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嶋田佑紀のこと。

はじめましての方も、いつも応援してくださっている方も
このページを開いてくださりありがとうございます。
心がほどけるおむすびを伝え渡しながら、ホンモノの人・食材に会いにいく旅を生業にしています、嶋田佑紀(ゆうき)です。
埼玉県所沢市を拠点にし、2人の息子と暮らしています。


おむすびとの出合いとはじまり

あなたには忘れられないごはんの思い出がありますか?
そのごはんを口にした時の
体中に行き渡ったあの時のあの幸せな感覚。
満たされてゆくあの感覚。
そんな思い出のごはん、あるでしょうか。

わたしにとってそれがおむすびでした。
もう20年近く前に、飲み屋でママがむすんでくれたおむすびです。

そんなおむすびを食べてから
数年後に「心がほどけるおむすび」と名付けてレッスンを始めました。

「おむすびを教えている?」「食べていけるの?」
何度言われたことでしょう。

それでもわたしが妥協することなく大切に伝え渡してきたのは
ごはんの炊き方や握り方を教えることではなく
「むすぶ」という在り方です。

握ったものではなく
むすんだもの、むすばれているものは
口にした瞬間、心と体がほろほろとほどけていきます
体の隅々まで肉体がよろこんでいる感覚がわかります。

むすんでいるのにほどくおむすび。
奥が深いんですよ。

そんな心がほどけるおむすびを
2016年からのべ1000名以上の方々へ伝え渡してきました。
今ではそのおむすびに使うお米の生産に関わりながら
オリジナルの塩や海苔も取り扱えるようになり
おむすびを生業にしたい方の養成・プロデュースも行っています。

おむすびには
より自分を生きる力を呼び覚ます力がある。

そう信じ続け、むすび続けたことで
わたし自身もそれを味わってきました。

そんなわたしも、おむすびを伝える人になると決めるまでにたくさんの迷いや不安、そして行き場のない不満も抱えていました。


あの頃のわたし

30歳を迎えた頃。
結婚もして仕事も面白くなってきた時期でした。
側からからみたら公使共に充実している様子だったかもしれません。

ですがわたしはいつもイライラし不満だらけでした。
仕事もパートナーシップもキャリアも、一生懸命やっているのになんだかうまく噛み合っていないという憤りがいつも体中に溜まっていました。
そんなモヤモヤは焦りとなり、このままじゃダメだという漠然とした不安を呼び寄せ、行動も思考も悪循環に陥っていました。
ですが、なぜそうなっているのか、どうしたらいいのかがわからず、行き場のない感情が自分や誰かを責めることにつながり、心も身体も毎日疲れていました。

そんなある日
仕事帰りに立ち寄ったいつもの飲み屋さんで〆に頼んだ鮭おむすび。
頬張った瞬間、泣きました。
なんでかなんて理由は全くわからなかったけど
頬張ったとたん、涙が溢れたんです。

一生懸命やってるのになんで?
どうして誰もわかってくれないの?
必死で抑えてきた恨めしい氣持ちや悔しさと一緒に
わたし泣きたかったんだ、、、、しんどかったんだ、、、
そんな氣持ちが溢れ、張り詰めていたものが一気に崩壊し、泣き続けました。

同時に
「大丈夫。一生懸命やっている誇りを失うことはないんだよ。大丈夫だよ、必ずなりたい自分になれるから」
そんなメッセージを受け取ったような氣持ちになり、癒されたことを覚えています。

ある日大阪出張に向かっていたわたしは、東京駅の階段でキャリーケースごと派手に転びました。
わたしの横を、誰も見向きもせずたくさんの人が通り過ぎていきました。

足の痛みより心が痛みました。
惨めで情けない思いを味わいながら起き上がれないでいた時

あぁ、わたしはもうとっくに限界なんだ
心も体もとっくにキャパオーバーしてるんだ

とやっと氣づいたんです。


どれだけ自分に無理を強いてきたんだろう。
どれだけ痛めつけてきたんだろう。

今のわたしは、昔なりたいと思っていたわたしじゃない。
一生懸命やってきたし、いつだって全力でやってきた。
でも、今のわたしは、なりたいと思っていたわたしじゃないことだけはわかる。
もう終わりにしよう。

そう決めて、おむすびで泣いてから数ヶ月後、わたしは会社員を卒業することを決めました。


むすびながらの目覚め

採用の仕事で培ったカラーセラピーの知識がレシピ本になって出版されたことがきっかけでおうちごはん教室をスタートさせました。
ですがお客様が集まれば集まるほど
「レシピをください。」「正確なレシピが欲しいです。」
というご要望が増え、応えようとすればするほど違和感が増えました。

毎日のごはんは、
体調や気候で変わっていいし
味つけは氣分で変えたって構わないはず。
おいしいってもっと自由なのに
義務感と責任感のおうちごはんづくり、楽しいのかな。

・・・あれ?
じゃぁ、わたしは?
わたしは自由につくってる?
つくっていて楽しい?

そこでやっと氣がついたんです。

できることだからやっていた仕事でしたが
そもそもわたしは
わたしのためにわたしがよろこぶごはんを作ってあげたことあったかな。
毎日毎日つくっているごはんで自分をよろこばせたことあったっけ?

わたしが今まで一番、心も体もよろんだごはんは何だった?

グルグルグルグル・・・
唐揚げ?卵焼き?天ぷら?キンパ?
その時にふと思い出しました。

あぁそうだ。
わたし、おむすびで泣いたことがあった。

体中に癒される感覚が走ったあの時。
おいしさがよろこびになって満ち足りた感覚が涙になって溢れた日。

頬張った瞬間にしがらみがブワっと一気に緩んだ感覚。
体中に温もりのエネルギーが隅々の細胞まで行き渡った感覚。

泣けたあの日のほどけた感覚が蘇りました。

もしかしたらわたしにとっておむすびって何かあるのかもしれない。

そう感じて
「泣くほどじゃないけどすごくおいしいおむすびは食べたことあるよ」と教えてくれた友人に紹介してもらい
新潟に住んでいるつくり主の方のところへ食べさせてもらいに伺いました。

するとお会いしてすぐ
「あなたおむすびもむすべないの?」
とバッサリ。

えっと・・・

あ、そっか。
おむすびのステータスなんてそんなもんなのか、と知ることになりました。

皆さんもそうですよね。
おむすびとかおにぎりなんて
親や祖母がつくっているのをそのまま真似しているだけだったし
わたしは習おうと思ったことすらありませんでした。

帰ってきて考えました。

ラップに包んでギュってして、それがおにぎりだと思ってたけど、、、、
それって「むすんでいる」っていうのかな。
握ると違うの?

だったら。
自分がおいしいと思えるおむすびをむすべるようになってみようか。

そう思って頂いた助言を頼りに練習をはじめました。

お米は硬めに炊くって言ってたな。
2、3回しか触らない?
海苔は全体に巻いてあったけど、、どうやって巻くんだ?

よく「あのおむすびは誰かに習ったのですか?」
と聞かれるのですが
完全にオリジナルです。

たった3つのヒントを元に
わたしの手が動いて出来上がったのが
「心がほどけるおむすび」です。


そしてごはん教室をやめ
2018年におむすびの人になる宣言をし
レッスンをしながら
わたし自身もおむすびをむすび続け
「自分に手をかけること」の本質を感じる日を続けました。

手をかける、ということの本質

おむすびというのは
調理すらしない大変シンプルな食べ物です。
お米や塩、海苔の味だけでなく
むすび手のエネルギーすら味に影響します。

ですから自分のおむすびを食べていると
妥協していたこと、ごまかしてきたことに
だんだん違和感が生まれ
自分の欲求にまっすぐ素直になる暮らしにチャレンジしながら
こうあるべき、フツーはこう、といった本音とは違った基準や縛り、足枷をほどいていきました。

同時に、どんなにブサイクなおむすびでも、塩っぱいおむすびでも
自分が感じたことにいい悪いはない、全てマル!とあるがままを肯定し続けることもしました。

コントロールやジャッジをしてしまうわたし、、、それは傷つかないように自分を守ろうとしていたんだよね、と認め赦すこと
誰かにしてもらうのではなく、自分で自分にしてあげていくことで満ち足りるという感覚や本当の豊かさを実感すること

大袈裟に感じるかもしれませんが
自分が手をかけたものをいただくというのは
「愛でる」にダイレクトに繋がります。

手をかけるとは愛でること。
愛でるとは愛おしむこと、愛を伝えること。

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自分を愛でることを渇望していたわたしが
本当に満ち足りる感覚が味わえるようになったのはおむすびのおかげでもあります。

その頃から「わたし、本当はこう在りたい」という姿を許容できるようになりました。

自分を生きるというのは、何かができると言える人になることではなく、こう生きるんだ、生きていくんだ、と表現できることだったともわかりました。


むすんでほどく。自分だけでなく大切な誰かとも。

おむすびを伝え渡しながら
わたし自身をも癒し認め許し
在りたい姿を表現し続けた先にあったのは
わたしが心から創造してみたいと望む世界でした。

自分が在りたい姿でいられるだけではなく
人の個性や才能がまっすぐ発揮されて
それが誰かを喜ばせていて。
誰もが本当に在りたい自分で生きている世界。
コントロールや、駆け引きで関わるのではなく、
距離感や関係性が自由でより深い
共感でつながる世界。

その世界に必要なものはなんだろう?

創造したい世界は見えたけど、どうしたらいいのか?
そのタイミングでパンデミックが起きました。
まさに向き合う時間を与えてもらえたかのようでした。

レッスンもなく自宅にいるからこそひたすらおむすびをむすび、食べては感じ、むすんでは感じ、、、

今思うと
さらなるその時間は
自分の本質を目覚めさせ、わたしそのもので生きる予兆でした。
その頃から自分の信じるものを信じてくれる人達が目に入るようになってきたのです。

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今まで自分を整えることで精一杯だったわたしを、見守り応援し続けてくれた人たち。
見返りなんて全く望まずに愛を渡し続けてくれていた仲間がこんなにたくさんいた!!!!

このことに氣付いた時、衝撃と悦びと戸惑いと共に、大きな大きな愛の波に襲われました。同時に仲間たちとどう関わりたいかが問われ、在るがまま関わることの怖さも感じました。ですがこの時に本当の悦びへと誘ってくれたのもおむすびでした。

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口に入れた時ほどけるようにむすぶ感覚と
わたしが関わりたい感覚は同じだとおむすびは教えてくれました。

自分にも他者にも、まっすぐ透明なわたしでありたい。
悦びへ誘ってくれる存在であることを感じ合いたい。
愛を与えるだけでなく受け取るということでもあるんだと知りました。

数十年前、自分も人も信じることができず仲間の存在を拒否し自分も相手も責めてばかりだった若かりし頃のわたし。
そんなわたしが今立っているのはわたしのいのちが本当に望んでいるであろう道。
そこへおむすびが誘ってくれました。


おむすびをむすび続け
自分を縛っていたこと、自分と誰かの足枷にしていたものをほどいてきました。
悲しみや嬉しさ、そして闇もひかりも味わいながらほどけた先に本当のよろこびがあった。
ほどけた先には「そのいのちがそうなりたい」が見えてくる。

自分のいのちがどうなりたがっているか。
それこそが「生きる」なんだろうと思います。

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愛とかいのちとかエネルギーとか。

目に見えない不確かな存在。
だけど人が生きていくにはきっと必要な存在。
そんな曖昧で不確かな存在の本質を、おむすびは感じさせてくれます。

わたしは心がほどけるおむすびを伝えながら
愛を伝えることも愛を受け取ることも
いのちを生きるということも信じるということも
まっすぐ素直に正直に表現して生きます。

そしてそんな世界はとても豊かだよ、と見せ続け、伝え続けたいと思っています。


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