いじめや差別は無くならない前提で
いじめや差別は無くならない。そういう前提で物事を捉えていくと、何をすべきか、何ができるかは見えてきます。
実際、いじめや差別撲滅は何十年も訴え続けられ、法律も整備されていますが無くなりません。それは人の本質に関わる部分であり、社会病理です。
いじめや差別は自分よりも立場の弱い人に行われるものです。その優越感で自らの心を満たすために行われます。また、グループであれば、自分達と異なる発想や行動をする人を排除しようとします。これは人が生き抜くために身につけている本能とも言われています。
また、いじめや差別を行う人は、立場の強い人にはヒラメ、忖度という行為を行うのも特徴でしょう。ヒラメ、忖度をする人はいじめや差別の加害者になる確率が非常に高いです。このタイプは、狡猾でもあるので多くの人は騙されるかうまく利用されてしまいます。(一部の人には良い人に見えるのです)
いじめや差別の多くは、物質的には豊かでも心が貧困な人がする行為でもあります。心が豊かであれば、自分より立場が弱い人のことを助けることはあれ、あれこれいじめや差別をすることはありません。心の貧困による自己満足につながる欲求が、自分より立場の弱い人に対して攻撃する行為に至るのでしょう。
物質面だけでなく、心も本当に豊かな人は他者を蔑むようなことはやりません。その必要がないからです。いじめや差別により自分の心を満たさなければ生きていけない状況にある人がいじめや差別を行うのです。
今の社会で裕福と言われている人たちの何割が心も満たされているでしょうか。物質的に豊かなだけの人が多いのではないでしょうか。
一方で貧困に身を置くといじめや差別する余裕がありませんし、貧困を理由にいじめや差別を受けることがあります。常にそのような環境に置かれていると、自己肯定感も乏しくなります。また、我慢することでその場をやり過ごそうとしますが、我慢の限界が訪れると自ら命を断つような行為に至ります。
権力についても強い側にいる方が弱い側をいじめる、差別する行為が横行します。組織構造におけるパワハラはこの構図です。
中途半端な物質的豊かさが拡大した一方で、心が満たされない人が増えていくという社会病理が蔓延している中で、そのことを理解せずに何をやっても対症療法にしかなりません。
本気でいじめや差別をなくしたいのであれば、人の心の問題に向き合うことが必要です。その人の心の問題がどこから引き起こされているのか。不都合な社会病理に向き合うことから始めていきませんか。
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著者:原田光久(ひかりば 代表 / コミュニケーション・プランナー) ●社会問題解決アドバイザー、新規事業開発・地域創生・経営支援 ●行政・教育機関・民間企業で研修・講演・IT推進をサポート ●連絡先:harada@hikariba.com