「何を言ったか」より「誰が言ったか」
常々思うのですが世の中「何を言ったか(内容の良し悪し)」よりも「誰が言ったか(情報元)」に注目しがちですよね。
発言した人の立場とか背景、背負っている責任とか色々あるんですが、昔は理不尽だなぁと感じることが多かったです。「なんで同じ内容なのにあの人の方が評価されてるの?」とか「手垢まみれの散々使われた内容なのに、今更そこまでありがたがるか?」とか。でも、ある程度社会に揉まれて中年になったら「アッ!」って気付いたことがあったんです。
以前、仕事でちょっとしたミスをしてしまって、慌ててデータを送り直すみたいな時がありました。その時、悪人じゃないんだけどまあ感じの悪い上司から「最近忙しいからってチェック手抜きしてんじゃないのぉ?」ってイヤミを言われたんですね。んで、その時「はぁ?!お前が言う???」って内心めちゃくちゃ厶カついたんですが、その場は引きつった笑顔で「気をつけます~」って自制しました。
んで、後から何であんなにムカついたんだろって考えて、尊敬している別の先輩から同じこと言われたら「あ、この先輩はあえてみんなの前でハッキリと苦言を呈することで、他の人が必要以上に私を責めないように・そして皆にも気をつけるように助け舟を出してくれたんだ……!」ってめっちゃ真逆の解釈をしたんですね。
そう、これぞ「何を言ったか」よりも「誰が言ったか」なんですよね。ではなぜ「誰が言ったか」で伝わり方がこうも違うんだろうと考えました。すごく単純で発言した人に好感があるか無いかなんです。
好感だとちょっとザックリしすぎなんですが、要は信頼関係のような「つながり」を感じているかの違いだと思います。身近な人だけじゃなくて、ネットやテレビの中の人にも無意識にこの「つながり」を感じるか・感じ無いかで「この人こんなこと言っちゃってるよ~」って、失言やら炎上やらに発展するのかなと。
それでこのネタって古代ギリシャの時代から議論されてるんですよね。「弁論術 (アリストテレス)」では説得に関して
「言論」ロゴス(logos)……理論・理屈による説得。
「感情」パトス(pathos)……相手の感情へ訴えかける説得。
「人柄」エトス(ethos)……話し手自身の人柄による説得。
3つの要素があり、特に「人柄」エトス(ethos)は相手を説得する上では無視できない要素と考察されています。
自分的にこの人柄の正体って「親近感」だと思うんですよね。親しみやすさとか、仲間意識とか、要は安心感があるか。
占いってリピーターの方以外は初対面からのスタートだから、限られた時間でこの「親近感」がわくようなコミュニケーションが必要になります。これが先ほど書いた「好感」につながります。
親近感や好感に関しては人それぞれだし「初対面の人にはこの言葉を使えば正解!」なんて簡単なものは存在しません。むしろ逆に「あちゃ~この人そういう対人マニュアル本とか読んでるんだな……失敗したかも……」って勘付かれて、初っ端から浅はかな占い師認定されちゃいます。
じゃあどうするか。できるだけ感じ良く接する、それに尽きます。相手の話をきちんと聴いて、尊敬して、誠意をもって鑑定して、オファーしてくれたことに感謝する。思いやりの姿勢を態度だけでなく、しっかりと相手が腑に落ちる言葉で伝えることです。
テクニック的に鑑定の序盤に過去のことを「当てて」信憑性を高め、あるあるネタで共感する。なんてコールドリーディング的な流れもアリっちゃアリですが、やっぱり私という人柄をそのまま感じてもらうのが一番ですね。
最近は音声のみやマスク越しの鑑定も増えてるので、口元の微笑みが見えないから余計に言葉は大事になります。ですから前以上に、聞き取りやすい声、耳触りの良い笑い声で相手に好感を持ってもらうことが大事になりそうです。
そんなこんなで、鑑定を通じて「私という人柄」が構築され、「あの人にこう言ってもらえて嬉しい」って親近感のある占い師に成長していくのかなと思います。
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