でした。だから練習が嫌いだった。できることをもっと伸ばす練習ってほとんどなくて、仲間と認めたり喜びあったりすることもありませんでした。できないことを「なんでできねーんだよ!」って責めあっていたから仲間にもなれなかった。

何のためにできないことをできるようにしていたのか?

勝つためでした。

だから「勝つ」ということは、わたしには必要ではあったけど、苦しみでしかなかったんです。練習は必要だったけど苦しみでしかなかった。

もし毎日やっていることが、たとえ練習というものでなくても、できないことをできるようにするためだったら続きますか?
続きませんよね。苦しいだけです。

でもね。もし毎日がより自分になっていくプロセスを味わっているための経験だとしたら?

彼らがバドミントンをやっているのは、なりたい自分を叶えてゆくツールでしかないんですよね。

勝つことが目的ではない。


優勝するということ

今回、次男の準優勝を見てわたしが感じたのは「息子たちは優勝を狙えるんだ」ということでした。

勝てる選手、ではなく、優勝を狙える選手。

改めてこれを思い知った時、わたしは優勝するために戦ってこなかったと氣付いてしまったんです。勝つためにはやってきたけど、優勝するためにはやってこなかった。

関東大会も全国大会も出場したし、海外遠征もしたけど、優勝はしたことがなかったと今になって氣がついてしまった。

以前バドミントンクラブの監督が長男を見て「優勝を狙いに行くぞ」と言ってくれたと書いたことがありますが、この時わたしはピンと来ていませんでした。そりゃそうだ。わたし優勝してないんだから。競技の本当のよろこびを味わってない。


優勝がそんなに大事か?

わたしはトップで勝つことは大事だと思います。

全勝ということでしょう?

これって、自分がやってきたことを全肯定できるということなんですよ。


大会に出られるために勝つことと、優勝して大会に出場するのでは大きく違うだろうなと今ならわかります。
「(準優勝で)とりあえず出られた」という(体裁を守るためのような)出場と、「よっしゃー!」という自分達が積み上げてきたことを全肯定できての出場。

味わうものが全く違うはずです。

自分の可能性を信じたいから。自分のやってきたことを全部表現したいから。それを全肯定したい。だから優勝するんだ!
苦手なこともできるようになろうとする氣持ちが生まれるのは、だからですよね。勝つことを目的に苦手を克服するのとは雲泥の差だよな。


バドミントンを通して叶えてほしい

強い相手と互角に戦い、集中し躍動し、負けたら感情をめいっぱい露わにして、勝ったら仲間と称え合う。そんなことに幸せを感じる長男。

技が決まると声出してガッツポーズ!負けん氣の強さが勝負強さにもなって肯定感がどんどん上がっていくのがよくわかっている次男。

仲間を通して、競うことを通して、こんなことに自分はよろこびを感じるんだってことを知っていって欲しいな、と思っています。

それはめいっぱい全力で臨むから手に入れられるギフトでもあるんだよ。

そしてこの「全力」がエゴにならないことを学んで行ってくれたら。わたしはできなかったけど。スポーツをやっていた時には学びきれなかったけど。「優勝を狙う」という、この領域ならもしかしたら学べるかもしれない、とわたしは感じています。

小学生にそこまでわかるのか?!
レベル高すぎないか?!
という声も聞こえてきそうだけど、わたしはそういうジュニア時代を過ごして欲しいです。


そして。

小学生だったらもっといろんなことを経験させておいた方がいいんじゃないですか、っていう親御さんもいらっしゃる。それはわたしもすごくわかります。だから長男にはバドミントンをやる前は特に何も習わせていませんでした。運動神経いいから周りはいろいろ言いましたけど。その代わりキャンプ行ったり、畑行ったり、火起こしやらせたりしていました。長男も次男もおむすびは自分でむすべます。

逆に言えば「やりたい!」が出てくるまで親の思惑は封印し辛抱し、わたしが信じる本質的な生きる力を育てておいた、ってことです。

だからもう、バドミントン漬けになっても悔いはないさ!笑


優勝を積み重ねるためのプロセスは自分の中で確信となり、自信となって、これから先の人生の大きな大きな糧になるはず。たとえ高校生でバドミントンを選べなくなったとしても悔いのないジュニア時代を過ごして欲しい!


小学校4年生と2年生の段階で、これだけ好きになれる競技を見つけることができたのは本当にラッキーだと思います。こんな早くからなりたい自分を叶えてゆくツールが手にできたこと。そのツールは自分が選んだものであること。こんなラッキーなかなかない。

だからめいっぱい優勝を目指せ!!!!

好きなだけバドミントン漬けになれ!!

そのために母さんは親としてどんなサポートだってするから!



▼この続きはまたマガジンに掲載していきます。






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