ひーちゃんとの思い出 前編
ひーちゃんは、私の3人いる幼馴染のうちの一人だ。
一番古いひーちゃんとの記憶は、保育園の時。
ひーちゃんは家の近くの道路で車にひかれ、怪我をしていて、ひーちゃんのお母さんにおんぶされていた。
前歯が欠けていたような気がする。
なかなか衝撃的な出来事に、母親に車にはよく気をつけるようにと言われたことを覚えている。
小学校に入ると、私たち幼馴染4人は仲良く遊んでは、仲間外れを繰り返した。
ある時はこの子、ある時はこの子が弾かれた。
私の勝手な解釈だけど、それはひーちゃんの気分だったことが多かったような気がする。
ひーちゃんが弾かれることはほとんど無かったから。
中学、高校になると、他所に居場所が出来ていたけれど、付かず離れず、でも途切れることはなく、幼馴染の中で一番ひーちゃんとの関係は続いた。
ひーちゃんは高校卒業後、お金を貯めてはオーストラリアとニュージーランドにホームステイしていた。
日本があまり好きではないようだった。
ある時は、帰国したひーちゃんが鼻にピアスをしていて驚いた。
私は大学生になり、初めて出来た彼氏をひーちゃんに紹介した。
その彼氏と別れた時はカラオケに付き合ってくれた。
淡路島の花火大会も、初日の出を見るのも、城崎温泉も、沖縄旅行も一緒に行った。
私の中でひーちゃんは、友達というより姉妹に近かったのかもしれない。
ケンカして、口もきかない!ってなっても、時間が過ぎればどちらからか連絡を取り合った。
夫と初めて会った時もひーちゃんと一緒にいた。
夫と私、共通の知り合いが引き合わせてくれた出会いだったけれど、積極性のない私たちは、初対面で大した話しもせずに別れた。
引き合わせてくれた知人から、私の携帯に夫の連絡先が届き、ひーちゃんが私に代わって私の携帯から夫に連絡を取りつけたのだ。
なかなか強引なやり方だったけど、あのやりとりがなければその後の展開はなかったはずなので、
やはりひーちゃんがいなければ、夫と付き合うことも、結婚することもなかっただろう。
ひーちゃんは日本に帰って来てからは、仕事をしながらネイルの勉強をしていた。
鼻ピアスは仕事が決まらないからと早々に外したようだった。
私が仕事を辞め、一人暮らしをやめて実家に戻る直前、ひーちゃんは車を走らせて会いに来てくれた。
急にフラッとやって来て、二人で芦屋浜を散歩した。長いこと浜辺を歩いた。
たぶん近い将来結婚するから、その時は、ひーちゃんにネイルをしてもらうようにお願いした。
私が実家に戻ったら、飲みに行こうと約束して別れた。
その日がひーちゃんと会った、最後の日になった。2005年の夏の終わり頃だったと思う。
仕事を辞めて一人暮らしの家も引き払い、実家に戻った。
職安に通ったり、派遣会社に登録したり、生活環境がいっぺんに変わりバタバタしていたけれど、ひーちゃんには帰って来た報告と、飲みに行く日程の連絡をした。
『ちょっと今家から離れてるから、そのうち連絡するわ』
ひーちゃんからの返信は素っ気ないものだった。
今までもそうだ。
仲良くしていたはずなのに、急に連絡が途絶えたり、フラッとどこかへ行ってしまったりする。
『あぁまたか。』
と深追いせず、ひーちゃんからの連絡を待った。
結婚が決まって、私は私で慌ただしくしていた。
いろいろと私から報告していたけれど、ひーちゃんからの返信は毎回素っ気ない感じだった。
『ネイルの約束覚えてる?結婚式にできそう?』
『たぶん大丈夫やと思うけど。』
確か遠距離の彼氏がいるとか、いないとか。
もしかしたらそっちに行っているのだろうか?
ひーちゃんは聞いてもはぐらかす返事しかしない。
何かを隠しているのは分かったけれど、それが何か分からず、いつまで経ってもはぐらかす対応に、私はイライラを募らせていた。
それなのに『元気でやってるの?』
なんてメールがひーちゃんから来ることもある。
毎度振り回される。
気がつくと1年以上ひーちゃんと会っていなかった。
また海外にでも行っているのだろうか?
ほんとにつかめない子だ。
ひーちゃんの対応は気にしないように、それでも一応結婚式の招待状はひーちゃんのお母さんに渡した。
ギリギリまで待っての返信は
『欠席』
だった。
私はまぁまぁのショック。
いや、かなりのショックを受けた。
もう、連絡することもしなかった。
結婚式に来れない理由ってなんなんだ。
後編に続く
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