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短編小説『月と犬』第1話


私は歩く。犬を引いて、月あかりの下を。


暗くて、そこに道があるかどうかよく見えないけれど、犬は自信満々に私をひっぱっていく。
かわいい見た目の割には賢くて勇敢なところが自慢の犬だ。


子供の頃から犬が欲しかった。でも、自分より小さい命よりも自分の価値観を優先しそうな父
と、自分より小さい命に対してきっちりすぎるほどに管理しそうな母を前にして言い出すことはなかった。


大人になって、なんて口にするにはもう十分に歳を重ねた頃に偶発的に出会った犬だ。 奇跡というより、ある意味で事故に近い。


「なんで今かな」


お世話は夫と息子で十分に手一杯なのに。なによりウチはペット禁止なマンションなのに。 ”思慮分別もきちんとした”上で、私はその犬を飼うことにした。あの頃、飼えなかった時間の分だ け愛おしく思う。いくつになっても好きは止められないものだと、ダイエット中にもかかわらず期 間限定スイーツを義務感と使命感をもって食べてしまう私は結局いつも甘い。


収支の合わないカロリー計算を無視して、健康のためにとりあえず歩くか、と始めた散歩だった が、続けてみると案外と楽しいことに気づいた。


空の色が時間によって変わることも、雲の形が季節によって変わることも、頭では既にわかっていることが新鮮に感じた。


知らない道も、夜の道もひとりでは怖くて歩けなかった道も犬がいればこわくなかった。


月のあかりがとても優しく、足元を充分に照らしてくれることを知った。


「何にも知らなかったな」


気持ちを誰かに打ち明けたり、考えたことを行動に移すのが苦手な自分のせいで損ばかりしてきた。私も悪いけど、私を理解してくれない相手だって悪い。そう環境のせいにしてしまえば楽だっ た。私の居場所はいつもどこにもなかった。


気力も体力も落ちてきたなと色々とあきらめようとしていた。


『こっちへおいで』


立ち止まる私を、犬はいつもひっぱっていく。


道なき道を犬にひかれて駆けてみる。心拍数が上がる。どきどきするのは不安のせいなのか、期待のせいなのか、気づいたらわからなくなっていた。


世界が怖いのは知らないからだ、とでも言いたそうに犬が私を見ている。


「こんな景色見たことなかった」


『だろう?』


犬は曇りなき目で世界をみている。


賢い君についていくよ。体力も気力も頑張ってつけなきゃな。 まずは菓子パンとジュースを止めることからかな。


低すぎる志と目標でも、犬は笑って聞いてくれる。


「もっと遠くまで歩いてみたいな」


いつのまにか明日を楽しみにしている自分に気づく。


私はきっと明日も歩く。

犬を引いて、月あかりの下を。

『月と犬』

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