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【日本国記】 第二章   土方水月


【日本国記】 第二章 3・日本とは世界で最も特殊な国である ―古くて新しい― 土方水月  



 つづき


 アフリカのエジプトギザのピラミッドは古代エジプト第4王朝クフ王のものといわれる。紀元前2551年頃から20年以上の歳月をかけて造られたという。アジアの中国でいえば、紀元前2,070年頃できた中国最初の王朝といわれる夏王朝よりも前であり、遼河文明(紀元前6,200年頃~)の紅山文化(紀元前4,700年~2,900年)の後であり、黄河文明(紀元前5,000年頃~)の仰韶文化(紀元前5,000年~2,700年)や長江文明(紀元前8,000年以前~)の馬家浜文化や河姆渡文化(紀元前5,000年~4,000年)や大渓文化(紀元前4,000年~3,000年)の後の時期である。


 多分世界で認められている文明でいえば最も古いのは長江文明であり、その中流域の屈家嶺文化(紀元前3,000年~2,500年)や下流域の良渚文化(紀元前3,300年~2,200年)の時代であり、黄河文明でいえば二里頭文化の前の龍山文化(紀元前2,800年~2,000年)の時代である。この竜山文化の時代は五帝の時代でもあり、


 黄河文明の二里頭文化は夏王朝(紀元前2,070年頃~)の時代から始まり、夏は中国最初の王朝といわれてはいるが、長江上流域の古蜀文明(四川文明)も紀元前4,800年頃から始まったといわれる。三星堆遺跡(紀元前2,800年頃~800年)を創った四川文明(古蜀文明)の後期と思われる時代に縦目の王と呼ばれる初代蚕叢が建てた華陽があった。


 史記によれば三皇(伏羲、女媧、神農)のあとを継いだ五帝である黄帝(姫軒轅)、顓頊(有熊高陽)、堯(伊祁放勲)、舜(姚重華・有虞)、禹(姒文命)の最後の禹は黄河文明の流れの夏王朝初代である。長江文明の流れの華陽養叢も同時代ともいえる。

 これが養蚕を行う皇后の家系である。


 一方、スサノヲ(スサの王)は現在のイランであるアケメネス朝ペルシャのスサのキュロス王を祖とするともいわれる。キュロス王はユーフラテス川をせき止めるという古代からの治水の家系であり、これは偶然にも?禹の治水大禹漠と同じである。その長江でも使われたダム(ダモ)の方法により殺傷することなくバビロンを陥落させ、ユダヤ人のバビロン捕囚を解いたともいわれる。アダムの60代子孫でもあるユダヤ人イエスが厩戸で生まれたといわれ、キュロス王の子孫が聖徳太子(厩戸皇子)であるともいわれる。確かに聖徳太子の画はペルシャ人の装束である。


 これが天皇の家系であった。


 厩戸とは馬小屋ではなく、宿星(星座)の観測を行う馬宿のことであったといわれる。そしてイエスの子孫もキュロス王の子孫も古代日本にやって来ているという。ユダヤ人の子孫とユダヤ人を助けたペルシャ人の子孫も日本に来ているという不思議である。そのことは聖書にも書かれている。預言として。



 つづく


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