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読書会怪談噺

 7月23日(日)の朝、学生時代からの知り合いとZoomを使って読書会を行った。この読書会は元々、東京都内のカフェの貸会議室などを使って数ヶ月に1回行われていたものであるが、3年ほど前にオンライン化し、それから毎月開催されるようになった。就職を機に関西に帰っていた僕は、オンライン化をきっかけに再び参加するようになり、以来毎回のように顔を出している。

 ——こんな調子で書き出すと、皆さんはきっと、後に続くのは当日紹介された本のまとめか、課題本の感想だろうと思われることだろう。もちろん、その話はいずれしようと思っている。しかし、今回はまず、この読書会で起こった珍事をお話しすることにしたい。

 この日の読書会は、「夏に関する本」をテーマに本を紹介し合うという内容だった。季節にちなんだテーマである。だが、メンバーの中には、このテーマで本を選ぶのは難しいと感じている人が少なくなかった。また、最近仕事などで忙しく、人に紹介できるほど本を読めていないという声もちらほら聞かれた。「本当は聞く専で参加したい」と言って、何人かの話を聞きながら紹介する本を選んでいるメンバーもいたほどである。要するに、些か手詰まり感が漂っていた。

 そんな中、読書会唯一の女性メンバー・茶猫星さんがこんなことを切り出した。

「今から、本当に経験した怖い話をしようと思います」

 一体読書はどこに行ったのだろう。

 なるほど、確かに怪談話は夏の風物詩である。怖い話で肝を冷やせば、今年の猛暑も切り抜けられよう。

 しかし、その前に、我々は読書会ではなかったか。これではお話を読む会ではなく、お話を作る会ではないか。

 もっとも茶猫星さんにしてみれば、それはやむにやまれぬ選択であった。多忙ゆえに本を読むことができず、夏にまつわる本も思いつかない。それでも容赦なく、自分の番は回ってくる。彼女はどうすればよいか必死に考え、夏らしく、物語に親しむ者らしく、怖い話をしようと思い立ったのだ。

 この選択を止めようとする者はいなかった。我々は皆面白がって笑い声を上げ、しかる後、期待に胸を膨らませ、話に耳を傾けた。

 こうして、読書会史上かつてない、本そっちのけで怪談を語るという珍事が生まれた。

 茶猫星さんは一呼吸置いてから、ゆっくりと、淡々と、話し始めた。

「もし皆さんの身に同じことが起きたらと、想像しながら聞いてください」

     ◇

 これは私が高校生の時のお話です。

 ある夏の日のことでした。何もない平穏な日という言葉がぴったり当てはまるような一日で、私は何事もなく家に帰り、夕食を摂り、寝支度を整え、ベッドに入りました。

 夜中にふと目が覚めました。まだぼんやりした目で時計を見ると、夜中の2時を回ったところのようです。暑い夜だったので、きっと喉が渇いたのでしょう。私はお茶を飲もうと思い、体を起こしました。その時——

 膝上辺りに、女性の長い黒髪が覆いかぶさっていたのです。

 途端に意識がはっきりしました。驚きのあまり声は出ません。私は心霊現象など信じていませんでした。でも、確かに膝元には、謎の黒髪が垂れ下がっているのです。

 私はとにかく体を起こし、電気をつけました。

 その途端、黒髪は跡形もなく消えました。

 私の恐怖は頂点に達しました。それでも、何が見えたのか知りたいという探究心が辛うじて勝ちました。私は息を詰めて、黒髪の見えた辺りへ寄り、ベッドの下を覗き込みました。するとそこには——

     ◇

「床に突っ伏して寝ている母の姿がありました」

 僕らは無言で話の続きを待った。

「わかってみればなんてことのない話だったんですが、母が私のベッドの横で正座してたんですね。そして、私が電気をつけようと体勢を変えた、まさにそのタイミングで突っ伏してしまったので、ベッドの上からは母の頭が見えなくなってしまったんです。ベッドって意外と高さがあるので、人の頭くらいだと見えなくなってしまうんですね。だから突然女性の髪が消えてしまったように思えたんです。

 でも、怖くないですか。私が電気をつけたタイミングで、狙ったように母の姿勢が崩れるなんて、そうそうある話じゃありません。それに、夏の午前2時過ぎって、舞台が出来過ぎてるじゃないですか。

 何はともあれ、皆さんベッドの近くで、急に姿勢を変えないでください。いきなり消えてしまって人を驚かすことになりますから」

 茶猫星さんはそこで言葉を切った。

「いやいや、ちょっと待ってください」

 口を開いたのは僕だった。どう考えても、この話の怖いところは黒髪の消失ではない。

「そもそも、お母さんはなんで茶猫星さんのベッドの横で正座してたんですか? 僕はそっちの方がよっぽど怖いんですけど」

「母は母で寝付けなかったらしいんですね。それで私の部屋に入って来て、ベッドの横に座ったんだと思います」

「なんでよりによってその場所に。よくあることだったんですか?」

「そういう日もあるんじゃないですか」

「え」

 お母さんがいた理由が、たったそれだけで片付いてしまうことに、僕はいっそう恐怖を覚えた。

「でも確かに、いきなり黒髪が見えて、明かりをつけた途端に消えたら怖いですね」

 読書会きっての多読派であるvan_kさんが口を開いた。しっかり茶猫星さんの経験に寄り添う紳士ぶりである。

「ほんとそうです。しかも母に後で聞いたら、私の部屋に来たことを覚えてなくて」

「待って、そっちの方が怖い!」

 紳士は敢え無く消滅した。もっとも、僕はvan_kさんと同意見である。この話の怖さはお母さまの一連の行動を措いて他にない。

 しかし、茶猫星さんはそうは言わなかった。その代わりに、ベッドの高さと人間の頭の大きさに起因する黒髪消失の恐ろしさを、整然と訴えようとするのだった。

     ◇

 この話はこれで終わるのだが、実を言うと茶猫星さんの怪談は2本立てになっていた。本来は2本目の話も書かねばならぬところである。しかし、残念ながらそれはできない。2つ目の話は、決して語ってはならないと言い含められたからである。

「いいですね、ひじきさん」茶猫星さんは言った。「2つ目の話は決して書いてはなりません。もし、この読書会の参加者以外の方がその話をしているのを見かけたら、その時は、わかっていますね——」

 背筋が凍るとはこのことである。

     ◇

 次回はちゃんと紹介された本の話したいと思います。なんだかんだ言いながらも、夏にちなんだ本が色々紹介されていますので、安心してご期待ください。それでは。

(第185回 7月24日)

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