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2024年のスタートにあたって

年明け早々の能登半島地震で、多くの尊い生命が失われ、今なお支援の手が十分に行き届かぬまま、厳しい寒波が到来しています。お亡くなりになった方々のご冥福とともに、被災地の皆様の安全が一刻も早く確保され、心穏やかに過ごせる日々が戻ることを祈るばかりです。
そしてまた、救援活動やライフライン復旧に、直接間接問わず尽力されている皆様のことを思うと、頭が下がります。

個人的には幸いにして、これまで、大災害に直面することも、またそれらによって縁者知人を失うこともなく、58年生きてきました。しかし、日本で暮らしている以上、いつ自分が同様の事態に直面するかわかりません。
そのような時のために、いろいろな意味で、充実した今を生きることの重要性を感じています。


◆ 2024年はセカンドライフ元年に

3年半前に32年勤めた会社を早期退職して転職して京都へ移り住みました。今の勤務先では、わたしなどには過分なポジションとサラリーを得ています。地域のつながりも、少しずつ増えてきました。
しかしそろそろ、自分のセカンドキャリアとして考えている道へ、行動を起こすべき時期に来たと感じています。

今の仕事は、入社前の想像と違って、会計処理や出張処理などの事務仕事が大半。これも報酬の対価と割り切ってきましたが、テンションが上がらずストレスばかりが溜まり、しかも外様には居心地の悪さを感じることも多い仕事に、定年までさらに2年の時を費やすべきなのか。

同時に、京都には何か息苦しさを覚えるのです。湿度の高さ。狭い土地に密集する家並み。目に入るものの殆どが人工物。物価も安くはありません。

目標1 日本語教師としての第一歩を踏み出す

かつて東南アジアに駐在していた頃、公私にわたり、本当に多くの現地の方にお世話になりました。特にタイでは、大怪我で数ヶ月間の松葉杖生活を余儀なくされ、会社のスタッフ、アパートのスタッフだけでなく、近所の食堂やコンビニの店員、そのほか名も知らぬ多くの人々に助けて頂きました。
その恩返しと言っては大袈裟かもしれませんが、次は自分が、日本で暮らす外国人のために役立つことをしたい。
また、定年後も、非常勤やボランティアなどで、長く続けられることをしたい。できればまた海外で働ける機会を得られるならば、尚いい。
その思いから、日本語教師に関心を持ち、1年半ほどかけて文化庁指定の養成講座を修了したのが一昨年の冬のことでした。

その後、ボランティアなどで少し経験を積みたいと思いながら、平日は残業が多く、また休日は趣味に使いたいもので、時間がなくて実現に移せないまま、今に至っています。
そんなことをしているうちに、貴重な時間と授業料を費やして学んだことが徐々にフェードアウトしていき、検定試験の問題集を見ても泣きそうになるばかり。
多くの日本語学校が設けている応募資格は一応満たしているものの、自分はまだまだ日本語教師として歩み出せる準備は整っておらず、こんなわたしを採用してくれる学校があるのかも覚束ない。かといって、今のままでは目標の実現が遠のくばかり。

そこで、まずは養成講座で学んだことを総復習し、それをボランティアとして実践することから、一歩を踏み出そうと思います。
そして、9〜10月を目処に、転職を目指そうと考えています。

目標2 地方移住を実現する

大都市圏で日本語教師、という考えはなく、地方都市への移住を考えています。

もともと、京都に住みたくて今の職場を選んだわけではなく、内定を頂いたのがたまたま京都の企業だったということで、ここに永住するつもりはありませんでした。京都が嫌いなわけではないのですが、自分にはもっとのんびりした地方都市の方が性に合っているように思います。

また、少子高齢化の進行に伴い、地方では産業の担い手不足が深刻。その改善には、国内の人口移動だけでなく、海外の人材をもっと呼び込むことが欠かせません。しかし、地方へ行けば行くほど、生活者としての外国人をサポートする体制は弱く、日本語教育の人材も限られています。もともと信州の小さな町の出身であるわたしとしては、この状況に対してささやかでも何か役に立つことができないか、との思いがあります。

関東・関西ならば日本語学校の求人は多数ありますが、地方では限られています。住みたい土地と未経験者も受け入れてくれる日本語教師の求人が、うまくマッチするでしょうか。これも、情報収集を継続していく必要があります。

目標3 家計簿をつけ、堅実に暮らす

日本語教師は、経済的には決して恵まれない仕事。ましてやわたしのような駆け出しは、新卒社員並みの待遇と心得ておく必要があります。今と比べれば、収入は半減どころではなく、6割以上減るでしょう。
しかし収入に縛られていたら、一歩を踏み出すことはできません。いずれにしても60歳定年を迎えたら、今の職場での定年再雇用は求めないと決めていました。その時期を一年半ほど前倒しするだけ、と割り切って考えるつもりです。
幸い、前職の割増退職金などで老後資金は確保できていますし、埼玉の自宅の賃貸収入もあります。「金は何とかなる」と腹を括るしかないでしょう。

ただ、今のようなどんぶり勘定の家計では、早晩キャッシュ不足に陥り、老後資金に手をつけざるを得なくなるのは目に見えています。まずは家計を「見える化」すること。特に、見て見ぬふりをしているキャッシュレス決済による支出を適切に把握すること。
次に、転職後の収入を想定した支出計画を立てて実践すること。
そのためには、大好きな旅行も少しセーブしなければならないでしょう。その時間を、日本語教師としての準備に充てていきたいと思います。

目標4 資産運用を見直す

もっとも、倹約ばかりの生活も淋しいもの。
今、手持ちの金融資産は、普通預金以外は老後に備えた長期運用をしていますが、余裕資金は少し短期的な小銭稼ぎを意図した運用にしてみたいと思います。とはいえ、そんなに余裕があるわけじゃないので、配当性向の高い株式への投資を増やして、石垣島ダイビング1回分くらい稼ごう、という程度の算段ではあります。

目標5 新しい土地の生き方を確立する

…と見出しを立てて、新しい土地以前に、今の土地ではどうなんだ、と考えてしまいました。仕事を通じた自治体や経済団体とのかかわり、また自転車を通じた交流など、少しずつですが地域の結びつきもできました。この先限られた時間であっても、この人たちと強い絆を結び、末長いお付き合いをしていきたい。身元引受人になっているウクライナ避難者の家族のために、経済支援から自立支援へと、自分の立ち位置も見直しながら関わっていきたい。一緒に日本語教師の勉強をした仲間たちとのご縁も大切にしたい。その上で、新たな土地へ旅立っていきたいと思います。

noteを始めてから約1年、11千件強のアクセスと、1297件のスキを頂きました。
わたしの駄文にお付き合い下さった皆様、本当にありがとうございます。皆様の記事も、楽しく読ませて頂いております。今年もよろしくお願い申し上げます。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
わたしは、2020年に勤務先を早期退職した後、関東から京都へ移住しました。noteでは、ロードバイクで北海道一周した記録や、もう一つの趣味であるスキューバダイビング旅行の記録、ブロンプトンと行く地方都市とローカル線の旅、そのほかの自転車旅や海外旅行の記録なども綴っています。宜しければこちらもご覧頂ければ幸いです。




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