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たすけてほしいのです

たすけてほしいのです洋梨くるりくるり  阿部完市(『現代俳人文庫4』)

たすけてほしいのです、なんていう俳句を見ると、また俳句のことがよくわからなくなってくる。例えばもし、

  たすけてほしいのです洋梨くるりくるり  芭蕉

だったら少し今の世界は変わっていただろうか。松尾芭蕉がもしこんな句を作っていたら。それを学校で習っていたら。

放課後、みんなのいなくなった教室で少し話してる。
「あれ、あの芭蕉の句、ええと、たすけてほしいのです、って、どういうことなんだろうね」
「それはつまりたすけてほしいってことなんじゃないの。だって、たすけてほしいときにしかいわないでしょ、たすけてほしいのです、って」
「でもピンチなのにていねいだね」
「もしかしたら、もっとたくさん話したかったのかも。あなたともっと話したいって思ったのかも。だから、たすけて、だけじゃなくて、たすけてほしいのです、って長くしゃべったのかも。そういうことない?」

「くるりくるりは?」

高校に入っても、大学に入っても、くるりくるりという俳句があるなんて思っていなかった。
それでもどうにかこうにかして生きてゆくと、くるりくるりに、ちゃんとたどり着く。たどり着いた。

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