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GW旅行記4日目~大阪放浪編~

 読書会で知り合った男3人で行く、ゴールデンウィークを利用した3泊4日の旅。その最終日のことをこれから書いていこう。

 その前に、1日目から3日目までの旅の概要を、メンバーによるリレー旅行記のリンクを添えて記しておく。

 1日目。我々は山口県の岩国で集合し、レンタカーを借りて、錦帯橋、それから周防大島を回った。夜には岩国に戻り、駅前のホテルにチェックインした後、居酒屋に出掛けた。

 2日目。岩国から新山口へ移動した後、レンタカーで仙崎と萩を周った。ゴールデンウィークの混雑により、昼食にありつけないという災難に見舞われはしたものの、センザキッチン・金子みすゞ記念館・松下村塾・萩城下町などを巡る、実り多い旅となった。

 そして3日目。旅の舞台は山口から関西へと移る。朝7時半の新幹線で新山口から新大阪へと移動した我々は、またもレンタカーに乗り、天橋立へ向かった。しかし、ここでも混雑に見舞われ、駐車から断念する羽目になる。そこから急遽「行けたらいいね」と話していた伊根へと直行。舟屋の立ち並ぶ独特の町を堪能するのであった。

 簡潔にまとめれば、我々の旅はハードであった。そして同時にワンダフルであった。では、旅を締めくくる4日目は、どのような1日になったのであろうか。

     ◇

 4日目の旅には、3日目までの旅とは決定的に異なる点が1つあった。

 それは、事前に何ら予定を立てていなかったという点である。

 旅の打ち合わせの席上、3日目までの予定が決まったところで、我々はこう申し合わせた。

「最終日どうするかは、旅が始まってから決めよう」

 果たして、最終日の行程組みが始まったのは3日目の晩であった。天満のおでん屋で、だしの効いたおでんを口に運びながら、我々は「明日どうします?」と顔を見合わせた。もっとも、往復6時間にも及ぶドライブでヘトヘトになっているうえ、ビールと日本酒で酔払ってしまった我々の頭は、そうそう回らなかった。

 話を前に進めたのは、竜王さんだった。

「前にも少し言ったんだけどさ、俺本当は高槻に行ってみたいんだよね」

 僕は「はて」と思った。高槻は大阪府の北東に位置する市である。JRと阪急の駅があり、共に上位種別の列車が停まるため、それなりに大きな町である。が、いわゆるベッドタウンというイメージであり、旅で訪れる場所という印象はない。

 だが竜王さんによると、高槻は今「将棋のまち」をPRしているのだという。事実、1年後の夏には、関西将棋会館が大阪の福島から高槻に移って来るそうだ。小さい頃から将棋に慣れ親しんできた竜王さんにとっては、ぜひとも見ておきたい町だったのである。

 加えて、ここまでの旅を経て、我々の中には「いわゆる観光地は、想像を絶するレベルの混雑に見舞われている」という認識が芽生えていた。敢えて有名どころを外して、落ち着いて旅したい。そんな願いを叶えるのに、高槻は程よい場所に思われた。

 僕としても、大阪近辺でどうしても行きたい場所はなかった。そういうわけで、「わかりました」と答えた。

 だが、大阪から高槻へ行って、将棋関連のスポットを巡るだけでは、はっきり言って間が持たない。そこで僕はある提案をした。

「竜王さん大阪初めてなんですよね。そしたら高槻に行く前に、とりあえず大阪環状線を一周してみませんか?」

 結論から言おう。この提案のために、4日目の旅は極めてハードなものになる。しかしそのことを、我々はまだ知らなかった。

 5月6日、朝9時15分。

 竜王さん・しゅろさん・僕の3人は、ホテルのロビーで待ち合わせ、大阪駅まで歩いて行った。それまで朝の早い行程が続いていたので、この日はスロースタートにした。駅前のマクドナルドで朝食を摂り、コインロッカーに荷物を預けると、環状線の内回りに乗り込んだ。

 最初に下車したのは隣の福島駅だった。ここで降りたいと言ったのは竜王さんである。先に述べた通り、ここには現・関西将棋会館がある。

「聖地巡礼だよ」

 竜王さんはそう言った。

 将棋会館は、福島駅の改札から北へ5分ほど歩いたところにあった。レンガ造り風の、重厚感のある建物であった。

 手前まで近付くと、自動ドアが開いたので、そのまま中に入った。高級な将棋盤や駒が展示されているほか、王将の置物やイベントのポスターがあった。竜王さんはそれらを熱心に写真に収めていた。長居することはできなかったが、「聖地」に来られたことに満足したようであった。

 再び環状線の内回りに乗る。次に降りたのは天王寺駅であった。しゅろさんが「あべのハルカスって行ったことないなあ」と言ったのがきっかけだった。

 とりあえず、ハルカスや周辺の施設を間近で見てみようというつもりだった。まだ旅が続くことを考えると、展望台や美術館へ行く時間はなかった。だが、建物に近付いたところで、僕はあることを思い出した。

「立ち入り自由の展望デッキがあるんです。とりあえずそこまで行ってみませんか?」

 展望台などへ行く人に混じってギュウギュウ詰めのエレベーターに乗り、16階で降りる。そこに、北向きに広がる展望デッキがあった。見られる方角は限られる。だが、天王寺公園や通天閣はもちろんのこと、大阪環状線の内側に広がる街を眺めるには十分なスポットだった。

「しゅろさん、とりあえず、これでハルカスに来たって言えますよ!」

 僕はそんなイイ加減なことを言った。

 程なくデッキを離れると、すぐさま2階へ下り、サークル状に駅前施設をつなぐ歩道橋をぐるりと回ってから、天王寺駅に戻った。環状線のホームへ向かおうとした時、しゅろさんが「ちょっとごめん」と声を上げた。

「さっきそこにセレッソのポスターがあった気がするんだ」

 果たして、阪和線のホームの一画に、セレッソ大阪の選手のサインが書かれた、大きなピンク色のポスターがあった。しゅろさんはセレッソ大阪のファンであり、試合を観に来たことも何度かあるらしかった。

 竜王さんの将棋に対する思いの熱さといい、しゅろさんのセレッソ愛といい、知り合って長い2人だけれど、知らない面もあるものなのだなと、僕は改めて思った。

 ちなみに、環状線を一周している僕らが阪和線のホームにあるポスターを見かけていたのは、鉄道好きの僕がマニアックにも、阪和線の頭端式ホームを「これはなかなか立派ですよ!」と案内したためである。

 電車に乗り込んで間もなく、しゅろさんが「鶴橋で降りたい」と言った。しゅろさんは打ち合わせの時にも「鶴橋で焼肉を食べてみたい」と言っており、とにかく鶴橋に足を踏み入れたがっていた。

 天王寺から3駅、鶴橋で降りると、僕らはコリアンタウンの方へと歩き始めた。だが、コリアンタウンまでは思いの外遠かったので、駅の横にある商店街に入ってみることにした。

 これがとにかく凄まじい場所だった。

 人がやっとすれ違える程の細い道の両側に、キムチの店・八百屋・魚屋・肉屋・料理屋・喫茶店・ブティック・雑貨屋、とにかくありとあらゆる店がひしめき合っている。そんな道が縦横無尽に、果てるともなく続いている。一度入ったが最後二度と出ることのできない魔窟のようであった。店頭に魚の形のままのアンコウが置かれていたり、牛肉や豚肉が元の部位の形がはっきりわかるような状態で売られていたりするのも衝撃的だった。

 関西在住歴の長い僕だが、鶴橋駅前の商店街に入ったのは初めてだった。大阪駅ビルの飲食店街や、天満・京橋の商店街など、雑多な雰囲気の場所は幾つも見てきたつもりだった。しかし、鶴橋の混沌ぶりを前にすれば、他の場所など霞んで見える。そう言っても過言ではないくらい、圧倒された。

 そんな魔境のような商店街を10分ほど歩き、ばったり出会った料理屋で昼食を摂った。竜王さんと僕は冷麺を、しゅろさんはスンドゥブを頼んだ。直前まで「朝マックが意外に重い」と言っていたしゅろさんだが、「スンドゥブ頼んだら、ご飯が食べたいよね」と言って、定食にしていた。この人も時々妙なこだわりを見せるものだと、僕は思った。

 鶴橋駅に戻り、環状線に乗る。そこから大阪まではずっと乗り通すつもりだった。だが、旅には予定外がつきものである。鶴橋から京橋に至る間、車窓に大阪城が見えるものと、僕は思っていた。ところが、大阪城公園の外周を囲む並木のせいで、城は殆ど見えなかったのである。

 これは納得できぬ!

 僕は急いで2人に声を掛け、大阪城公園駅で降りた。

 そして天守閣を見た後、こう言った。

「読売テレビの本社とかもあるんで、次の京橋までは歩いていきましょう」

 数年前、会社の人たちと大阪城公園のリレーマラソンに参加したことがあった。その時の打ち上げ場所が京橋だったので、そこまでは歩けると思ったのである。

 だが、大阪城公園から京橋の駅までは、思っていた以上に距離があった。新緑をたたえた並木が風にそよぐ道の上で、僕らはだんだん言葉少なになっていった。

 京橋から環状線に揺られること3駅、僕らは漸く大阪駅に戻って来た。時刻は14時を回っていた。実に4時間かけて、大阪環状線を一周したのである。

「ひとまずお疲れ様でした」

 僕は思わずそう口にしていた。

 しかし、旅はここで終わりではない。目指すは高槻である。

 環状線のホームから、京都線のホームへ移動する。京都線はトラブルの影響で列車が遅れており、運行スケジュールも見直されていた。しかし、幸か不幸か、高槻・京都方面へ向かう新快速は大阪始発になっていた。

 僕らは向かい合わせになっている席に腰を下ろした。

「やっと座れた……」

 竜王さんが呟いた。

 それからあっと言う間に、竜王さんとしゅろさんは眠ってしまった。

 僕はそこで初めて、2人が相当疲労困憊していたことに気が付いた。大阪城公園を出て言葉少なになった辺りから、疲れているのは感じていたが、まさか座っただけで眠ってしまうほどとは思っていなかった。環状線一周の疲れ、そして、ここまでの旅の疲れ。色んな疲れが2人の中に蓄積しているのが見て取れた。

 やってしまったと思った。それから、寝過ごさないためにもここで寝てはならぬと思った。閉じそうになる瞼を持ち上げながら、僕は流れるような車窓に目を凝らしていた。

 高槻駅を出てからの案内役は竜王さんであった。

「えっと、この道をこうかな」

 竜王さんはそう言いながら北口へ向かい、線路に沿うように伸びている道を大阪方へと歩き始めた。そして5分ぐらい進んだところで「ここだ!」と言った。

 そこは、新しくできる関西将棋会館の建設予定地だった。

 つまり、現時点では更地である。

 その更地を、竜王さんは写真に撮り始めた。

 何かある場所へ行って写真を撮るのではなく、目下何もない場所をひたすら写真に収めている竜王さんを、僕はしばしポカンと見ていた。不思議なことをしているなという気持ちが半分あった。そして残りの半分で、この人は本当に将棋が好きなんだなとしみじみ思った。

 それから僕らは近くのカフェに入ることにした。喉が渇いていたし、足も疲れていた。グーグルマップで調べると、評価の高いカフェが1軒見つかった。行ってみると空いていて、すぐさま席に通してもらえた。

 しゅろさんと僕はコーヒーを、竜王さんはコーヒーフロートを注文した。程なく、店を切り盛りしているママさんがそれらを持ってやって来た。ママさんは飲み物を僕らの前に置きながら、「連休の初めは混んでたけど、今は落ち着いたからねえ」と急に話し始めた。

「そんなに混んでたんですか」と僕は言った。

「ジャズの演奏やっとったからねえ」とママさんが言う。

「このお店でですか」と僕は尋ねた。

「いや、町全体でよ」とママさんが言う。

「へー、そうなんですか!」

 僕がそう感心したように言うと、ママさんは怪訝そうな顔をした。

「え、知らない!? もしかして高槻の人やないの!?」

 僕は急に申し訳ない気持ちになって、「すいません、そうなんです」と答えた。

 それからママさんが話してくれたところによると、高槻では毎年ゴールデンウィークにジャズストリートというイベントが開催されていて、今年で25回目を数えたという。海外からもアーティストがやって来るほどのイベントなのだそうだ。

 コーヒーを飲みながら、今年のイベント情報を検索した。そして驚いた。当日は町中に60ものステージが設けられ、のべ何百というアーティストが演奏を行ったという。想像していたより遥かに大掛かりで、立派なイベントだった。

「これは良い話を聞いた」

 しゅろさんが興奮気味に言った。しゅろさんは音楽の経験がある。ジャズストリートの話は興味をそそったにちがいなかった。

「じゃあまた来よう」

 竜王さんが言った。もとより、将棋会館の完成を楽しみにしている竜王さんは、また高槻に来るつもりだったようだ。

「では、会館ができてすぐのゴールデンウィークに!」

 2人は声を揃えていった。

「じゃあ僕も呼んでください」

 僕は急いで言った。

 こうして僕らは1時間余り高槻に滞在していた。そして新快速に乗り、大阪へ戻ったのであった。

 しかし旅はこれで終わったわけではない。最後にもう1つ、やり残したことがあった。

「では、僕のオススメの店までご足労願います」

 僕は言って、再び2人の案内役になった。

 目指すは、今僕が住む街である。

 山口を旅している時、オススメの場所を次々に紹介してくれるしゅろさんを見て、「大阪に着いたら同じことがしたいなあ」と僕は思った。そして、自分がよく知っている良いお店を2人に紹介したいと思い、前日に予約を取ったのだった。その後2人が新幹線に乗ることを考えると、実に動線の悪い行程だった。が、2人はOKしてくれた。

 コインロッカーから取り出した大きな荷物を携えて、一行は僕の住む街へと向かった。

 店に着いたのは17時だった。竜王さんとしゅろさんは19時には出なければならない。

 旅が終わる。

 そのことを少しずつ感じ取りながら、僕らは最後の乾杯をし、料理を口に運んだ。

 あと10分少々で時間になるという頃、竜王さんが言った。

「まとめになるけど、今回は本当に色んな経験ができて良かったよ」

 それは、しゅろさんも僕も同じ思いだった。最初から最後まで、ハードだけれど素晴らしい旅だった。滅多に行けないところへ行き、それぞれの場所を味わい、そして、共に旅する者同士の新たな一面を知りながら、豊かという他ない時間を送った。

「2人が色々案内してくれたお陰だよ」と竜王さんが言う。

「いやいや、竜王さんが声を掛けてくれたお陰ですよ」と僕が言う。

「また是非どこかへ行きましょう」としゅろさんが言う。

 そうして僕らは席を立った。

     ◇

 駅の改札で僕らは別れた。竜王さんとしゅろさんが早歩きで階段へ向かうのを、僕は2人の姿が見えなくなるまで、ずっと見ていた。

 数分前に3人で歩いた道を、1人になって引き返す。ふと寂しさがこみあげてきた。僕はいつも、その道を1人で歩いている。だから、ただいつも通りのことをやっているに過ぎない。この4日間が賑やかで、豊かだっただけである。僕はこれから定常状態に戻っていくのだ。——頭ではそうわかっている。けれども、寂しさはどうにも断ち切れなかった。

     ◇

 竜王さんは解散する前に「本当に良い旅だった」と言っていた。しゅろさんが頷き、僕も頷いた。

 でも、正直に言うと、僕自身は、今回の旅の意味も価値も、まだ本当にはわかっていないと思う。

 僕はいつもそうなのだ。旅に出ている間は、目の前で起きていることに精一杯になってしまう。その出来事がどういう意味を持っているのか、どれほど貴重なことなのか、そこまで思いが巡らない。それがわかるようになるのは、いつも決まって、旅が終わった後なのだ。場合によっては、ずっと後になることもある。

 今回の旅もきっとそうなのだろうと思う。明日になり、来週が来て、来月になり、年が明け、3年経ち、5年経ち、10年経ち——そこで初めて、本当の意味が分かるのにちがいない。

 その時に、また3人で集まり、シワの入った顔を突き合わせ、酒を片手に持ちながら、「あの旅は良かった」と語り合えたらどんなに良いだろう。

 そんなことを思いながら、僕は家までの道を歩いていった。

(第153回 5月6日)

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