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龍にゆかりの貴船神社を詣でる


はじめに

 京都の貴船神社へ行った。

 きっかけは、今年が始まってすぐに、関西にある龍にゆかりの神社仏閣を調べたことである。その中の1つが貴船神社だった。貴船神社の祭神は高龗神(たかおかみのかみ)という水の供給を司る神様であるが、この神様はまた、降雨・止雨を司る龍神でもあるという。さらに、貴船神社奥宮の本殿下には、神聖な場所である龍穴があるそうだ。

 日本では龍が水の神様とされていることはかねてより知っていたので、水の神様を祀る貴船神社に龍と深い縁があるのはもっともなことに思えた。それに、貴船神社は以前に訪れたことがあり、とても好きになった場所の1つだった。そんなわけで、なるべく早いうちに行こうと思っていたのだった。

貴船口から貴船神社へ

 貴船神社の最寄駅である叡山電車の貴船口駅に着いたのは、12時半過ぎのことだった。僕の家から京都の中心部までは、電車を使って1時間余りで行くことができる。しかし、そこから貴船口へ行くには、出町柳まで出たうえ、叡山電車に乗り換えて30分近く揺られなければならない。ゆうに2時間を超す大移動である。到着が良い時間になるのも無理はなかった。

 最寄駅といっても、貴船口駅から貴船神社まではおよそ2キロある。しかもずっと上り坂である。この区間を往復するバスが走っているので、一緒に下車した参拝客は殆ど全員バス停に向かった。だが、僕は歩いていくことにした。バス代をケチったというのもあるが、それ以上に、この道のりを歩きたいという気持ちが大きかった。

 貴船神社に通じる道は、貴船川という細い川に沿った一本道である。両側には山が迫っており、人里の気配はない。そんな非日常的な空間で、川の流れに耳を傾けながら、水の神様のもとへ歩いていく。それは何ともワクワクすることではないかと、僕は思った。

 折から空は雨模様だった。傘をさすほどではなかったが、細かな水滴が頬を撫でる感触があった。視界の開けたところへ出ると、遠くの山の辺から霧が立ち上るのが見えた。貴船神社へ行くにはおあつらえ向きのシチュエーションで、僕の胸は否が応にも高鳴った。

本宮——有名な石段の先へ

 30分ほど歩いて、貴船神社の本宮に辿り着いた。

 貴船神社と言えば、朱塗りの灯篭が立ち並ぶ石段の写真を思い浮かべる方が多いと思うが、その石段があるのがここ本宮である。参拝客は、バスも通る県道から外れ、鳥居をくぐった後、石段を上って社殿へ向かう。

手水舎。「水は命」の文字が、いかにも水の神様らしい。

 社殿へ向かう途中に御神木がある。桂の木である。この桂の木に添えられた説明文が、僕はとても好きだ。

貴船は古くは「気生嶺」「気生根」とも書かれていた。大地のエネルギー「気」が生ずる山、「気」の生ずる根源という意味。
神道では、体内の気が衰えることを「気枯(けが)れ」といい、古来当社に参拝する者皆、御神気に触れ、気力の充実することから運気発祥(開運)の信仰が篤い。

 貴船には様々な当て字があり、明治時代に表記が統一されるまでは「貴布禰」「黄船」とも書かれていたという。だが、この説明文にある「気生嶺」「気生根」ほどしっくりくる表記はないと、僕は思う。気が生ずる場所。エネルギーが満ち満ちていく場所。今風に言えば「パワースポット」ということになるだろう。

 僕はパワースポット巡りに興味はないのだが、貴船神社がエネルギーに満ちた場所だというのは、何となく信じられる気がする。実際、参拝の時、僕は「気枯れに見舞われることなく、エネルギーに満ち溢れた一年になりますように」と、近年稀に見る真剣さで祈った。

社殿に置かれたパンフレットには「氣生根」と書かれている

 ちなみに、先ほど引用した説明文には続きがある。

この桂は、樹齢四百年、樹高三十メートル、根元からいくつもの枝が天に向かって伸び、上の方で八方に広がる。
これは御神気が龍の如く大地から勢いよく立ち昇っている姿に似て、当社の御神徳を象徴し、まさに御神木と仰がれる由縁である。

 この部分をちゃんと読んだのは今回が初めてだった。龍の字が登場するのが目を引いたのだと思う。改めて桂の木を見てみると、確かに根元から幾本もの枝が伸びていて、エネルギーがドッと湧き出すようである。それが上空へ昇る様は、確かに見事だった。

中宮——和泉式部ゆかりの結社

 参拝を済ませると、例の石段とは反対側にある道を下り、山の奥へと向かった。

 貴船神社には3つのお宮がある。上で書いてきた「本宮」、結社(ゆいのやしろ)とも呼ばれる「中宮」、そして冒頭で少し触れた「奥宮」である。創建時の貴船神社は現在の奥宮の場所にあり、平安時代中期に災害で社殿が損傷した後、現在の場所に本宮を移したのだという。ともあれ、僕は今回、この3つのお宮へ順番にお参りすることにした。

 3つのお宮を結ぶ道には、食事処や旅館が立ち並ぶ。いかに人里離れた貴船神社といえども、この辺りには寺社の参道らしい雰囲気が漂っている。夏になると貴船川に納涼床が設けられるが、冬のこの時期は当然撤去されており、河川敷へ通じる道は立入禁止になっていた。

 中宮は本宮から10分ほど歩いたところにあった。由緒によると、中宮の祭神は磐長姫命(いわながひめのみこと)だという。

神武天皇(初代の天皇)の曽祖父にあたられる瓊々杵命(ににぎのみこと)が、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を娶らんとする時、父の大山祇命(おおやまずみのみこと)が姉の磐長姫命も共におすすめしたが、瓊々杵命は木花咲耶姫命だけを望まれたため、磐長姫命は大いに恥じ、「吾ここに留まりて人々に良縁を授けよう」といわれ、御鎮座したと伝えられています。

 正直に言うと、この文章を読んだ時、ここの御祭神はかなり執念深いお方だと思った。良縁に恵まれなかったのを恥じ、代わりに人々に良縁を授け続ける。学歴コンプレックスをこじらせた親が子どもに英才教育を施しているようなものに思えて、僕は複雑な気持ちになった。——よくよく考えてみると、磐長姫命は自分が良縁を手にできなかったのを何かの報いと受け止め、罪滅ぼしのために人々の縁を取り持っていると受け止めるべきだったように思う。昼間の自分はどうして神様をこじらせたがったのだろう。御神徳に預かるどころか罰でも当たったらどうしようと、今更ながら不安になった。

 何はともあれ、中宮は縁結びの神様を祀る場所である。縁結びの信仰は平安時代には既にあったようで、和泉式部が夫との不仲に苦悩し貴船神社へ詣でたところ、御神徳により関係が良くなったという言い伝えがある。僕もここでは「良縁に恵まれますように」と祈った(決していい加減な祈りではないだけに、いま一度罰が当たらないことを願いたい)。

 ちなみに、中宮は貴船神社の3つのお宮の中では最も簡素である。急な石段を上った先で鳥居をくぐると、朱塗りの灯篭が疎らに並んだ先にお宮がある。その脇に磐船を象ったものがあったり、願い事を書いた紙を結びつけるものがあったりするが、それらを含めても、余計なものは何もないといった趣があった。

奥宮——気に満ちた思い出の場所

 奥宮は中宮から歩いて5分ほどのところにあった。

 県道の脇に鳥居が立っており、そこから県道と木立で仕切られた砂利道が伸びている。木立の間には朱塗りの灯篭が立つ。反対側は山肌に面し、シダに覆われている。そんな参道を2、3分歩いた先に、朱塗りの塀と門が現れる。その先が奥宮である。

 塀の向こうは木々に囲まれた場所である。一番奥に本殿があり、他に小さなお宮が幾つか置かれているが、いずれもへりにあり、中央には何もない空間が広がっている。参拝客はその空間を横切って本殿へ参ることになる。

 僕はこの奥宮に忘れられない思い出がある。その思い出は、僕が貴船神社を好きであること、そして貴船を「気生根」だと信じていることと深く関わっている。

 5年前の夏、友人と2人で貴船神社を訪れた。友人が貴船神社で行われる七夕のライトアップにどうしても行きたいと言い、僕を誘ってくれたのである。

 僕らは一乗寺界隈で夕方まで時間を潰し、夏の長い日が漸く暮れかかる頃に貴船神社に辿り着いた。そして、本宮でライトアップを堪能した後、奥宮へ向かった。宵闇に没していく参道を通り、門をくぐって中に入る。その途端、友人が言った。

「すごい——」

 友人はそのままゆっくりと、声も立てずに、広大な空間の真ん中へ歩み出た。そして、空を見上げて立ち尽くした。全身から無駄な力が抜け、魂さえも抜けかかっているのではないかと思えるほど脱力していた。僕は暫く近付けなかった。それくらい、友人の立ち姿はどこか異様であった。

 本殿で参拝を終えた後も、友人は「ここ本当にすごい」と繰り返し呟いた。何がそんなにすごいのかと尋ねると、言葉を慎重に選びながらこう言った。

「何かが生まれてくる感じがするんだ。雨が降っている場所みたい。——雨が降って地面に落ちて、そこから草や木がワッと生えてくる、そんな感じがする。——上から落ちてきて、下から湧き上がる、みたいな」

 その言葉を聞くうちに、僕もまた、目の前の空間が生気に満ち満ちた場所であるような気がしてきた。自然の力。何者に手を加えられることも、奪われることもない、力強いエネルギーそのもの。

 奥宮の中央の何もない空間に立ち尽くした時、友人はただ脱力していたのではない。そこから生ずる気に体を預けていたのだ。その身に背負った強張りを解き、四方から迫りくる大きな力にすっかり浴びたのだった。

 僕はその力を浴びることはなかった。少なくとも、浴びたと意識することはなかった。しかし、友人が気を感じ、力を得たことは、紛れもない事実だった。「ここに呼ばれてたんだと思う」と言うほど、友人は貴船神社の奥宮に魅入っていた。——

 門をくぐり、木々に囲まれた奥宮の敷地を見渡した時、僕はそこに5年前の夏の友人の姿をはっきり思い描くことができた。全ての余力を取り払い、気に身を委ねた時、友人の体を突き抜けたのはどのような感覚だったのだろうか。

 僕の身には、相変わらずそれほど変化は起きなかった。ただ奥宮という場所が、本宮や中宮に比べても静謐な場所であることをぼんやり感じた程度である。それでも、この場所は凄いという考えは変わらなかった。ここは気の満ちる場所、気の生まれる場所、気がこの身を突き抜けていく場所なのだと信じていた。

 その時僕は、友人を介して奥宮とつながろうとしていたのだと思う。自分は直接経験できないかもしれない。だが友人は確かに経験した。呆然と立ち尽くし、何度も「すごい」と呟くほど、この場所に深い感動を覚えていた。その事実を通して、僕は貴船と出会いたかった。

 門のところで一礼して、奥宮を出た。参道を引き返しながら、「灯篭の赤と森の緑のコントラストが鮮やかだなあ」と思った。その途端、この真冬にも貴船神社には緑が絶えないことに気が付いた。僕は山肌を覆うシダに目をやった。折からの雨でしっとりとしたシダは瑞々しく、生き生きとして見えた。

おわりに

 奥宮を出た後のことは手短にまとめよう。

 時刻は14時半を回っていた。僕はまだお昼を食べていなかったので、急ぎ足で食事処のある辺りへ向かった。昼の営業を終えた店が多い中、主人らしき人が玄関先で声を発しているところがあったので、縋る思いで中へ入った。そして「しし肉うどん」を食べた。

 食事を終え、一息ついたところで、山を下りることにした。バスに乗るか悩んだが、結局貴船口まで歩いた。元来た道を下りながら、この深い山と、水の流れが、やっぱり好きだと、僕は思った。

(第208回 1月20日)

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