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1993年冬、北京―モスクワ国際列車 女二人の珍道中 時々行商人⑥

1993年1月22日 3日目 春節の訪れは餃子とともに その1

午前5時20分、車内いっぱいに音楽が鳴り響いて叩き起こされた。モンゴルとロシアの国境が近いことを告げるアナウンスが大音量で流れている。だけど実際に到着したのはそれから一時間以上も過ぎてからだった。夜更かししたのは私の勝手だけどさあ。それにしたってもう少し寝かせてくれてもいいじゃないの!

今回のモンゴル税関職員は男性だったが、この寒さで表情筋が凍てついちゃったんじゃないのと顔を覗き込みたくなるくらいの徹底した不愛想っぷり。スマイル0円で応対して欲しいなんて無理は言わないが、せめて普通に接してくれたらいいのに。でも普通って何だ。

無表情のままパスポートを回収すると、今度はモンゴル語に身振り手振りを交えて、コンパートメントから出るよう私たちに促してくる。なぜ廊下に出なければいけないのかは分からない。この能面顔が思わず吹き出してしまうようなパンチの効いたボケを繰り出せたらいいのにとウズウズするが、外してスルーされるのも悲しいし、目を付けられるのはもっとイヤだ。すぐまた部屋に入れと言われたので、はい私は善良で勤勉な日本人留学生ですやましいことなどありませんといった神妙な顔をしてベッドに座り、パスポートの返却を待った。睡眠時間3時間弱でたたき起こされたので四人とも寝ぼけまなこである。うつらうつらし始めた絶妙なタイミングでドアが乱暴に開き、パスポートが返された。

モンゴル税関を出発してロシア側の税関に着いたのは午前8時過ぎ。当たり前かもしれないが、両国の税関施設の間にはある程度の距離があった。国境というのは一本の線のイメージだったから、その線に接するように税関同士が隣り合っているのだとばかり思っていた。

男性職員三~四人がやってきて個室のドアを勢いよく開け放った。モンゴルの税関職員ほど不愛想じゃないけど、やっぱり部屋の外に出ろと言う。外に出てからチラ見すると、無人になった個室の中で、荷物をひっくり返したりファスナーを開けて中身を覗いたりと、好き勝手に物色している。それが仕事だと言われればそうなのだろうが、こちらからしたら、私物をいたずらにひっかき回された感じであまりいい気はしない。二時間くらいここに停車するそうだ。

税関申告用紙を返しに来たロシア人が、ロシア語でアンナに何か言っている。アンナは母語のポーランド語のほか、ロシア語と英語と中国語が話せる才媛なのである。何を話していたのかと尋ねたら、羊皮の靴やスカートはないかと聞かれていたのだそうだ。旧ソ連の計画経済からロシア市場経済への移行期間が92年から始まっていたことも一因だっただろうが、ロシアではハイパーインフレが起きていると聞いていた。前年度版の地球の歩き方にはルーブルの為替レートが記載されていたが、93年初頭のレートはそれよりもさらに下がっていた。もちろん物価上昇率は右肩上がりだ。ロシア経済が混乱して物資も不足しているため、税関職員も警察官も、少しでも安い品物を少しでも多く手に入れたいのだろう。

長い停車時間が過ぎて、列車はまた動き出した。代わり映えしない食事を済ませたあと、いつの間にか眠っていたらしい。目を覚ますと外はもう暗くなっていた。楽しみにしていたバイカル湖を見逃してしまった。悔しい!

個室の外から何やら騒がしい声が聞こえてくる。
「明日は春節だから、今夜は男たちが餃子を作るって張り切ってるわ」
ドゥオドゥオの声に思わず振り返った。
「え? 車内で? どうやって?」
と問いながら、そうだ、北京から乗車するときに白菜の束を抱えていた人がいたっけ、あれは餃子の具材だったんだとようやく合点がいった。
「もしかして、北京から材料や調理器具を一切合切持ち込んでいたとか?」
「そうだよ。だって春節だもの。たとえ旅の途中だろうが、餃子を食べないお正月なんてありえないじゃん」
「どこで茹でるの?」
「通路に石炭ストーブがあったでしょ。それを使うんだってさ。私たちはのんびり待っていればいいよ。男たちが全部やってくれるだろうから」

中国と言えば餃子、餃子と言えば中国。言わずと知れた中国の国民食だが、日常的に食べられているだけでなく、特に北京をはじめとする中国北方では、春節(旧正月)に欠かせない伝統料理でもある。でもまさか、具材を刻んであんを作り、小麦粉をこね、それを伸ばして包んで茹で上げるという普段どおりの一連の手順を、列車のなかでも当たり前のようにやってのけるなんて。食と春節に懸ける中国人の情熱に、ただただ脱帽である。

この列車がロシアの列車でもそれが可能だったかどうかは分からないが、私たちが乗っている列車は中国の列車で、車掌も中国人だ。おそらく車掌さんもすべて見なかったことにして、お相伴にあずかるんだろう。いや、もしかしたら特にとがめられるようなことでもないのかもしれない。だって、鍋をかけられるようになっている石炭ストーブがそこに赤々と燃えているんだもの。餃子くらい茹でたっていいじゃないか、てなもんだ。

そんなことをぼんやり考えていたら、どこかに行っていたアンナが帰ってきて私にこう言った。
「ヒカリ、これから例の、ポーランド人ビジネスマンのところに一緒に行かない?」
(つづく)


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