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【68】北国の空の下 ー 週末利用、自転車で北海道一周 23日目 森〜恵山岬② 2017年11月4日

初冬の渡島半島を森から恵山へと走っています。朝から強い北風に背を押され、南茅部の臼尻漁港まで来ました。昼食のあとは引きつづき豪快な海岸線を南下していきます。

▼「週末北海道一周」のここまでの記録はこちらです。よろしければご笑覧ください。

◆ 南茅部を走る

臼尻漁港近くの寿司屋でちらし寿司を食べ、コーヒーを飲んで十分に休憩を取り、出発。ほどなく黒鷲崎に到着しました。北風がますます強くなって轟々と暴れはじめ、波も高くなってきました。わずかな小休止の最中も、注意していないと、自転車が吹き飛ばされそう。
立派な石碑が建っていて「北海道建網大謀網漁業発祥の地」と刻まれています。何ともしかつめらしい名称ですが、建網大謀網とは大規模な定置網漁のことで、1839年、北海道では初めてこの地で行われたそうです。

▲ 黒鷲岬

▼ こちらを参考にさせて頂きました。

なおもしばらく、海岸に細長く集落が続き、こぢんまりした漁港が次々に現れます。このあたりは、いまでは函館市の一部ですが、元々は南茅部町として独立した行政区でした。


後日、年末年始に信州へ帰省した際「信濃毎日新聞」2018年1月3日朝刊の一面トップに「旧町村部人口10.4%減」という大見出しに続き、次のような記事が掲載されていました。

•「平成の大合併」で周辺市部に統合された長野県の旧町村部では、2007年以降10年間で、人口減少率が10.5%に上った。
・同期間の長野県全体の人口減少率は4.8%。合併せず現存する町村部では8.5%。合併された町村部はこれらを上回る減少率である。
・要因として、合併によって市街地への移住に対する抵抗感が薄らぎ、特に子どもの教育のことを考えて移住する人が増えていること、また行政機能の集約によって役場の職員などが大幅に減少したこと、などが挙げられる。

わたしがこの「週末北海道一周ライド」をはじめた初日に、学生時代に何度も訪れていた旧・浜益村を通った際、地域社会の営みの火がとても小さくなってしまった印象を受けたものです。その感覚は、その後走ってきた多くの町でも共通するものでした。
もし、北海道で同様の統計をとったならば、長野県以上に市街地への人口集中傾向が顕著に現れることでしょう。

わたしには地域行政について自説を語れるような知見はないけれど、少子高齢化で税収が先細る社会で健全な財政を維持するには、多くの自治体が個別に同じような機能を抱えるのではなく、市町村合併で行政組織を効率化せねばならないのはよくわかります。
高齢者が暮らしやすい街づくりには、都市機能を一定地域に集約するコンパクトシティ化も欠かせないでしょう。
一方で、統合された側の旧町村が求心力を失い、高齢化や人口流出によって小商圏を相手にした商店や飲食店が存立できなくなり、ますます地域の賑わいが失われる。日常生活は不便さを増し、人口流出がさらに加速する。旧町村部は、厳しい負のスパイラルに直面していますし、この流れに棹さすのは容易ではないことでしょう。

この旧南茅部町も同様の課題を抱えていることでしょう。しかし、これまで走ってきた地域に比べて、漁港周辺には比較的若い働き手の姿がみられ、海に沿って細長く伸びる街並みも、人影こそ多くはないが、これまで走ってきた町の中では人の営みの気配の濃さを感じました。
この地は国内最高級と言われる昆布が採れ、また健康食として注目されているガゴメ昆布の産地でもあるなど、付加価値のある地場産品を有することが、なにがしか貢献しているのでしょうか。

さらに余談ながら、この旅に出かけた当時、南茅部に関する情報をネット上で探していたら、南茅部高校野球部に関する記事を見つけました。選手たちは、朝3時から昆布漁を手伝い、その後、夏の甲子園を目指す試合に臨んだそう。
試合は大敗したようですが、今でもこのような高校球児たちがいるのだなあ、と思い、心から応援したくなりました。

◆ 椴法華への道

やがて集落は途切れ、その先、地勢は次第に険しくなっていきました。僅かな平地に小さな漁村が断続的に現れます。集落のすぐ裏側で、絶壁から滝が落下して音を立てている場所もあります。

▲ 南茅部から椴法華への海岸線

シェルターも増えてきました。
豪快な海岸線の眺めは素晴らしく、交通量が少ないので最果て感も強い。路面は荒れていますが、車線の真ん中を走ってもさほど危険がないのもよい。
それにしても、ますます風が強くなり、のっぴきならぬことになってきました。概ね追い風だから良いのだけれど、仮に向かい風だったら、フロントをローに入れ、下ハンドル持ちっ放しでないと走れないレベルです。
断崖から垂直に落下する滝も、途中で水流が風に吹き飛ばされてしまい、まるで空中で滝が消えているよう。
海もすっかり冬の様相に姿を変えました。深い紺青色の水面に無数の三角波が泡立っています。

地図を見ると、この先、やや長いトンネルが二つ連続しています。このような強風の日は、トンネル少しホッとできる区間でもあります。
最初のトンネルは、あまり新しあものではなく、路側帯もない断面の小さなトンネル。何箇所か海に向かって横坑が穿たれ、光が見えています。
次のトンネルは、銚子岬の付け根を貫く1437メートルの長いトンネル。路面状態は良く、自動車も来ません。まずまず快適に駆け抜けました。
トンネルを抜けると、そこは静かな入江。
眼前にドーム状の海向山と、道南の活火山・恵山の赤い頂が全容を現しました。

▲ 椴法華から恵山をのぞむ

恵山は標高 618メートルに過ぎませんが、海抜ゼロメートルから見上げると結構迫力があります。渡島半島の南東端に突き出すような形で、元は海底火山だったのが溶岩を噴出しながら隆起し、やがて本土と地続きになったのか、と想像したくなります。
語源はアイヌ語の「イエサン」、火を吹き溶岩が流れ落ちる、という意味で、19世紀には火砕流を伴う水蒸気爆発を起こし、麓では死者も出たとのこと。

それにしても、ここまでの強風と三角波が嘘のような静寂に満ちています。銚子岬が北西の風を防いでくれるためでしょう。
ここは旧椴法華村の中心部。南北は険阻な半島、前は海、背後は活火山という陸の孤島。今でも外界から隔絶された漁村の印象がありますが、遠浅で、また北側の銚子岬の影響でグーフィーと呼ばれる特徴的な波もあらわれるため、サーファーには知られたエリアだそう。

険路を抜けてホッとして気分とあいまって、この場所の静けさがとても心地よく感じられます。数台の車が止まっている海岸沿いの駐車場でしばし脚を休め、海と山の風景に見入りました。漁村を取り巻く山々の紅葉は、最盛期は少し過ぎてしまったものの十分に見応えがあり、空と海の青に彩りを添えていました。

▲ 椴法華の海

ビーチのそばで心身ともに安らぐ時間を過ごしたあと、通りの両側に古い民家や半分店を閉じたような食料品店が並ぶ通りを抜け、左に漁港を見下ろして、恵山岬までの最後の登りにかかりました。のぼりきると、恵山岬灯台の周辺は整備された園地になっていて、道路を挟んだ反対側に、今夜宿泊する「ホテル恵風」がありました。

◆ 恵山岬の一夜

▲ 恵山岬灯台

2日続けて、80キロにも満たない走行距離ですが、この季節の北海道は日が短いうえ、低温による路面凍結などのリスクもあり、中年のおっさんは欲張らないのが賢明なのであります。
まだ時間は早いので、この先にある水無海浜温泉へ足を伸ばしました。波打ち際の露天風呂で、満潮時には海面下に隠れてしまうという温泉です。
最大勾配は20%近くもあろうかという急坂をくだり、到着してみれば、見事、露天風呂は海の中。次に入浴可能になるのは夜7時過ぎらしい。そんな時間は確実にほろ酔い気分であるし、覚束ない足取りで再びこの急坂を上り下りするのもつらい。何より、水着着用が必須のロケーションなのに、海パンなど持参しておりません。

▲ 水無海浜温泉があるはずの場所

あきらめて激坂を力任せにのぼり、公園の芝の上でストレッチしていると、また激しい雨が降り始めました。あわててホテルに駆け込みます。
このホテルはもともと椴法華村営であり、函館市との合併に伴って民営化されたらしい。なかなかいい宿だよ、と昨夜入った森の寿司屋で聞いていました。自転車を雨ざらしにしたくなかったのでフロントでお願いすると、従業員用の通用口で預かってくれました。
部屋からは、恵山の勇姿を間近に仰ぐことができました。山体はいかにも脆く見え、崩落跡などもハッキリと分かります。

▲ ホテルから恵山をのぞむ

さっそく大浴場に足を運び、二種類の源泉を堪能したのち、昼寝。目覚めたあと、今度は2階の展望露天風呂へ。早くも日は暮れ落ち、満月が中空に浮かび、月光が海面へ美しく落ちていました。

夕食の後、酔い覚ましを兼ね再び灯台へ行ってみました。ホテルから坂を下っていくと、道路際に鹿の群れが降りてきており、私の気配に気づくと、ゆっくりした駆け足で森の中へ消えていきました。
灯台はライトアップされ、夜の海と星空を背景にそこだけが白く浮き上がっていて、幻想的な美しさでした。

▲ 夜の恵山岬灯台

風はだいぶ弱まり、海面は穏やかに波打っているようでした。水平線には苫小牧へ向かう船の航海灯が見え、上空には新千歳空港へ降下していく航空機の灯りが点滅していました。

【本日の走行記録】
走行距離  75.5Km
走行時間  2時間47分
平均時速  27.1Km/h Max. 50.1Km/h
獲得標高  1085m
消費カロリー  1939kCal

◾️◾️◾️

23日目はここまで。最後までお読み頂き、ありがとうございました。翌日は2017年の「週末北海道一周ライド」最終日。函館を目指して走ります。宜しければ続きもお読み頂ければ幸いです。

私は、2020年に勤務先を早期退職した後、関東から京都へ地方移住(?)しました。noteでは、ロードバイクで北海道一周した記録や、もう一つの趣味であるスキューバダイビング旅行の記録、そのほかの自転車旅や海外旅行の記録などを綴っています。宜しければこちらもご覧頂ければ幸いです。



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