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“スゴイ日本”は、本当にスゴイのか?

今日、夕飯を食べながら点けっぱなしにしていたテレビに目をやると、「日本の“スゴイ技術”を外国人に見せて、彼らの反応を日本人タレント達がスタジオから眺めている」という趣旨の番組が流れていた。番組の画面右上に表示されていた小さなテロップは、「見よ!これが日本の技術力だ!」といった調子の文句を謳っていた。

いつからだろうか、私はこの手の趣向の番組を心の底からは楽しめなくなってしまった。たとえば、よくある形式をあげると、ウォシュレット型トイレを体験したことがない外国人に使ってもらい、その機能に興奮する姿とともに「日本って本当にクールだわ!」という吹き替え音声+字幕が流れ、ひな壇芸人がワイプ小窓の中で感慨深くうなずき、そして「やっぱり日本の技術はすごいですよね!」とスタジオの司会者締めくくるスタイルだ。

他にも、訪日外国人に対して「なぜ日本に来たの?」「日本のどこに魅力を感じているの?」「日本の好きなところは?」「日本と母国と比べてどう思う?」「日本人のことどう思う?」などととやかく質問したり、海外に出向いて日本食や日本発祥のモノを見つけては「日本ではもっとこうなんですよ」「日本のホンモノは全然違うんですよ」「これはヘンですよ」と、ご丁寧に教えてあげたりすることもある。

海外のテレビがどうかはあまりわからないが、日本のテレビはこういった趣旨の番組がけっこう好きなのかもなあと思いながら、私はよくプッツとチャンネルを変えてしまう。なぜかって?なぜなら、スタジオの芸能人と同じテンションで「やっぱり日本ってすごいんですね!」とは感じられず、“日本のスゴさ”を一緒になって楽しむことができない自分は国民としておかしいのだろうかと、なんだか居心地悪く感じてしまうからだ。

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こう感じるようになったきっかけは、2年前に大学を休学して行った約半年間のスペイン・バルセロナ留学がかなり大きく影響している。

ヨーロッパ留学というと、お洒落とかかっこいいとか、綺麗な街並みとか、そんなイメージを持つ人もいるかもしれない(実際にそう言われたことがあるから)。でも、実際は不便に感じることはたくさんあった。

たとえば前述したトイレを例にあげると、海外ではやはりウォシュレットは一般的ではない。ジャパニーズトイレについている様々な機能(音姫や自動で開く便器 etc.)は、私が知る限りでは見た記憶がない。便器を拭くための消毒液や、直接触れないようにするための紙カバーも、常にあるわけではなかった。トイレットペーパーを掛けるペーパーホルダーが無いトイレもあった(そばにある台やトイレタンクにぽんと置いてあったりした)。トイレは、ただシンプルにトイレであった。

スペインで過ごし始めたばかりの頃は、それらの違いが不便に感じた。1日くらいなら閉じ込められても住める程度(※個人差あり)には充実している日本のトイレで育った人間からすれば、当たり前のことだ。ウォシュレット機能を懐かしむ瞬間もしばしばあった。

しかし、しばらくすると、不便さはそこまで気にならなくなった。無いものは無いので不便もくそもない、"thas's it."だ。私は結構のんきなので、その不便さを逆に楽しんでいたりした。ペーパーホルダーを使わずにトイレットペーパーを巻き取る手付きや、汚い便座に触れることなく用を足す体勢がだんだん上手になる自分が、少し誇らしいくらいであった。

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海外にウォシュレットが無いのは、べつに「日本がすごく進んでいる」とか「海外は遅れている」とかではなく、「必要性が低いから存在しないだけなのでは?」と感じるようになった。べつに無いなら無いで、生きてはいける。タクシーのドアや電車のドアも日本のように自動では開かないので、みんな自分の手で開けているわけだが、その方法に慣れきっているので特段不便さは感じない。だから、“自動で開けたい”という願望がたまたま出てこなかっただけなのでは、と私は思っている。

日本は、“周囲への配慮や、細やかに行き届いた気配りが重視される文化”だと思う。そしてそれは同時に、“要求や要望の多い文化”という側面も持つ(それが良いとか悪いとかではなく、そういう文化なだけだ)。だから、要求や要望が多い分、それを満たすためのモノがたくさん生まれやすい文化なのだと、私は考えている。手を使わずにお尻をキレイにしたい、とかね。

(※ 以前、似たようなことをブログに書いたことがあるので、興味があればちらりと見てみてください↓)

例が長くなってしまったが、つまり、「無い」から遅れているとか、「ある」から進んでいるとは一概に言えなくて、単純に必要性が低いので「無い」だけかもしれないし、まあ本当に技術が遅れているのかもしれないし、真意はわからない。

しかし、AppleやGoogleが常に最先端技術で世界を驚かせたり、より優れた医療を求めて海を渡る人がいたりすることを考えると、世界的に見てウォシュレットを作ることは技術的にものすごく難しいわけではない気がする。

だから、ウォシュレットを使う外国人が発する「スゴイ」は、「こんなモノがあるとは驚き」とか「見たことない珍しいモノでびっくり」とか「こんな発想があるとは面白いな」という気持ちを前提とした「スゴイ」であって、必ずしも「日本の技術は他の国よりもスゴイ」とか「日本の文化は外国よりも優れている」という意味だけじゃないのではないか?と私は考えている。

そういうわけで、外国人を引き合いにして日本人が日本をとにかく褒めまくる“文明オナニー”みたいな表現方法が顕著な番組は、見ていてちょっと違和感を覚えてしまうので、私はいつもぶつくさ言いながら観ているわけだ。

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べつにYouが日本へ来る理由はあってもなくてもいいし、世界のどんな村に住んでたって構わないし、どこの国で妻になるのも自由だと思う。ただ、やたらと「日本はスゴイ」と褒めてもらって喜ぶわりには、ウォシュレットで喜んでくれた人の国の「スゴイところ」はあまり伝えてくれなかったりする。海外の人にだってお国自慢はあると思うし、ツッコミたくなる日本の不思議もたくさんあるだろう。海外のsushi rollにツッコミを入れるのも楽しいが、私はイタリア人がサ○ゼリアのメニューにツッコミを入れたり、台湾の人が味仙の台湾ラーメンを食したりする姿も、ぜひ見てみたい。

日本にいると、どうしても日本の文化に慣れた人々がたくさんいるので麻痺してしまいやすい。でも、多種多様な文化に揉まれたショックが少しでもあると、国や文化に対する視点が多少フラットになるし、優劣や良悪ではなくまずは単純に「違い」として物事を捉える意識が芽生える気がする。ま、これだから世界はおもしろいのだよね。

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