27歳で喪主になった話

おじいちゃんが死んだ。コロナだった。85歳だったらしい。見た目は若々しくガッチリした体格で先日まで仕事もゴルフを熱心に取り組んでいたのにあっけないものだった。85歳という年齢と糖尿病の持病があるもののあまりにも実感のない最期だった。
未だにコンビニがないようなド田舎の従業員10人程度の工務店の社長。とはいえ、20歳そこそこで開業して半世紀以上会社を運営し、ピンピンコロリしたんだからカッコいいよなと心底思う。
祖父は悪くいえばいかにも田舎らしい社長であった。他人にデリカシーがなくて自慢話を繰り返していた。そんな祖父のことを父はずっと嫌っていた。父は父で別に会社経営をやっていたんだが、法的にグレーな商売だったから法改正でやられた。倒産した時点で40を超えていた父は祖父の下で働くようになった。それだけでも感謝しろと思うんだけども
父から祖父に感謝の言葉を未だ聞いたことがない。
本来なら父が喪主をやるべきなんだが、最大の問題は父もコロナだったのである。この記事を書いている時点で、会話は出来るようになった。死にはしないけど、職場に復帰できる雰囲気を感じない。
父は反ワクチンの陰謀論者である。多少は会話できたから聞いてみたらば「ワクチン打ってたら死んでたで」である。こっちの方は一生治らないんだろう。
母は全くの別件でケロイドの手術があるからと入院して退院した3日後。祖父が入院したのは聞いてたけど、危篤の連絡もないまま亡くなったという情報だけ飛び込んできたのだった。
祖父と祖母と父が一緒に暮らしていたが、僕は仕事も全然違う所で一人暮らしをしている。母も実質一人暮らし。ものすごく異質な関係だが、そうなってるんだからそうなんだ。この一連で一番悲しいのは祖母のはずなのに特に何も誰も励ましているのを聞かない。
僕は僕で祖父に会うのが面倒で、コロナ禍を理由に2019の正月に会いに行ったのちは2023年正月に1度顔を見せたきりだった。今年の正月は電話を2分くらいしておしまいで結局これが最後だった。
こんな堕落したような歪な人間関係で泣けるのか心配であった。祖父の子供は二人。父と伯母である。伯母はよそへ嫁いでいる。僕は一人っ子。祖母は少し認知入ってるから順序的には僕が喪主やるしかないじゃないか!
とはいえ、そもそも葬式自体を行ったことがない。喪服も持ってない。「忌引」って「きびき」って読むよな?これ会社休むの始業30分前連絡でいいの?何が常識か分かんないから、とりあえずパニック感を演出して始業30分前に会社に連絡したらば快諾を頂き、洋服の青山に急いだ。そしたら、青山さんもパニック感を演出して、金を渋ると「失礼に当たるから!」の一点張りで、冠婚葬祭諸々をセットで頂くと10万円。ぼったくられた感えぐいが、別に後悔もしていない。
母が先に祖父に会いに行く。僕もついていくつもりだったが父の入院で手続きが足りなかったらしくそっちに向かう。既に喪服に着替えちゃってるからヤベェなってとりあえず着替え直す。
なんだかんだ通夜は翌日、葬儀は翌々日になったから、一旦母の家で寝る。翌日、母と合流して葬儀会場へ。非常に簡単に宿泊できるように一応なってはいるからやり過ごす。「お気持ちで結構ですから」と言う割に何十万とかかるいかにも日本らしい諸々の費用面に誰も踏み込まないから母が少しキレる。僕も形としては喪主なんだけど、会社も違えばここ5年で2回しか会ってない訳で、相応しいと思えなかった。葬儀の祭壇の花の並びをどうするかなんて聞かれても誰一人知らないんだから、祖母と伯母に投げる。遺族代表挨拶を頼まれてしまって急遽作る。インターネットがなかったら恐ろしかったなぁ。
初めて会う親戚や初めて会う参列者にご挨拶周り。誰もかれも父を心配する言葉ばかりで、僕は代わりでいれば良いんだと思った。遺族代表挨拶もおかげさまでそれなりに好評で、翌日の葬儀の遺族代表挨拶は殆ど文面おんなじだったけど感謝され、まぁうまく行って良かった。
花を入れていく際に打ち合わせで「最初は喪主様が入れて頂いて、最後はお孫様が入れるというのは、、、」「僕が最初と最後を飾るんですか?」「まぁはい」そんなことで結局アナウンサーみたいな方が「最後は大好きなおじいちゃんへの、、、」みたいなことを言い出して、マイルドとはいえ形上は喪主やってる奴だしもう27歳だから「おじいちゃんの、、、」とか言われてもなぁと感じながらも感動感を演出してあげられた。
出棺も遺影と位牌を持たされて、例のアナウンサーみたいな人に礼を促されて、礼をしたらば、大音量「JIN-仁-」テーマ。戻るぜよあん時代に〜じゃないんだよ。18番薬効あり〜じゃないんだよ。お慕い申しておりました〜じゃないんだよ。これ掛かればなんでも何でも感動になるムードやめちまえよ。
霊柩車に乗せられて、割とノリが軽い運転手に連れられて火葬場。焼くボタンを僕が押す。既に死んでる人とはいえ、死刑執行みたいで嫌だなぁ。祖父の骨は引くほど残っていた。骨壺に各々骨を入れていくんだけども、僕は太い棒みたいなのを持たされて「喪主様は砕いて頂いて、、、」「もう収まらないんでもっと両手で押し込むように、、、」僕が綺麗な骨を粉々にしていったんだからこんなんでいいんかと。火葬場は各々車で行くんだけど、ここだけの話。僕は免許は持ってるけどADHDとASD併発で免許取るまで散々だったから運転を諦めてるし、母は2年前3台玉突き事故起こして運転を自粛してるし、結局祖母が運転することに。事情を知らない他の親戚はめちゃくちゃ引いていたが、僕もこの惨状に引いていた。
葬儀場に戻って仕出しの料理は絶品だったけど、30分程度で「次の方が来られるんで空けてもらえますかね?」って慌ただしく帰らされた。喪主といえども大したことしてないんだけど、とにかく僕の喪主は終わった。
お坊さんが言っておられたんだけど、祖父の誕生日は12月25日。そして葬式が4月8日。つまり、キリストの誕生日に生まれて、釈迦の誕生日に焼かれたのである。もっといえば実は4月8日は僕の誕生日でもあった。川崎麻世の誕生日でしかない父が挟まれているけど、こんな綺麗なことあるかね?僕は一生誕生日におじいちゃんのことも思い出せるんだよな。
僕が知らないうちに遺影の写真が決まっていて、ゴルフで何か賞を貰った際の顔と仕事の時のスーツを合成したものらしい。ちょっと違和感ある写真に半世紀付き添った会社の人が怒りながら号泣してしまい「職人としてな、国宝級の人なんだよ!何やってるんだよ!」としゃがみ込んでしまっていた。泣けないんじゃないかと心配してた僕はこんな慕われてることを初めて知ってすっかり一緒に泣いていた。
おじいちゃんは自分が亡くなる想定を全くしてなかったんだろう。父は元気になってくれるだろうけど、会社のことだったり、その他諸々手続き。問題は山積みである。僕は会社のこと関わらないままでいいのか?
そして、こんな情けない僕らを許してくれているんだろうか。僕らはみんな各々どこかが欠けていて、うっすら嫌いあっていて、だけど欠けた部分を補いあって、愛し愛されているんだ。生き延びた人も生き延びなかった人も想いながら僕は僕を今まで以上に懸命に生きようと決めた一連の出来事でありました。

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