見出し画像

言葉と本当に大事なもの

月曜から金曜の午前中は、だいたいNHKラジオ第一で『すっぴん!』を聴いています。

月曜日のパーソナリティーはサンキュータツオさん。

11月4日は休日だったので、本来番組はお休みなのですが、今回は特別編ということで、30分拡大で放送がありました。

毎週本当に興味深い話ばかりなのですが、特に今日の10時台、ゲストに国語辞典編さん者で日本語学者の飯間浩明さんを迎えてのコーナー『勝手にコクゴ審議委員会』で、「使ってよいのか迷う言葉」をテーマに繰り広げられたトークが特に面白かったです。

その中で、リスナーからこんな趣旨の質問がありました。(内容は大まかですがだいたい合ってると思います。)

ビジネス書に『現代社会では電話で「もしもし」と言うのは失礼にあたる』と書いてあったのですが本当ですか?というもの。

最近電話はあまりしなくなりましたが、私も「もしもし」は言っていると思いますね。藤井アナウンサーや、タツオさんも、「え、もしもしって申す申すからきてるから、申しますという意味でむしろ丁寧なんじゃないの?」という趣旨のことを言っていました。

でもこんなことビジネス書に書いてあったり、Twitterでリツイートで回ってきたら「そうなんだ!」って思っちゃいそうです。

結論から言うと、飯間さんの答えとしては、全く失礼にあたりませんよ、とのことです。

ではなぜ「もしもしが失礼」という話が出てきてしまったのか。

昔は電話ってつながりにくいもので、つながっているかという確認の意味で最初に言う言葉として「もしもし」が使われていたそうなんですね。

でも現代になって、電話って通じて当たり前ですよね。

だから「もしもし」って最近の人はあまり言わなくなってきたところにきて、「もしもし」と言われると違和感を覚えて、その違和感が失礼という感覚につながるのではないかという趣旨の話をされていました。

この「違和感=失礼」って結構危うい発想だなあと思いました。

特に、言葉の間違いや漢字の悪い意味とかについて、もっともらしいことをツイートすると一気に拡散されてそれが真実みたいになってしまうんですよね。

まあ言葉に対しては、100%これが正解というものはないとも思うのですが、柔軟に対応したらいいと思うんですよね。

先日、日本人の気質がややこしいのは日本語のせいなんじゃないか?ということを書いている記事を読みました。

日本語って、相手と自分の上下関係がわからないと適切に使えないんですね。

別に当たり前だと思っていたのですが、他の言語に比べると、日本語が飛び抜けてややこしそうですね。

そして自分も生活の中で、相手の立場に対して、適切な言い方とか書き方とかってすごく悩んできたし間違えてもきたし、これからも悩んで間違えることもあるでしょう。

この、日本人なら誰でも感じる迷いって、おそらくコミュニケーションをかなりさまたげていますよね。当たり前すぎて考えたことがなかったですが。

もちろん、日本語って素晴らしい表現もたくさんあると思うのですが、ようは、もっと寛容であってほしいと思うんですよね。寛容になるというのは、ものごとの本質を見誤らないということでもあると思います。

たとえば、正しく敬語を使えるスキルと、自分の考えを分かりやすく明確に伝えるスキルって全然違うと思うのですが、嘘を言っていても正しい敬語を使える人のほうが信用されそうですもんね。

人の間違いを躍起になって指摘する人って、特にネットの中ではたくさんみかけますが、本来最も大切なことはなにかとは、いつも考えていたいです。

ちなみに『すっぴん!』の聴き逃しサービスでは、1週間こちらから番組を聴くことができます。(4日の放送は5日の18時頃更新されるそう。昨日は他最初から最後まで好みの内容ばかりだったので、私も絶対もう一度聴きます。)


いろいろな方にインタビューをして、それをフリーマガジンにまとめて自費で発行しています。サポートをいただけたら、次回の取材とマガジン作成の費用に使わせていただきます。