わたし的、GKの魅力
外出自粛を言い渡されてからおよそ一週間が経ち、一日の大半を家で過ごすと色んなことを考えてみたりするわけです。
ふと、仕事(サッカースクール)の時に見た光景のことを思い出しました。
子供たちはじゃんけんで負けた子がキーパーをします。
また別の時には
「ねーえ!キーパーかわってよぉっぉぉーー!」
と叫ぶ子。
GKというポジションをやってる身からするとなんか寂しいな、、おもしろいんだけどな、、と思う一方でもそりゃそうなるか、、と思う自分もいました。
GKというポジション、確かにサッカーにおける花形ではないし、痛いし怖いし、難しすぎる。
GKが一試合でボールに触れてプレーする時間を知っているでしょうか。
試合内容やスタイルによると思いますが、平均1~2分です。
子供たちにしてみれば魅力を感じないのもまぁわかる。
うまく言えませんが、わりに合わないポジションだなと思うことはあります
それでも僕はGKが好きです。
ではそれがなぜか?を言葉にしたいと思いました。
○僕たちの喜びはサッカーにおける最高峰である
近年はGKに求められるタスクが増えてきました。
一昔前であれば、シュートを止めさえすればよかったものが変わってきました。
例えばフィ―ルドプレイヤーと一緒にビルドアップをして攻撃を組み立てること。
例えばDFラインの後ろに空いた広大なスペースを、ペナルティーエリア(手が使えるエリア)を飛び出してカバーすること。
ゆえに、冒頭「僕たち」と記しましたが、GKのなかでも価値観は様々だと思います。
その上で私は、GKの喜びは
絶体絶命のピンチを自らのセーブで防ぐこと
にあると思います。
これがなぜかというと、その瞬間はサッカーというスポーツにおいて最もボルテージが上がる瞬間だと思うからです。
サッカーというスポーツにおける最も望まれる瞬間はゴールシーンと言って間違いないと思います。
誰もがその瞬間を見たくて、サッカーに触れると言ってもいい。
その待望の瞬間が目の前まで来ます。
想像してみてほしい。必死に守るDFにボールを奪われずゴール前までボールを運び、アタッカーから渾身のシュートが放たれる。
ボールの軌道はファーのサイドネット。スピードも申し分ない。
これは入った。
シュートが放たれた直後、一秒にも満たないその刹那の間に、その現場に居合わせるほぼすべての人が無意識下で、ゴールを確信する。
GKただ一人だけがそれを信じない。
横向きになって宙を舞い、そのシュートを阻む。
待望の瞬間を確信し急上昇した血圧は、それを覆された驚きでさらに上昇する。
GKが生んだ「裏切り」とも言えるこの瞬間は、類まれな興奮を生んだのち、ある人々を落胆へ、またある人々を狂喜へといざなう。
他のポジションにこんなことが出来るだろうか?
誰もがゴールを確信するようなプレーを、ギリギリのところで上回る。
これはサッカーにおける最高峰の瞬間だと思っています。
この瞬間の中心には、89分間ボールに触れないGKがいる。
この瞬間を生み出せるのはGKただ一人だけである。
僕はGKのここにロマンを感じます。
この瞬間のために、GKは日々の地味できついトレーニングを乗り越え、ボールに触れない89分間、黙々と準備を続けます。
この瞬間を知ってしまったらもうGKはやめられない。
グランドに立てない今もそのロマンを求めて、準備を続けます。
栗山聖
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