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方向音痴

方向音痴である。

この前も、見事に目的地と反対方向に歩いていた。

100メートルくらい歩いて、なんとなく違うなと思い、引き返したので、惨事にはいたらず(こういう勘は、はたらく)

グーグルマップで確認して、これなので、我ながら目も当てられない。

結局、目的地に着いたからよかったのだけど。

方向音痴は、どこかに行くときだけとは限らず、自分の人生を振り返っても、そうなのだ。

計画性とはほど遠く、しょっちゅう道に迷っている。

こっちだと思った道が間違いだったり、じゃあ、自分の意志とは逆に行ってみようと、歩いていった先が行き止まりだったりする。

人生にはグーグルマップはない。

ぼくの場合、あったとしても結局迷うのだから意味がないのだが...。


そして、この困った性質は、ものがたりを書くことにも影響している。

何かを書こうと思ったとき、なんとなくの方向性は見えている(ひどくあやふやなものだが)

そこから、なんとなしに歩きはじめるのだが、ゴールがなかなか見えてこない。

この道であっているはずだが、ゴールがもやに隠されているのか、それともゴールはここではなかったのか。

だんだん不安になって、一度立ち止まって考えてみたり、すこし道を戻ったりすると、「こっちにいけばいいのか」という道が見えてくる。

だいたい、最初の計画通りにはいかない。

このテーマについて書こうと思って、書いていたら、実はこっちのテーマを書きたいのではと「別のテーマ」に方向転換することも多々ある。

設計図はあまり役に立たず、変な脇道にそれながらも、時間をかけて、ようやくゴールにたどりつく。

自分でもめんどくさいと思うが、これがぼくの書き方らしい。

そういう星のもとに生まれついてしまった、と今はもうあきらめている。

とても効率の悪い方法である。

人にはまったくおすすめしない。

ぼくの場合、計画性がかえって、想像の広がりを邪魔してしまい、書く手が止まってしまうのだ。

かっちりとすべてが決まっているのは、どうも居心地が悪い。

どうなるかわからないという「未知」の部分が、どうしてもぼくには必要らしい。

自分で書いておきながら、映画を見ているときのように「一体、このあとどうなるんだ」とハラハラしていたい。

ここまで自己分析をしながら、あまりの効率性のなさにため息が出るが・・・。


目的地に最短距離で着かないことにも、利点はある。

迷ったおかげで発見したものもあるし、知りえなかった事実もある。

案外、そういう意図的ではない発見が楽しかったりするのだ。

迷いに迷ってたどりついた場所は、効率的でない分、疲れはするが、違った達成感がある。

方向音痴も考えようによっちゃ、役に立つ。



#エッセイ #コラム #日記 #創作 #書くこと

Twitter:@hijikatakata21


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