『はい、泳げません』

『はい、泳げません(著 高橋秀実)』という本を読んだ。

この本は、「泳げない」著者が「泳げる」ようになるまでの奮闘ぶりを描いたエッセイだ。早速だが、著者である高橋さんは、本の序盤でこんなことを言う。

泳げる人たちは「泳げない」ということがまるでわかっていない。だから私たちは泳げる人の仲間入りができず、いつまでたっても「泳げない人」なのである。

この「できる人」と「できない人」の隔たりって、結構深い。

例えば、プールで泳いでいて、人を抜く場合、泳げない側から見ると

人を抜く場合、ひと言「お先に」と挨拶があっていいはずである。(中略)泳げる人たちは、私が譲った時でも、「ありがとう」のひと言がない。そればかりか、私を抜く時に「うわあ」と叫ぶような顔で息継ぎして見せる。自分さえよければ、それでいいと思っている。泳げる人は人間として何かが欠けている。

こんな風に見えているらしい。一方、泳げる側から見ると、

ここ(プール)では、すべて暗黙の了解なのです。遅い人は遅いコースで泳ぐ。遅い人は速い人にコースをゆずる。別に「泳げる人たち」が礼儀知らずでも、お互いが競争をしているわけでもないんです。お互いがお互いの目的のために、規範を守って、よどみなく水泳を楽しんでいるだけなんです。

となる。

同じ出来事を切り取っても、ここまで見る世界が違う。

できる人は、できない人の気持ちがわからないし、できない人はできる人の気持ちが分からない。

そんな隔たりを感じながら、高橋さんは水泳教室に通いはじめる。


ぼくは、中学生のころ、レイアップシュートが出来なかった。

レイアップシュートとは、ランニングしながら、ジャンプして、シュートを決める。バスケにおける基本シュートのひとつだ。

スラムダンクでは、桜木花道が庶民シュートと言っていた、あれだ。庶民シュートというくらいだから、地味で簡単そうに見える。

ドリブルをしながら、ゴールに近づき、右足、左足とステップして、その左足で真上にジャンプし、ボールをリングの上に置いていく(この説明であっているのか心許ない)

イメージトレーニングでは、滑らか動作で、完璧にこなせているのだが、実際にやってみると、いつ足を踏み込んでいいのか、いつボールを手放せばいいのかわからなくなる。

体育の授業中、先生は、首を傾げた。

「ひじかたは、サッカー部だろう?なんでできないかな」

グサッ。そんなこと、自分でもわからない。できないものは、できない。それに、サッカーができれば、バスケは自動的にできるのか。

「どういう風にやるんですか?」

とぼくは、素直に教えを乞うた。しかし、

「どういうふうにやるといっても・・・普通に」とか「タン、タン、タンって感じ」とか。

まったく答えになってない答えが返ってくる。

本書でも

歩くのと同じで、自然にできることは説明することが難しく

という一文があるが、まさにそんな感じだ。自然にできるものを言語化して相手に伝えるのは、至難の業だ。

ぼくは自転車に乗れる、つまり「できる人」側に立っているが、もし自転車を乗れるコツを教えてと、「できない人」聞かれても、うまく教えられる自信がない。

たぶん「慣れだよ」とか「失敗を恐れないで」と通り一遍の答えしかできないだろう。

「できる人」と「できない人」の間には、このようにグランドキャニオンばりに埋められない溝がある。

しかし、そんな溝を埋めるヒントがこの本には隠れている。

それは、互いの立場を想像することだ。


高橋さんは、「泳げない」恥ずかしさに耐えながらも、「泳ぐ」こととは何かついて、考えすぎなくらい真剣に考える。

「泳げる」側にいる水泳教室の桂コーチもときに厳しく、ときに優しく指導しながら「泳げない」ということを知ろうとする。

それぞれの人に体の違いがあるわけですから、ひとつのやり方でみんな泳げるはずがないんです。泳ぎに答えなんてない。それに“さっき”と“今”は違います。体調も違うし、波も違う。みんな生きているんです。


できる側から、できない側への歩み寄り。

できない側から、できる側への歩み寄り。

互いの立場を想像することで、その深い溝は、すこしずつ埋まっていく。

もちろん本書には「泳げない人」が「泳げる」ようになるまでの過程が描かれているので、「泳げない」ことに劣等感を抱いている人にとっては何かしらの助けになるかもしれない。

しかし、読み物としても単純に面白く、桂コーチのユニークな指導法、水泳教室の生徒たちとのやりとり、高橋さんが泳ぐときに考えていることなど、見どころがたくさんある。

できないことができるようになるのは、楽しい。

そんな純粋な気持ちを思い出させてくれる本だった。



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