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とある本紹介式読書会の記録~2023年3月編~

◆はじめに

 3月12日(日)の朝、学生時代からの知り合いと毎月行っているオンライン読書会に参加した。この読書会は元々、山手線沿線にあるカフェの貸会議室などを使って、数ヶ月に1回行われていたものであるが、2年半ほど前からオンライン形式に変わり、同時に毎月開催されるようになった。就職と同時に東京を離れ関西に帰っていた僕は、オンライン化と同時に読書会への復帰を果たし、以来毎回顔を出している。

 この読書会は月によって、参加者がそれぞれに本を紹介する形式になったり、同じ本を読んできて感想や意見を話し合う形式になったりする。今回の読書会は本紹介式であった。これまで本紹介式の読書会は、参加者がそれぞれ自由に本を選んで紹介するというやり方だった。しかし最近、「フリーテーマだと却って本を選びにくい」という声が一部のメンバーから挙がったため、新たな試みとして、紹介する本にテーマを設けるようになった。

 今回の本紹介のテーマは、〈自分の好みじゃないけれど、読んで良かったと思う本〉というものだった。

 本を読んだことのある人なら誰しも、自分の好みじゃない本と出会ったことがあると思う。単調で退屈な本、あからさまに感動を誘いに来ているような本、難しすぎてわけがわからない本、簡単すぎて読み応えのない本——人によって定義は違うだろうけれど、とにかく、自分と合わない本や、手に取りたくない本というものがある。ただ、その中には、「自分は好きじゃないけれど、確かにこれは良い」と直感できる本や、「好きなジャンルじゃないけれど、読んでみたら意外に良い」と評価が変わる本もある。そういう〈単純には評価できないけれど、良いのは良い本〉を紹介しようというのが、今回の読書会の主旨であった。

 ちなみに、このテーマを挙げたのは僕である。前回2月の読書会で、メンバーの1人・しゅろさんが、「個人的にあまり好きじゃないタイプの本だけれど」と断りながら本を紹介するという一幕があった。それを聞いているうちに、「好きじゃない本を敢えて紹介する会を作ったら、面白いのではないか」と閃いたのだ。早速提案してみると、他のメンバーからも「いいね!」という反応が相次ぎ、あっという間にテーマに採用された。単純人間の僕がニンマリしたことは言うまでもない。

 ではそろそろ、この一風変わった読書会でどんな本が紹介されたのかを見ていくことにしよう。この日はメンバー6人全員が顔を揃えた。ただし、喉を痛めて喋りにくいというメンバーがいたため、本を紹介したのは5人だった。例によって紹介する本に冊数制限はなく、複数の本について話をするメンバーもいたため、紹介された本は全部で9冊に上った。いや、正確に言うと、8冊と1本である。1本とはどういうことか。それは読んでみてのお楽しみとしよう。——え、目次でバレてる? それは見なかったことにしていただきたい。

◆1.『ゼロからわかる量子コンピュータ』(小林雅一)

 読書会の代表を務める竜王さんから紹介された本。タイトルの通り、量子コンピュータのことを説明した本です。

 竜王さんは普段から経済や社会問題に関係した本を紹介することが多く、時代の流れを追うことに敏感な印象のある方です。が、本人曰く、テクノロジー関連の話題はあまり強くないそうです。なので、今回の紹介本は普段手に取らないジャンルの本になります。タイトルの「ゼロからわかる」という文字を見て、意を決して読んだそうですが、数式を使った説明なども多く、「文系人間の自分には全然わからなかった」と話していました。

 それでも、この本の中で、技術を先走らせるのではなく、まず制度的な枠組みを考えることが大切だという主張がなされていたことは良かったと、竜王さんは言います。極めて高い計算能力を有するコンピュータは、便利なものにちがいありません。しかし、悪用された場合取り返しのつかない結果を招く可能性もあります。この本は、そのような惨事を防ぐために、技術の利用に制度的な枠組みを設けるべきだという立場から書かれているようです。その考えには共感できたと、竜王さんは話していました。

 本紹介後のトークでは、テクノロジー分野に明るいメンバーから、量子コンピュータと従来のコンピュータはどう違うのかといったことや、量子コンピュータの開発は現在どういう段階にあるのか(どれくらいの性能があるのか、どれくらいの人が使いうるのか)について説明がありました。さらに、IBMがウェブで公開している量子コンピュータの操作画面にアクセスし、どんな数式が用いられているのか見てみるという一幕もありました。僕も文系人間なので、残念ながらポカンと聞くのが精一杯でしたが。

◆2.『何者』(朝井リョウ)

 読書会のアウトプット・リーダーこと、しゅろさんからの紹介本。直木賞にも輝いた朝井リョウさんの小説です。

 主人公は就活をしている学生。同じ就活生たちの「バンドをやっていた」「海外に留学して、帰国後はイベントを主催していた」といった話を聞きながら、主人公は、自分自身は何者かであるとアピールしようとする彼らをイタいと感じる。そうやって、何者かであろうとする者のイタさを描きながら物語は進んでいくが、やがて流れが変わる。じゃあ、周りの人たちをイタがっている主人公自身はどうなの?——しゅろさん曰く、そこから先の展開はネタバレできないとのことでしたが、とにかく「アッ」と思わされるものだったそうです。

 話を聞いている限り、就活という今の社会の出来事、そして、その中で自分を何者かに見せようとする人々の在り様を克明に描き出した凄い作品であることが窺えます。しゅろさんもその点は認めており、「間違いなく良い作品」だと話していました。

 では、しゅろさんはなぜこの作品が好みでないのか。その理由は大きく2つあるようです。1つは、就活や就活生の描き方があまりにもリアルで、心に刺さり過ぎるからというものです。しゅろさんがこの本を始めて読んだのは、まさにご自身が就活をしていた時だったそうで、思い当たることが多過ぎて読むのがしんどかったと言います。すごい作品であるがゆえに、負荷も大きく、読むのにエネルギーが要るということでしょう。

 そしてもう1つの理由は、何者かであろうとしながら何者にもなれない平凡な若者たちの姿を描いた朝井リョウさん自身は、傑作を作れる「何者か」であるという点が気に入らないからなのだそうです。自分たちの生き様を、得体の知れない立ち位置から俯瞰して、描いてみせる者がいる。しゅろさんはそのことに「正直に言うと、嫉妬した」と話していました。これはかなりインパクトのある話でした。そして同時に、なんだかわかってしまう話でもあるのでした——

◆3.『破船』(吉村昭)

 ワタクシ・ひじきが紹介した本。2022年本屋大賞の「超発掘本!」にも選ばれた、吉村昭さんの小説です。

 物語の舞台は、北の海に浮かぶ離島の集落。時代はおそらく近世後期。気候が厳しく土地も痩せたその集落では、毎年冬になると、湾に面した浜辺で夜の間火を焚き続ける。それは、沖合を航行する船を灯台の明かりらしきものでおびき寄せ、座礁させて積み荷を強奪するためだった。「お船様」と呼ばれるその風習によって、束の間の豊かさを手にすることで、村の暮らしは成り立っていた。しかし、ある冬やって来た「お船様」は事情が違った——

 ネタバレを承知で言いますが、この作品に描かれているのは、貧しい集落を襲った悲劇です。惨劇と言ってもいいかもしれません。物語のどこにも救いはなく、最初から最後まで重く苦しい話が展開します。読んでいてとにかくしんどかった、このシンプルな事実こそ、僕がこの作品を好きになれない理由です。

 しかし、衝撃的な作品ではありました。その衝撃はひとえに、吉村さんの文章によるものだと思います。救いのない惨劇を、吉村さんは一切感情を交えない淡々とした文章で描いていきます。それも、作中の光景が目の前に広がるほどの生々しさで。淡々としているからこそ、その文章は凄みを増し、読む者を戦慄させるのでしょう。とにかく、こんな書き方があるのかということに、僕は色んな意味で震えました。

 また、この小説は考えさせる要素を沢山含んだ作品でもあります。生き延びるための略奪行為は認められることなのか。風習に闇雲に従い、長の言うことを絶対視する集落のあり方は正しいのか。寒村の集落の姿を通じて様々な問いを発していることも、この作品の優れた点であることは間違いありません。好みではありませんが、読んで後悔することはないと、自信をもって言える作品です。

◆4.『ニューヨークの美しい人をつくる「時間の使い方」』(エリカ)

 読書会の紅一点・茶猫星さんから紹介された本。ニューヨークで暮らすエリカさんが、自身や周りの人たちの時間の使い方について綴ったエッセイです。

 茶猫星さんにとってこの本は、それまでは避けていたジャンルだけれど、読んでみたら意外と良かった本なのだそうです。かつての茶猫星さんは、人の生活や思想が綴られた本に興味がありませんでした。「結局のところ、その人自身にしか当てはまらないような生き方や考え方を読んで、何が面白いのだろう?」と思っていたのだそうです。しかしこの本を読んでみると、自分も取り入れたいと思うような考え方が幾つかあり、それがきっかけで、同様のエッセイ全般に対する見方が変わったと話していました。

 本の中で紹介されているのは、一分でも一秒でも輝いてみせるための方法です。具体的な方法は沢山あるのでしょうが、大胆に要約すると、自分のために時間を使う、という点に尽きるようです。ニューヨークの人々の時間の使い方や考え方は、日本のそれとは違うようで、普段知れない考え方に出会えたのも良かったと、茶猫星さんは話していました。

◆5.『今度こそ幸せになります!』(斎木リコ)

 4.に続き、茶猫星さんから紹介された本。この読書会では珍しいライトノベルの本です。一言で言うと、転生を繰り返している主人公が、幼馴染の勇者が自分のことを忘れていたことに悲しみながら、幸せになるために奮闘するファンタジー・ラブコメ。茶猫星さん曰く、「内容についてはこのくらいの説明で十分」だそうです。ここまでの話からだと、それほど深くはないものの、サッと目を通す分にはいい作品なのかな、という印象を受けます。

 しかし、茶猫星さんはこの本を手に取って「読めない!」と感じたそうです。それは、地の文も含め全文が会話口調で書かれていたからです。小説サイトやブログから出発した作品ではしばしば見かける文体ですが、いわゆる書き言葉に慣れ親しんでいた茶猫星さんにとっては読み辛いものだったそうです。

 一方で、ネット小説が増え、SNSを介したコミュニケーションが活発になったこれからの時代では、こういう文体の方が受け容れられるのかな、という風にも感じたと言います。内容とは別の部分で、何かと思うところのある作品だったようでした。ちなみに、物語自体はコミカライズ版で追いかけたそうです。

◆6.『悪魔の飽食 日本細菌戦部隊の恐怖の実像!』(森村誠一)

 こちらも茶猫星さんから紹介された本。戦時中に軍隊で実際に行われていた人体実験について書かれたノンフィクションです。曰く、「人間の本当の怖さを思い知らされる本」とのことです。

 茶猫星さんは中学生の時、どういうわけかこの本を手に取り、10ページほど読んだところで怖くなって読むのをやめてしまったそうです。悪夢にうなされるくらい怖い思いをしたため、本は長い間放置し、大学生になってから漸く読み終えることができたと話していました。知ることができたという点では良かったものの、トラウマを植え付けられたという点ではイヤな本、ということなのでしょう。

◆7.『モダン・タイムス』(チャールズ・チャップリン)

 読書会きっての多読派・van_kさんから紹介された本——ではなく、映画です。「はじめに」で言っていた、紹介本8冊+1本でいう「1本」の正体はこの作品です。

 チャップリンが製作し、生産性や効率を重んじ機械化が進む産業社会を風刺したこの作品、ご存知の方も多いのではないかと思いますが、van_kさんは元々、この作品からは距離を置いていたようです。経営に関心を持っているvan_kさんは、「効率って、色々言われるけど大事なことだよね」と考えていたので、効率重視を風刺する作品を受け容れる気になれなかったそうです。しかし実際に作品に触れたことで考え方が変わります。曰く、「行き過ぎた効率主義は良くないと気付けた」のだそうです。

 作品についての話が進む中で、「面白いのは前半だけで、後半はチャップリンのおふざけが過ぎている気がする」という話が出る一幕もありました。それでも、ユーモアを交えながら効率主義を問い直すこの作品に対しては、好意的に評価している様子が窺えました。

◆8.『沈黙』(遠藤周作)

 7.に続き、van_kさんから紹介された本。隠れキリシタンや宣教師への迫害が強まる17世紀の長崎、そこに生きた人々の姿を通して、神と信仰の問題に迫った、遠藤周作さんの代表作です。

 この作品に対するvan_kさんの感想は、「とにかく重くてしんどい」というものでした。キリシタンに対する迫害や拷問が生々しく描写されており、文字を追うだけでゾッとしたそうです。他のメンバーの中にも『沈黙』を読んだことがあるという人が何人かいましたが、全員同じように「しんどい」という印象を抱いているようで、中には「二度と読みたくない」という人もいました。僕も数年前に読んだことがありますが、こうして話していると今でも思い出し、胸が痛くなるようなシーンが幾つかあります。『沈黙』という作品はそれくらい、読者に深い傷を負わせる作品なのでしょう。

 ただし、それだけ凄まじい作品には、何かしら読み手をハッとさせる要素も含まれているようです。van_kさんはこの作品を読んで、支配者にとっての都合の良し悪しで物事の善悪が決まり、都合の悪いものは徹底的に潰すという世の中のあり方に、強い危機感を覚えたと言います。そしてそれは、次に紹介する作品にも関係するテーマだったようです。

◆9.『一九八四年』(ジョージ・オーウェル)

 引き続き、van_kさんから紹介された本。以前にもこの読書会で紹介されたことのあるSFの古典とも言うべき作品です。

 この作品で描かれているのは、情報統制・思想統制の進んだ社会です。支配者にとって都合の良いものだけが残り、都合の悪いものは排除される、そんな社会の問題が直接的に扱われているわけです。

 今回の紹介では、言葉の統制ということが話題になりました。『一九八四年』の中では、微妙なニュアンスを伝えるため数多くある言葉を、「良い」「悪い」「正しい」「おかしい」などの単純な言葉に統一し、残りの言葉を廃止するという言語政策が行われています。言葉を減らすことは、語りうる内容を制限するということです。それはやがて、支配者にとって都合の良い思想しか描けないというところに帰結します。

 van_kさんが言葉の問題に焦点を当てたのは、それが現実に成り立ちうること、なんとなれば今既に始まっているかもしれないことだと感じたからだそうです。確かに、昨今、世界を敵と味方に二分して、敵を容赦なくバッシングするという単純な論法が目立つようになったという印象があります。そのような現実の問題を考えるうえで、『一九八四年』は良い参照点になるようです。今の社会に通じる問題を鋭く描いているだけに、読んでいて重くしんどい気分になるのは避けられないかもしれませんが、考えること、得るものも多い作品なのかもしれません。

     ◇

 以上、3月12日の読書会で紹介された8冊の本と1本の映画について書いてきました。少しでも気になる作品がありましたら幸いです。

 ところで、ここまで書いてきて思うのですが、今回の本紹介はいつもより文章が長めになっている気がします。これは僕の作風の変化によるものではなく、実際に本の紹介やその後のトークで交わされた言葉の多さを反映したものだと思います。読書会当日のうちにレポートを書き上げていたしゅろさんも、今回の読書会はいつも以上に盛り上がっていたと記しています。

 それは1つには、それぞれの本の良さと、好みじゃない理由という2つの内容をより込まなければならなかったためでしょう。しかし、それ以上に大きいのは、「好きな作品」「良い作品」と言い切るのをためらわせるモヤモヤしたものを正直に吐き出せたことで、ものの魅力をアピールする時に生じがちな、ぎこちない身構えが解けたことではないかと思います。

 「よくないところもあるけど、やっぱりイイんだよ」——「けど」を挟むことで滲み出る本音や人間臭さが、今回の読書会をいっそう面白いものにしたのかなと、これを書きながら改めて思いました。思い付きで掲げたテーマが思いがけない結果を生んだことに、単純人間の僕がまたしてもニンマリしていることは、言うまでもありますまい。

 ちなみに、来月の読書会もテーマ付きの本紹介になる予定です。テーマは〈好きだけど人に紹介しづらい本〉。全員今回で味を占めたのか、またしても「けど」を挟むテーマになりました。一体どんな展開になるのか、それは来月のお楽しみといたしましょう。

 それでは、今回はこれにて!

(第135回 3月16日)

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