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みんな違ってみんな好き

こんにちは、えりさです。

物心ついてから三十路あたりまで、
恋に恋する乙女であった自覚があります。

大好きだったし、
愛していたし、
でも、
それってなんだったのだろう。

高校一年生の頃からずっと彼氏がいました。
いない期間は、合わせても一年あるかどうか、、。

常に誰かに恋していました。

恋の終わりが近づいたのを感じてさみしい気持ちになると、新たな誰かに心をときめかせて、そして恋を終わらせ次の恋へ。



途中浮気をされたりもしましたが、、

5年付き合って、2年婚姻期間がありました。
大恋愛の末に結婚し、世間一般でいう幸せになったと思えた20代後半。

元夫の精神疾患に苦しめられるも、周りに支えられて気丈に振る舞った2年間。

元夫は、わりとイケメンで背も高く、音楽も食事も旅行も、全部共有できた人。
ただ真っ直ぐに大好きだったな。
それでも結局別れてしまった。
生活能力と甲斐性のなさに、私の恋は潰れてしまった。

離婚を経て、わたしは
恋の出涸らしになってしまった。


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少し話を展開して…

わたしは今、本当の意味でのNTRを楽しむことが出来るのだろうか。



私にとって好みのNTRの定義は、

大好きなパートナーがいるのに、他の人とも楽しく遊んでしまうこと。
比較して愉しんで、やり直しセックスを尊く感じるもの。



…わたしが夫に求めた条件を端的に言うと【性生活自由な子育て】に特化したもの。あれれ。

もちろん、好きのバイアスをかけて夫と結婚した。

好きのバイアスを、わざわざかけたのだ。


諦めたのだ。
恋の末に結ばれる様な、甘い妄想は。
目的のために家族を作った。
今回の再婚は、それだけなの。


だから楽しくNTRが、遂行できているかというと、実はうまくいっていない。

なんだかごめんなさい。


馬鹿正直なわたしは、夫に最近「好き」「愛してる」を本気で言えなくなった。せっかく結婚しているのに申し訳なく思う。

というより、わからなくなってしまい、どうも気持ちを乗せられない。


出涸らしの私には、フレッシュな感情が湧き出でない。
もともと好きが主体で繋げた関係じゃないことが、今になって私をしっとり苦しめる。


自業自得だね。


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私には、好きな人がたくさんいる。
私を応援して可愛がってくれる人達はみんな好き。
みんなに個性があって、それぞれが、みんな違ってみんな好き。


好きって独占欲だ。

そんな独りよがりな好きという感情で、好きな人の自由を奪ったり、逆にわたしの自由を奪われることは…もう嫌だ。
そういう思考になってしまった。
離婚の後遺症だ。



その末の再婚。
しかも子育てが目的。
我ながら酷い話だと思う。


結婚なんて昔からそんなものだ。
家同士の結びつきのために当人達の意思は関係なく行われた時代だってあるのだと知っている。

いっそ、恋愛で繋がらない相手が夫の方が都合がいいのかもしれない。
そう自分に言い聞かせて、日々の幸せを受け入れています。


難しく考えず、NTRはその時のパートナーと愉しむのが現実的なのかしら。

夫は遊びに理解はあっても、それを好むわけじゃないから、私の遊びには巻き込めない。

正規のNTRは成立し得ない。

それでもいいじゃないか
いま幸せだから。



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私の「好き」には
いつでも翼を授けたい。

しかし【あなたと一生添い遂げます】なんて尊い宣言は、いまの私には誰を相手にしても出来ないのであった。
だから、したたかでもいいから、今の幸せを手放すことはしない。


恋で人生を壊さない、大人でいたい。



嗚呼でもどうか、、

みんなが大好きなままで、どうか居させてください。

神様なんていないのに、、。
そうやって誰かに許されたいだけの戯言だね。


えりさ

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