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『もこ もこもこ』課題本哲学カフェ振り返り・その①

 今回は5月13日(土)の夜に参加した哲学カフェの話をしよう。この日の哲学カフェは、テーマを決めて参加者同士で話し合うといういつものスタイルではなく、課題本を読んで集まり、その内容について話し合うというスタイルであった。

 課題本に選ばれたのは、『もこ もこもこ』という絵本である。

 この絵本は1977年に刊行されたものであるが、今でも本屋で普通に見かけるというロングセラー本である。僕が5月の初めに買った時には、ちょうど150万部を突破した頃だったらしく、作中の絵をあしらったミニタオルが特典で付いてきた。

 本の内容は次のようなものだ。——「しーん」と静まり返った大地に「もこ」が生まれる。「もこ」が大きくなる頃、今度は「にょき」が生まれてくる。だが、「にょき」は「もこ」に「ぱく」と食べられてしまう。やがて、巨大化した「もこ」から赤い丸が「ぽろり」と落ちる。落ちた丸はだんだん大きくなり、「ぎらぎら」しだす。そしてある時、「もこ」と「ぎらぎら」は「ぱちん」と弾けてしまう。大地には「ふんわふんわ」したものが漂い、再び静寂が訪れる。そして最後に、再び「もこ」が現れる。——実際の絵本では、抽象的な絵と、短いオノマトペだけで、これらのことが表現されている。

 実はこの本については、作者の谷川俊太郎さん自身による朗読動画が存在する。しかもユーチューブで見ることができる(それもたった2分で!)。本の中身も紹介されているので、気になる方はとにかくこちらをご覧いただきたい。

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 ここまで課題本の内容を紹介してきたが、皆さんの中にはこう思っている方もいるのではないだろうか。

「そんな文字数の少ない本で、果たして哲学カフェなんてできるのか」

「何が言いたい本なのかよくわからないようだけど、一体どうやって話し合うのか」

 哲学カフェのメンバーも、会が始まるまでは同じようなことを言っていた。「これで話ができるのか」「時間が持つのか」「本当に大丈夫なのか」かつてないほどの不安の声が上がる。

 実を言うと、『もこ もこもこ』を課題本に推したのは僕だった。もっとも、僕もこの本で哲学カフェができるという自信があったわけではない。友だちと本屋でこの本を見かけた時に、「子どもの頃はよくわからないままに面白いと思ってたけど、大人になるとどんな風に感じるんだろうね」という話になり、「じゃあ今度試してみる」と言ったので、推してみたというだけだった。要するに、賭けに出たのである。

 僕自身、本を読んだ時点では、何を話せるのか見当もつかなかった。それに加えて先の風当たりの強さである。始まる前、僕の心は若干折れかけていた。

 ところが哲学カフェが始まると、意外や意外、話はどんどん盛り上がっていった。気付いた時には、僕らは時計を見るのも忘れ、あわや途中休憩を取り損ねそうになるくらい、夢中になって『もこ もこもこ』について話し合っていた。

 一体何が起きたのか。いよいよ、哲学カフェ本編の話に入っていこう。

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 哲学カフェが始まってから暫くの間は、話し合いは手探りの状態で進んでいた。僕らはとりあえず、本全体から受けた印象や、この後話し合いたいことなどを、ぽつぽつと喋っていた。

「最後に『もこ』が生まれるところで、また最初に話が戻って、同じことが繰り返されるのかなと思いました」

「『もこもこもこ』じゃなくて、『もこ もこもこ』っていうタイトルになっているのはどうしてだろう」

「絵で使われている色の変化にも、起承転結が表れていると感じました」

「小さい子どもに読み聞かせることを想定して、非常に言葉を少なくし、話の内容を自由に想像できるようにしているのかなと思いました」

「読み聞かせに関連して言うと、使われている言葉の音の響きにも注目したい」

「『もこもこ』はエネルギッシュなのに対して、『にょき』は周りの様子をうかがっているように感じる。そんな『にょき』が『もこもこ』に食べられてしまうのは、弱肉強食っていう感じがする」——

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 そんな取り留めもない話が続いた後、〈この本に書かれていたことは結局何だったのか〉ということを巡る話が始まった。

 きっかけとなったのは、「『もこもこ』からぽろりとこぼれ落ちた赤い丸は種で、新しい世界の誕生を表しているのかなと思いました」という発言だった。

 これに続けて、次のような発言があった。

「僕は、赤い丸は排泄物なのかなと思いました。それがだんだん大きくなって、『もこもこ』という元あった世界を弾けさせてしまう。ごみが世界を滅ぼすっていうところで、地球環境問題を連想しました」

 この発言を受けて、参加者たちはざわついた。「そんな壮大な話だったんですか!」と驚くメンバーもいれば、「確かにそうかもしれない」と考え込むメンバーもいた。ちなみに僕は前者であった。

 『もこ もこもこ』が地球環境問題を扱った話なのかはともかく、次の3点は多くの参加者が感じ取っていたのではないかと思う。すなわち、①「もこ」という強い者が、「にょき」という弱い者を食い潰してしまう話であるということ、②強者である「もこ」が、自らからこぼれ落ちた「ぎらぎら」によって滅ぼされてしまう話であるということ、③その後新たな「もこ」が生まれるということである。

 僕は手元のメモに「猛き者も遂には滅びぬ」と書き残している。どんなに強い者も永遠に生き長らえることはないということが、シンプルな絵と少ない言葉からなる絵本に込められているというのは、それだけで衝撃的なことだった。

 メンバーの多くは「輪廻転生」をいう言葉を口にしていた。ひとつのものが生まれ、滅び、また新たなものが誕生する。それは確かに生の連なりを感じさせるものであろう。

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 ここで1つの疑問が生まれる。では、最後に誕生した「もこ」も、それまで描かれていた「もこ」と同じような運命を辿るのだろうか。

 すると、ある参加者が言った。

「本を大きく見開いた時、ずっと描かれている『もこ』は左側のページにありますけど、最後の『もこ』は右側のページにありますよね」

「ほんとだ!」という声が数人から上がった。

「ということは、物語は完全にループしているわけではなくて、最後のところで少しずれているということかもしれませんね」という声も上がった。

 一般に「ループもの」と言われる作品においては、ループ中に生じた僅かなズレをきっかけに、新しい運命が開かれることがある。だとすると、最後に生まれた「もこ」は、最初の「もこ」のような過ちを犯し、自滅の道を辿ることはないのかもしれない——

 この辺りから、僕らは本の細かい部分に注目し、そこからどんな印象を受けるかについて話し合うようになった。

     ◇

 ここで、僕は1つ恥ずかしい話を打ち明けた。

「実は朗読動画を見るまで、最後のページの『もこ』に気付いてなかったんです」

 他のメンバーは最後の「もこ」まで見て、輪廻転生や話のループということを最初から考えていたらしい。ところが、そこに思いを巡らすための大事なポイントを、僕はずっと見落としていたのである。

 当初僕にとって『もこ もこもこ』は、「しーん」で始まり「しーん」で終わる絵本だった。途中で何やら壮大なことが起こっているけれども、結局のところ何事もなかったかのように元の無に帰していく。そんな展開にゾクッとしていた。しかし、「もこ」があったとなると、話の印象はガラッと変わってしまう。哲学カフェが始まった時、僕はその印象の変化を前に混乱したままだった。

 そんな情けない白状をした僕だったが、この後ある事実に気付く。

「今わかったんですけど、本のカバーをかけると、最後の『もこ』が隠れるんです——!」

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 僕が自らの「発見」を口にした時、何人かのメンバーはきょとんとしていた。ややあって「どういうことですか?」という言葉が返ってきた。

 そこで初めてわかったのだが、この日集まった7人のメンバーの中には、『もこ もこもこ』を図書館で借りたり、古本屋で買ったりしていて、最初から表紙カバーのない状態で手にしていた人が何人かいたのだ。

 新刊を買ったメンバーが、最後の「もこ」が隠れるところをZoomの画面に映す。すると、「ほんとだ! すごい!」という歓声が上がった。

 つまり、実はこの哲学カフェには、①カバーで隠れた「もこ」を見落とした人、②カバーはあったけれど「もこ」を見逃さなかった人、③そもそもカバーで「もこ」が隠れることを知りようもなかった人という、3種類の人間が集まっていたのである。同じ本を読んでいるはずなのに、見ているものが全然違う。それは本当に新鮮な体験だった。

     ◇

 最後の「もこ」がカバーで隠れることを巡って、メンバーは色んなことを言い合った。

 あるメンバーは「そんな大事な部分が隠れるようにするなんて、本の作りとしてどうなの?」という疑問を寄せていた。内容の解釈に関わる重要な情報は、全て明らかにしておくべきではないか、と感じたようである。

 これに対して、ある参加者は「そこに気付けるかどうかによって解釈が分かれるところも含めて、作者は狙って作ってるんじゃないでしょうか」と返事していた。そもそも『もこ もこもこ』は抽象度が高く、様々に解釈できる作品である。正しい解釈があるわけではなく、むしろ、何にどこまで気付けるかによって見方が変わる面白さを味わって欲しい。そんな思いを込めて作られていると考える方が、確かに当たっている気がした。

 「最後の『もこ』は、映画でいうクレジットの後のパートみたいですね」という発言もあった。実際、『もこ もこもこ』の裏書きは、「もこ」が描かれた最後の見開きの左ページに書かれている。スタッフロールが流れても席を立たず、最後まで残っていた人だけが見ることのできるシーンと、確かに通じるものがあった。

 また、「子どもはこういう仕掛け好きですよね」という発言もあった。うっかり忘れてしまっていたが、『もこ もこもこ』は元々小さい子向けの絵本なのである。絵本を読んだ子どもが、パッとカバーをめくってみて、そこに話の続きがあったと知った時の喜びはどれほどのものだろう。それを思うと、この本は本当によくできていると感じた。「その仕掛けを1970年代に思い付いているのが凄い」と話した参加者もいた。

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 このように夢中になって話すうち、いつの間にか1時間が経過していた。「うわっ」という驚きの声が上がる。その声すらも、どこか跳ねる調子を帯びているように、僕には聞こえた。

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 『もこ もこもこ』課題本哲学カフェ、前半戦の様子を振り返ってきました。最初はどうなることかと思われた話し合いが徐々に盛り上がり、白熱していく様子、感じていただけましたでしょうか。今回は僕も書いているうちに楽しくなってきて、どんどん筆が乗っていく感覚がありました。もしかしたら、この日の話し合いで一番印象に残っているのは、この前半戦における予期せぬ盛り上がりだったのかもしれません。

 さて、哲学カフェの振り返りは後半戦に続きます。後半戦も、絵本の内容に関わる新たな発見の連続でした。Zoom越しに、食い入るように絵本を見るめる大人たちのお話、ぜひ最後まで見に来てください!

(第159回 5月18日)


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