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北国の空の下 ー 週末利用、自転車で北海道一周【45】15日目 白糠〜厚内② 2016年11月5日

氷点下の白糠駅前。みぞれ混じりの雪が降り続いています。ただ幸いなことに、積雪は案じたほどではありません。
駅に隣接してバスターミナルがあり、その前にある時間無制限・無料のだだっ広い町営駐車場に、空港で借りたインプレッサを停めました。

▲ 本日のルート

◆ 完全防備で雪景色の中へ

雪は激しさを増し、寒さが身に沁みてきます。車内で、厳寒期対応の完全防備に着替えました。
アウトドア用の長袖アンダー。氷点下10度まで対応できるというPisseiの裏側起毛ジャージー。ダウンベスト。さらにその上から、nari furiのプルブレーカー。
下半身は、裏側起毛のライディングタイツの上から、ニッカーとハイソックスを重ね着。
PEDALEDのスニーカーの上から、モンベルのネオプレーンのシューズカバー。
グローブも厳冬期用。

頭にはゴアテックスのフードをかぶりました。

ヘルメットは、「週末北海道一周」の旅では札幌スタートからずっと、カスクの「モヒート」を愛用していたのですが、先日の落車で私の身代わりになり、割れてしまいました。
今回は、新調したばかりの、同じくカスクの「バーティゴ」を持参。

私の場合、頭が大きい上に形も少々いびつなので、フィット感の良いヘルメットが限られてしまいます。色々試してみたが、カスクの製品が最も馴染む感じ。ヘルメットも靴と同じで、デザインや値段よりも、自分に合う木型(?)を持っているメーカーを見つけ、そのメーカーのラインナップの中から選んでいくと、長く使える製品に出会えると思います。

着替えを終え、さて、MTBを輪行バッグから出して組み立てにかかったのですが、ディスクブレーキパッドにスペーサーを挟み忘れていたため、パッドが閉じてしまってディスクが入りません。輪行経験が少ないバイクだと、往々にしてこういうチョンボが発生します。マイナスドライバーを使ってちょっと乱暴にスペースを空け、ホイールを取り付けましたが、だいぶ時間をロスしてしまいました。

そうこうしているうち、釧路方面から入線して来るディーゼル車の汽笛が聞こえてきました。最初の計画では、釧路空港に近い大楽毛から、この普通列車に乗って白糠まで来る予定でした。ダイヤ通り運行されているなら、もう10時55分頃ということになります。
自動販売機を探してバスの待合室に入ると、老人が数人、暖かな待合室で談笑していました。

走り出すと、唯一露出している目の周りに、冷たい雪が吹き付けてきました。

白糠町は人口8千人とそこそこの規模の町で、特急列車も停車します。駅前にはサツドラがあり、国道沿いにはコープさっぽろもありますが、広い駐車場はガランとしています。
雪は間断なく舞い落ちて来ますが、積もる気配はありません。スパイクタイヤのピンがアスファルト路面を唸りを上げて削っていきます。根雪やアイスバーンでは頼もしい存在なのですが、この路面では煩わしく感じられます。
小規模な市街地を抜けて、橋を渡りました。車道は湿っているだけですが、歩道は足跡一つない純白の雪に覆われています。せっかくなので、こちらを走ってみました。
結果的に、この日のルートでスパイクタイヤが性能を発揮する機会があったのは、この橋の上と、直別の先の低い尾根越えで日陰がアイスバーンになっていた短い区間のみでありました。

◆ 初冬の湿原を往く

町を抜けると、寂寞とした沼地が広がりました。その中を国道が一直線に伸びています。
沼地は、人の身長ほどもあるヨシに埋め尽くされています。ヨシの背の高さがどれもほぼ同じなので、竹穂垣の間を走っているよう。上空から見たならば、収穫を終えた牧草地に見えるかもしれません。

この国道は、釧路と帯広を結ぶ動脈なので、大型車が間断なく走っています。道幅が広いので危険は感じませんが、追い抜かれるたびに泥混じりの水しぶきを浴びせられました。

▲ ヨシの原が広がる湿原帯

その先、低い丘陵を越えます。坂を登りきったところにラーメン屋があって、トラックが何台も停まっていました。格別の店には見えないのですが、ドライバー達には知られた店なのでしょうか。この沿線に外食産業自体が極めて少ないためかもしれませんが。

こんな寒々しい天候なので私も心惹かれましたが、先日の人間ドッグで、中性脂肪223mgというとんでもない数値が出てしまったので、ここは我慢。このところ頚椎ヘルニアなどで極端な運動不足だったせいもあってか、総コレステロールから何から、一昨年のひどい値に戻ってしまっているのです。
運動不足解消だけでなく、食べる量もバランスも気をつけないと、本当にやばい。

丘陵を越え、直線的な坂道を下って行くと、眼下は左に砂浜、右に馬主来沼の眺望が広がりました。馬主が来るとは面白い当て字だと思いますが、これは「パシクル」と読み、アイヌ語でカラスを意味する「パシリクル」が由来だそう。

▲ 馬主来沼①
▲ 馬主来沼②

この沼地の北縁を根室本線が走っており、5月に来た時、ディーゼル車の車窓から雨に煙る湿地帯を眺めたものです。この辺りについて、鉄道紀行作家の宮脇俊三氏が「戦場ヶ原を上回る景色を車窓から見ることができる」と述べていますが、あながち誇張ではないと思いました。
馬主来沼は、海と繋がったり切り離されたりを繰り返しているとのこと。元々は海跡湖でしたが、砂丘によって海から完全に切り離されました。しかし雪解けの時期になると、沼の水位が上がり、砂丘が切れて海と繋がることがあるのだそうです。その後、太平洋の荒波によって運ばれた砂が再び堆積し、海と切り離される、ということを繰り返しているらしい。 

▼ こちらを参考にさせて頂きました。

海は鈍色。丘陵の木々はうっすらと雪化粧。沼沢地も枯れ草色。沼のほとりに廃屋が何軒か。
この辺は、こんな天気の日ではなく、よく晴れた早朝に走りたかった、と思います。 

◆ 音別

馬主来沼からもう一上りし、緩やかな坂を下ると、音別川に差し掛かりました。橋のたもとに、とっくに通り過ぎたはずの「釧路市」という行政区界の標識が出ていて、一瞬違和感を覚えます。
これは平成の大合併で、当初合併協議に参加していた白糠町が住民投票の結果離脱し、旧音別町が釧路市の飛地として合併したたためです。

釧路市と周辺市町村の合併といえば、釧路市と「釧路町」の因縁が、何とも興味をそそります。明治時代に現在の釧路市が、当時存在した「区」という行政単位に昇格する基準を満たすため、人口密度の低い現在の釧路町のエリアを切り離したことが全ての発端。その後、釧路町が合併を申し入れても、けんもほろろの対応をしてきたとのこと。
ところがその後、釧路市は水産業や炭鉱が衰退、対する釧路町はロードサイド型商業施設が集積するベッドタウンとして成長し、現在は人口2万人を数えます。
釧路市の中心市街地は、釧路町の商業施設増加によってシャッター街と成り果てました。
そして、平成の大合併。今度は釧路市から釧路町に対して合併協議を申入れたものの、釧路町側が断ったとのこと。
何だか、弱いものいじめをするとどうなってしまうのかという、教訓めいた歴史と感じられます。

国道沿いに「大塚食品」の看板を掲げた工場がありました。おや、ボンカレーの大塚食品か、と思い、調べてみるとまさにその通り。ここでは主に飲料を製造しているよう。グループの中核企業である大塚製薬の工場も、ここ音別にあるといいます。大企業の工場の立地としては意外な気がしました。

音別には、かつては尺別炭鉱もあり、人口は1万人を数えました。その名残でしょうか、旧町内の駅は、音別、尺別、直別と、道東としては珍しく概ね3~4キロ間隔で設置されています。今回、天候や体調の不安を押してやって来たのは、この辺の駅間が短く、いざとなれば容易に輪行に逃避できる安心感もありました。
そんな音別にも過疎化の波は容赦なく押し寄せ、今では旧町域の人口は2千人を下回っています。

この先、食料を補給できるポイントはなさそうなので、コンビニで小休止。ホットショーケースの唐揚げについつい食指が動きますが、夜までは脂質と糖分抜きを誓っているので、おむすびとお茶を買い、軒先で腹ごしらえ。
雪は積もるほどではないが間断なく舞い落ちてきます。走っていると代謝が上がって肌は汗ばんでくるほどなのに、フードと手袋をとると、湿った寒気が肌を刺しました。
さらに、足元からジンジンと凍れてきたので、休憩はそこそこに先を急ぎます。

間もなく市街地は尽き、再び湿原と低い丘陵が交互に現れる道を走り、気がつけば左手に無人の直別駅が現れました。駅のそばには、店仕舞いしたライダーハウスがただ一軒、みぞれ混じりの雪に濡れていました。

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ここまでお読み頂き、ありがとうございました。この先、道は寂寞とした海岸線へ…早く温泉に浸かりたい。よろしければ続きもご笑覧下さい。

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